12.02/02 その166 エメラルド王――無法者たちの挽歌(エレヒア)





 つい先日、重量11.5キロ、5万7500カラットという「世界最大のエメラルド」が競売に出されて話題を呼んだ(ロイター)。あまり宝石の類に興味のない管理人だが、このニュースで思い出した小説があった。




早田英志/釣崎清隆・著『エメラルド王』



 70年代に単身コロンビアに渡ってエメラルドの商売を手がけ、ついにはコロンビア一の貿易業者にまでのし上がった日本人「早田英志」の自伝的な物語である。
 早田英志は2002年にも自ら監督・脚本・主演を務めた「エメラルド・カウボーイ」という自伝映画を撮り「究極の俺様映画」といった批評もされたわけだが、それに飽き足らず今回は小説である(執筆は釣崎清隆が担当したそうだが)。
 だが、これが意外に面白い。コロンビアのエメラルド業界という荒くれどもが跋扈する世界を“稀代の冒険家”早田英志の視点から活写しており、娯楽小説としてしっかり楽しめる。

早田英志



映画「エメラルド・カウボーイ」より



 筋書きは基本的に映画と同様、早田英志のコロンビアンドリームをなぞっていくのだが、終戦後の日本で辛酸を舐めた少年時代まで遡り、またコロンビアのエメラルド業界における血なまぐさい側面も丹念に描き出している。そしてその部分こそ、当サイトで紹介しようと思った最大の理由である。
 暗黒街的にコロンビアといえばコカインの一大産地で、世界最大の麻薬組織「メデジン・カルテル」が君臨した国でもある。そしてそれと同時に“宝石の女王”エメラルドの最大の産地でもあった。
 70年代初頭に国有鉱山が民営化されエメラルド・ビジネスが民間に開放されたわけだが、コロンビアは地理上の理由もあって国家の統制が行き届いていない。そこに一攫千金を狙うギラついた荒くれどもが押し寄せるとどうなるか? 簡単ですね。騙しだまされは当たり前、時には銃弾でツケを払わせる弱肉強食の世界の出来上がりです。

 たとえば早田のビジネスの第一歩であった「エスメラルデロ(エメラルド屋)という職業だが、これは鉱山の採掘人から原石を買い、それを宝石商に転売して利ざやを稼いでいる。その過程でトラブルが起きることも往々にしてあるが、面倒は自分で解決するしかない。必要とあれば暴力で、である。
 都会の宝石商と取引する場合、エスメラルデロは仲介人を間にはさむのだが、この仲介人が裏切れば死をもって償わせたという。


もしも仲介人(コミッショニスタ)が高価な商品を持ち逃げしようものなら、まず殺された。この過激な不文律は目の届かない手下の行動を制御する一定の機能を果たしているが、それでもゴロツキ(ピロボ)は手癖が悪いものである。つまりは人殺しに真実味がないことには話にならず、仲介人に嘗められるようでは、エスメラルデロなどとても務まらないのである。



「○○の奴、撃たれて死んだらしいぜ」
「そりゃ気の毒に」

 こんな会話が商談前の世間話として語られ、すぐに忘れられるのがエスメラルデロの世界である。小説の冒頭からして“ネクタイ(コルバタ)”と呼ばれる処刑法――首を切り裂いてそこから舌を引きずり出す――で見せしめにされた死体の描写から始まり、若き日の早田と後に彼の宿敵となる(そのわりには出番が少ないが)マルティン・ロハスとの西部劇ばりの対峙シーンへと流れる。
 このあたりはいかにも娯楽小説的な脚色だが、背後事情など細部まで解説しているので説得力があり、またその血なまぐさい空気はほぼ全編を貫いている。アウトローぞろいのエスメラルデロだけでなく、民兵を抱えて自衛する鉱山主たちやゲリラまで加わって、時には軽機関銃やロケット弾(おそらくRPGだろう)まで火を噴く戦争にまで発展する。

 早田は中年にさしかかるころには首都にオフィスを構えるようになるのだが、そうなってからも暴力(ビオレンシア)とは縁が切れない。彼のボディーガードはサブマシンガンやショットガンで武装し、彼自身もデスクの中に拳銃をしまっている。商売上のトラブルや、また殺された相棒(ソシオ)の仇をとるために銃をとろうとするその姿は、ビジネスマンというよりヤクザ映画の主人公に近い。




映画『エメラルド・カウボーイ』の1コマ




『エメラルド王』カバー見返し写真(撮影:釣崎清隆)


 映画『エメラルド・カウボーイ』では早田本人に加えてボディガード達もそのまま出演して上のような警護シーンを再現しているが、内戦中かと思うような重武装っぷりに驚かされる。映画のヤクザやマフィアのような洒落っ気がなく、鉱山の泥臭さが漂う野蛮な空気は小説と映画の両方に共通している。
 例えば劇中で拷問に関するくだりがあるのだが、その中に寒気がするような記述があった。


 いつしか拷問を加える側が被拷問者の生命維持ぎりぎりの綱渡りを余儀なくされ、主導権の倒錯が起きることがある。男は正常位で尻に突っ込んで尊厳を奪ってやれば、ほとんどの者が陥落するが、女はその効果は期待できず、逆に拷問者を官能の底なし沼へ誘い込もうとする猛者すらいる。


 これは「コロンビアの女は拷問されても口を割らない」という解説なのだが、正常位云々のくだりは男として冷汗が流れるような凄味がある。作中では早田本人が拷問に関わったような記述はないが、多分…やってはいただろうなと思う。いや男の尻にどうのってんじゃなくてね?
 時に暴力が法となるコロンビアでエメラルド・ビジネスを行うことがどれほどリスキーか、本作は上のような挿話を挟みつつ丹念に解説していく。このリアリティこそ最大の持ち味と言える。
 それでいてどこか詩的な雰囲気が漂っているのは、早田英志の「冒険者としての生き様」を徹底してロマンチックに描いているからだろう。釣崎清隆による文は早田の信念や美学、エメラルドに命を懸けるアウトローたちの生き様を、時に装飾過剰と思えるほど抒情的に謳い上げている。
 付け加えれば、このエメラルドの存在もまた物語のロマン度アップに大きな役割を果たしている。コカイン産地であるコロンビアで、麻薬ではなく“宝石の女王”エメラルドを追い求めるエスメラルデロたちの矜持が、血なまぐさい生存競争とは異なるムードをドラマに加えているのだ。


 しかしエメラルド利権といっても、コカインと比べればうまみなど高が知れている。それでもこの国のあらゆるアウトローにとって、伝統的な男の世界における王の中の王「エメラルド王(レイ・デ・ラス・エスメラルダス)は憧れであり、それは決して金では買えない「男の中の男」を意味する最高名誉の称号なのだ。


 かつて北方謙三はハードボイルド小説から時代小説へ軸を移した理由を、アウトロー的な生き様が現代日本に合わなくなった、と述べていた。一度ドロップアウトしたらもう戻れない社会になり、読者がアウトロー的な主人公に共感をもちにくくなった、というような意味だったと記憶している。
 その意味では『エメラルド王』も現代日本では共感を得にくい物語であり、遅れてきた冒険小説といえるかもしれない。とはいえ、死と隣り合わせの世界で裸一貫から頂点まで登りつめるのは男にとって永遠のロマンだ。そういうクラシカルな冒険活劇を、コロンビアのエメラルド業界という知られざる舞台で展開している点で興味深く読める一冊ではないかと思う。



追記:
 小説中の早田英志は、一貫してハードボイルドなタフガイ的オーラを放つキャラクターとして描かれている。では実際の早田像はどうなのかというと、管理人が見た限りではえらく気さくなオジサンだった。もちろん会って話をしたとかでは全くなく、映画『エメラルド・カウボーイ』の日本公開に伴って舞台挨拶に来たのを見た、というだけのことである。
 ラフな服装にカウボーイハットという出で立ちは映画の中と同様だったが、それがなければ中小企業の社長さんかと思っただろう。この小柄な人物が「緑色戦争(ゲッラ・ベルテ)」と呼ばれた動乱期を生き抜きいて一時は業界の頂点に立ったというのはにわかには信じがたかったが、そこも含めてユニークな人物だった。

 ちなみにその映画だが、小説とあわせて観るとまた面白いと思う。一部キャスティングに難ありだけど。



若りしころの早田



 これ、確か最初は日系人の俳優がやるはずだったんだけど、撮影の過酷さ(コロンビアの山奥という劣悪な環境、ゲリラの脅迫など)に音を上げてリタイヤしてしまったため、彼が選ばれたと早田英志が言ってたような気がする。
 ちなみに劇中では早田らとゲリラの戦闘シーンがあるが、そこで出てくるゲリラは町のチンピラのような格好をしている。その理由は、リアルなゲリラを登場させると本気で洒落にならないかららしい。






「実際は野戦服を着たゲリラだった」とテロップで解説されている



 こちらのサイトに詳しい話が載っているが、「ショットガン装備のボディガードに守られながら撮影」とか「機材運搬の途中でゲリラの検問所に遭遇」など、まさしく洒落にならない状況下でこの映画は制作されたようだ。実際ケガ人も出ているし、そりゃ逃げたくもなるというものだ。
 なお、小説中で早田の宿敵とされているマルティン・ロハス(その割には出番が…)は、黒一色のカウボーイ・スタイルという実に絵になる悪党なのだが、残念ながら映画には登場しない。惜しいなと思うものの、当のロハスとは映画の撮影中も流血沙汰になりかねないレベルでやり合ってたそうなので、不参加は無理もない。仮にやったらロハス役の俳優が生きてコロンビアを出られるかどうか怪しいところだったろう。いやマジで。
 小説中で早田一党とロハス一党が対峙するシーンはものすごくスクリーン映えしそうなだけに惜しいとは思うが。



参考リンク:映画瓦版『エメラルド・カウボーイ』



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