早田英志/釣崎清隆・著『エメラルド王』 |
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もしも仲介人(コミッショニスタ)が高価な商品を持ち逃げしようものなら、まず殺された。この過激な不文律は目の届かない手下の行動を制御する一定の機能を果たしているが、それでもゴロツキ(ピロボ)は手癖が悪いものである。つまりは人殺しに真実味がないことには話にならず、仲介人に嘗められるようでは、エスメラルデロなどとても務まらないのである。 |
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いつしか拷問を加える側が被拷問者の生命維持ぎりぎりの綱渡りを余儀なくされ、主導権の倒錯が起きることがある。男は正常位で尻に突っ込んで尊厳を奪ってやれば、ほとんどの者が陥落するが、女はその効果は期待できず、逆に拷問者を官能の底なし沼へ誘い込もうとする猛者すらいる。 |
これは「コロンビアの女は拷問されても口を割らない」という解説なのだが、正常位云々のくだりは男として冷汗が流れるような凄味がある。作中では早田本人が拷問に関わったような記述はないが、多分…やってはいただろうなと思う。いや男の尻にどうのってんじゃなくてね? |
しかしエメラルド利権といっても、コカインと比べればうまみなど高が知れている。それでもこの国のあらゆるアウトローにとって、伝統的な男の世界における王の中の王「エメラルド王(レイ・デ・ラス・エスメラルダス)」は憧れであり、それは決して金では買えない「男の中の男」を意味する最高名誉の称号なのだ。 |
かつて北方謙三はハードボイルド小説から時代小説へ軸を移した理由を、アウトロー的な生き様が現代日本に合わなくなった、と述べていた。一度ドロップアウトしたらもう戻れない社会になり、読者がアウトロー的な主人公に共感をもちにくくなった、というような意味だったと記憶している。 |
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