11.01/13 その135 アメコミのススメ――『キングダム・カム』



明けましておめでとうございます!

(初日の出↓)



 もう1月も中旬だよ? と冷えた眼差しを向けている人もいるだろうが、当サイトのルールでは1月一杯までが正月です。節分とバレンタインデーも2月一杯。エイプリルフールも4月一杯です。
 …という予防線をもって新年の決意表明にかえせていただきます。

 そんなわけで本題だが、その前に上の画像の人についてちょっと説明を。
 彼は「ライジング・サン」といい、アメコミにおける日本人ヒーローである。本名はイズミ・ヤスナリといい、空を飛べてビームとかも出せるらしい。
 国旗をモチーフにしたヒーローといえば、今年映画も公開される「キャプテン・アメリカ」が思い浮かぶが、元の国旗がシンプルな分、ライジング某さんの方はやっつけ感が漂ってる気がするね。
 まぁ変な方向に力入れたデザインでも困るけどさ。



具体例↓




 新旧のヒーロー対決を描いた作品「キングダム・カム」の1コマ。左側の飛び蹴りをかましている、どう見ても春麗にしか見えない女性キャラが「トーキョー・ローズ」。その右下の千両狂死郎みたいなのが「カブキ・コマンドー」だそうだ。
 劇中での出番はごくわずかだが、台詞が印象深い。





 手書きの平仮名。これは彼が「日本語でしゃべってますよ」ということなのだろうが、達筆とは言いがたい字と微妙に変な言い回しががカワイイ印象を与えている。
 しかし管理人はこのカブキ某の姿に伝説的なトンチキ映画「カブキマン」を思い浮かべてしまい、ページを開いたまま失神しそうになった。





 映画についての詳細はこちらのサイトさんで詳しく触れられているが、実際かなり悪い方向にキレた映画だった。
 制作にナムコが絡んでいると聞いていたので、管理人はベラボーマン等のイメージから「和風テイストの明るいヒーロー映画」のつもりで観たからさぁ大変。
 どう大変かというと…とにかく何もかも大変なのだが……たとえばカブキマンの必殺技(?)に巻き寿司をモチーフにしたものがあるのだが、これがひどい。悪党を黒いラバーシートみたいなものでぐるぐる巻きにし、それを刀で輪切りにする。そうするとほーら、断面が巻き寿司みたいに。他にもパワーアップのためにミミズを生のままモリモリ食うシーンとかもあったな…。
 なんというか、B・C級ホラーっぽいグロさと下品さを兼ね備えた映画であり、間違ってもチビっ子が楽しめるヒーローものではなかった。当時の管理人は「アメリカ人の感性は我々には一生理解できまい」と思ったものだ。


 ちょっと話が逸れたが、「アメコミはいいよ!」というのが今回の主旨だ。
 そこ、「えぇえー!?」みたいな顔すんな! クソッ…カブキマンの話を出したのは失敗だったか(ツカミとしては最悪です)。

 いや実際、昔からアメコミはちょこちょこ買ってはいたんだよ。翻訳版のみだけど。「ウォッチメン」も「バットマン:ダークナイト」もすぐさま買ったし。しかし昨年10月にキングダム・カム(愛蔵版)を買ってから個人的にブームが来ちゃって。それから年末にかけて「バットマン:ラスト・エピソード」「スワンプシング」「X-MEN・アベンジャーズ:ハウス・オブ・M」「キック・アス」等々を買って読みふけっておりました。
 なかでも「キングダム・カム」は管理人の中でウォッチメンに並ぶお気に入りにランクインしましたよ。




 無頼の徒と化した新世代のヒーローたちが私闘を繰り広げ、世界に破壊と混沌をまき散らす近未来。隠遁生活から復帰したスーパーマンは、仲間とともに彼らの鎮圧と新たな秩序の構築に向けて動き出す。しかしその水面下では、人間達が世界の覇権をヒーローたちから取り戻すべく策動していた――というのがあらすじ。


 誰もが知る元祖スーパーヒーローことスーパーマンをはじめ、バットマン、ワンダーウーマン、グリーンランタンなど名だたるヒーロー達が競演するクロスオーバー大作である。
 物語は老牧師ニール・マッケイが神の代理人・スペクター(彼も有名なアメコミの登場人物である)に連れられ、空間を超えた旅に出るところから始まる。新世代のヒーロー達の、正義も理念も持たないパワーが世界を混沌に陥れていく様を見届ける旅に。


今この地を満たすのはウェスリーが敬愛したヒーローたちではない。その子や孫の世代だ。過去の伝説に触発された新世代の超人が何千人もいる。古い名や能力を継ぐ者も多いが精神は継がなかった。彼らはもはや正義の使者ではない。ただ戦いだけを求めてお互い殴り合っている。


 彼らの暴虐がきっかけで100万人が命を落とすという悲劇が起きるに至り、スーパーマンはかつての仲間を糾合して「ジャスティス・リーグ」を再結成。新世代ヒーローの鎮圧と教化に乗り出す。しかし、彼が守ろうとする人類の指導者達はリーグの…というより超人類の力を怖れ、警戒する。
 それにつけこみ、レックス・ルーサー(スーパーマンの宿敵)を首魁とする旧世代のヴィラン達は「人類解放戦線」を組織して超人類の排除を目論む。

 先頭に立って戦いながら、それでも平和的解決の道を探すスーパーマン。彼を輔佐しながらも、強硬的な姿勢を崩さないワンダーウーマン。そして彼らと同じヒーローでありつつも人間であるバットマンは、「人類」の側に立って策を巡らせる。
 「キングダム・カム」の本筋は、ヒーローら「超人類」と「人類」の摩擦と軋轢、衝突とせめぎ合いの物語なのだ。



バットマン


巻末の設定資料より




 舞台が未来ということで、バットマンは一線から引いた老紳士として登場する。しかし犯罪との戦いを辞めたわけではなく、治安維持のロボット軍団を手足に使い、ゴッサムシティをその支配下に置いている。
 なんか悪役の科学者みたいじゃね? とか言わないように。

 スーパーマンとバットマン。高名なヒーローとして並び立つ2人だが、彼らは基本的に馬が合わない。劇中でも語られているが、これは彼らの基本的なスタンスの違いから来ている。スーパーマンは行動の基本に「信頼」を置いているのに対し、バットマンは犯罪者に「恐怖」をもって対峙している。それのみならず、本作では「超人類」と「人類」という立場の違いが2人を対立させる。
 しかし彼らは共に正義を行う「ヒーロー」であり、その方法論の中にひとつだけ共通する部分があった。物語終盤、破局の時が迫る中で、スーパーマンは一度は決裂したバットマンに再び協力するよう呼びかける。


人間であれ、超人であれ…命を奪うことは私の信条に反する! 君も同じだろう?それがずっと我々に共通の…理念だったはずだ! 君はこれ以上人が死ぬのを見たくないから、何もかも捨ててバットマンになったはずじゃなかったのか?

今からでも止められる! 君の仲間と我々2人なら、世界最高のチームになる!
手を貸すと言ってくれ!



 このシーンから最終章「Never-Ending Battle<終わりなき戦い>」、そしてラストまでの流れは何度読んでも熱い。…あぁそうか、最初からコレ言えばよかった。「キングダム・カムは熱いぞ!」と。
 といっても単純なヒーロー大戦争で終わらないのは、目撃者としての老牧師ニール・マッケイの存在が大きいだろう。超人類でもなければ人類社会における権力者でもない、一介の人間である彼は読者に近い視点の持ち主であり、そのことが終盤、彼に課せられた「使命」が明らかになる段で大きな意味を持つ。

 「キングダム・カム」は、ヨハネの黙示録を下敷きにした終末感をベースにしている。マッケイの観る黙示録のヴィジョンに従ってスペクターは彼を騒乱と陰謀の場に導き、その世界がハルマゲドンへと進む様を見せる。本作のタイトルも、おそらく聖書にある「新たなエルサレムの到来」にかけたものではないかと思う。


更に私は、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。 その時、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた。

「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとく拭い取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」

――ヨハネによる黙示録 21章2節-4節



 キングダム・カムの物語は聖書の預言のように神々しい大団円では終わらないが、希望を感じさせるいいエンディングだった。それもまた繰り返し読みたくなる魅力のひとつだろう。管理人がダーク&バイオレンスに倦んだということは全くないのだが、たまにはこういうのもいいものだと再確認した思いだ。

 思えば「世のため人のために働くヒーロー」を真っ向を描いた作品は、日本にも意外と少ない。というより、多種多様なジャンルが発展する中で「子供向け」というカテゴリーにとどめられたままと言えるかもしれない。
 それを再構築し、子供だけでなくもっと上の層も楽しめるエンターテイメントにするため、アメコミは様々な試みを行ってきた。それがヒーローをリアルかつハードボイルドな視点から描いた「バットマン:ダークナイト・リターンズ」であり、ヒーローという存在そのものを根底から問い直した「ウォッチメン」であり、そして新たにヒーローを肯定的に見つめ直した「キングダム・カム」なのだろう。

 史上初のスーパーヒーロー、スーパーマンが生まれて70年あまり。それだけの時間を、アメコミはヒーローと向かい合ってきたわけだ。その長い歴史の一端を知るにも、本書はとてもオススメだと思う。


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 …という感じで大プッシュしてみたが、冷静に考えるとこれからアメコミを読もうという人にお勧めするにはちょっと難しい部分もなくはない。
 まず第一に、クロスオーバーということで膨大な数のアメコミキャラが登場する点。ストーリーを追うだけなら予備知識がなくともなんとかなるが、知っているキャラが多ければ多いほど面白くなるのは言うまでもない。
 もうひとつは――これは邦訳アメコミ全てに共通するが――値段が高いこと。税込3540円と、そこいらのハードカバーより高い。立ち読みで中をちょっと拝見、ということもまずできないし、試しに買ってみようかな、という気にさせるのは難しい。

 身も蓋もないことを言うようだが、単に面白い漫画を求めているのならわざわざアメコミに手を出す意味は薄い。そんな冒険をするより「へうげもの」を1〜5巻まで揃えた方がはるかに有意義だろう(春にはアニメ化もするしな!)。

 「じゃあ擦れっ枯らしのアメコミオタじゃないと楽しめないの?」と思うかもしれないが、そうとも限らない。現に管理人はこれを読むまでワンダーウーマンは名前くらいしか知らなかった。スーパーマンについても「惑星クリプトンから来たヒーロー」という基本的な知識しかなかったし、終盤でキーパーソンとなる「最強の地球人」キャプテン・マーベルは全く知らなかった。
 読んだ後で「マーベルが口にする『シャザム』という言葉は何だろう?」と検索したところから、彼がスーパーマンに匹敵するヒーローであることを知り、虹裏アメコミWIKIの存在を知り、さまざまなヒーロー達を知るようになり、ついには今回のような文をサイトでブチ上げるまでになった。
 もちろんアメコミファンを名乗るには駆け出しもいいところ(原書には手を出していない)だが、それでも今までよりはアメコミや多くのヒーロー、ヴィランに対して強い思い入れを持つようになったわけだし。

 アメコミを手にしてみようという人に管理人からアドバイスするとすれば、「日本の漫画との違いを楽しむこと」が重要だろう。
 とにかく、何もかもが違う。題材も、画風も、技法も、基盤となる文化も、社会も、歴史も、何もかもだ。それ以前に、原色のけばけばしいタイツを着込んだ連中がシリアスなやり取りをする絵面に強烈な違和感を感じる人もいるだろう。ついでに言えば、超常の力を持つヒーローが人前に姿を表し、あまつさえマスコミを前に記者会見するという光景も見なれないものに違いない。
 そういった違いを楽しむつもりでいれば、少なくとも違和感から来る拒否反応は抑えられるはずだ。それに、見慣れてくるとあのコスチュームも案外悪くないと思えてくるものですよ。ヘンテコだなと思いつつ、これはこれでイイなという風に。

 とりあえずこれから「キングダム・カム」を読もうという人は、キャプテン・マーベルの基本設定は頭に入れておいた方がいいな。合言葉は「SHAZAM」。力を与えてくれる魔法の呪文だ。

虹裏アメコミWIKI - キャプテンマーベル



追記:
 今後の翻訳アメコミでは、3月の「マッドラブ/ハーレイ&アイビー」(再販)がまず注目だろう。ゲームの「バットマン:アーカム・アサイラム」にも登場した美女ヴィラン2人が登場する、コミカルタッチの作品だそうだ。バットマンはとにかくダークかつシリアスなイメージが強いのだが、それを覆す意味でも興味は尽きない。
 そして、刊行の日取りは決定していないが「クライシス・オン・インフィニット・アーシズ」という超大作も出るとのこと。1985年に刊行されたクロスオーバー超大作で、平行宇宙を破壊しようとする強大な敵にヒーローとヴィランが立ち向かう話らしい。スケールでけぇなオイ。

 映画では「キャプテン・アメリカ:ザ・ファースト・アベンジャー」が10月に日本公開予定だし、「グリーンランタン」も来るだろう。ゲームの「バットマン:アーカムシティ」も今年来る…かもしれない。
 なんにせよ、今年は色々と楽しみが多そうだ。



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