最近、年のせいかこんなことを考えるようになった。
ゲームジャンルの「技術的到達点」はどこにあるのだろうか、と。
ゲームに用いられる技術は日々進歩している。表示できる色数が増え、透過処理が可能になり、ポリゴンによる立体表現が可能になった。今では現実と見まごうようなビジュアルも珍しいものではなくなった。
ジャンルによって差はあれど、ゲームは新たな技術を取り入れることで、かつての夢を現実のものとしてきた。より美しく、より奥深く、より壮大に、より爽快に。新技術がジャンルの新たな可能性を切り開いた例も少なくない。
では、各ジャンルの求める技術の「最終的な到達点」はどこにあるのだろうか。
そんな先のことなんか分かるわけねぇよ、と思うかもしれない。ここが最終なんて区切りなどない、という考え方もあるだろう。しかし個人的には、最終到達点…究極の目標がある程度見えているジャンルもあると思う。
FPSと洋RPGだ。
知っての通り、FPSはPCのグラフィックボードの進化と歩調を合わせてハイクオリティなグラフィックを追求してきた。物理エンジンを使った破壊描写など、環境のリアルさの追求にも意欲的だ。ある意味で、最も貪欲に最新技術を取り入れているジャンルがFPSである。
その貪欲さが目指す究極の目標は「現実さながらの戦場表現」であろう。壁に銃弾を撃ち込めば穴が開き、木の冊を叩けばへし折れる。もちろん今でもそういう要素を取り入れたタイトルはいくつもあるが、巨大な建造物から風に舞う木の葉ひとつに至るまで再現できるようになるのはまだ先だろう。
現実同様の破壊描写を完全再現できた時、FPSは究極の戦闘ゲームとしてひとつの到達点に達すると管理人は考える。
ただしこの究極目標はあくまでも「舞台の充実度」を目指すものだ。そこで演じられる出し物、つまりゲームデザインはまた別の話になるので、技術的目標の到達がFPSの終焉を意味するものではないということを付け加えておく。
ではもうひとつ、洋RPGの技術的到達点はどこだろうか。
これは明解で、ゲーム内の「ヴァーチャル世界の完成」が最終的な到達点と言えるだろう。洋RPGはテーブルトークRPGのコンピュータ化を目指して発展してきたと言われ、自由度優先型の洋RPGはおおむねその方向を目指している。
今現在も自由度の高いタイトルはいくつもあるが、最終的なハードルはNPCとのコミュニケーションだろう。
現在はこちらの台詞を選択し、それに対する反応のバリエーションを増やすことで自由度を高めているが、これではプレイヤーの意図を100%表現することはできない。台詞の選択肢を増やすことである程度は補えるかもしれないが、ゲームバランスの観点からも限界がある。
もしもこのハードルを越えられたなら…マイクを通してプレイヤーの言葉を伝え、NPCが実際の人間さながらに反応を返してくるようになれば、本当の意味で「何でもできる」ヴァーチャル世界が完成するのではないだろうか。
今のところ、本気でそういうコミュニケーション技術を目指しているタイトルはない。だが、様々な方法で「自由度の高い世界」の構築を目指している洋RPGのこと、いずれは旧来型の会話とは異なるアプローチを試みるものが出てくるかもしれない。
こうして見るに、洋ゲーは結構「どこまで現実に近づけるか」を全体的なテーマとして掲げているような気がする。これは和ゲーにあまり見られない方向性だ。和ゲーは「限られた枠内でいかに面白くするか」に心を砕いており、実際マリオやゼルダ、ドラクエなど、国民的な人気を誇るタイトルはおおむねその方向で成功している。
そしてそれは「技術的な最終目標」を想定していないということでもある。それは方向性に幅があるということでもあるが、最新技術の応用の面であまり熱心ではなかったとも言えるだろう。
現状、和ゲーは技術の点で洋ゲーに引き離されているが、それは制作体制の違いやらの他に、こういった「究極目標の設定」がなかったことも一因ではないかと管理人は考えている。今あるもので最大限工夫するというのなら、最新技術など別に必要としないのだから。
しかし和ゲーの中でも、技術の目標とは若干異なる観点ながら「究極目標」を持つジャンルがあった。
ギャルゲーである。
ギャルゲーの目的はゲーム内のヒロインたちとイチャつくことだが、その究極の目標は「2次元」という絶対的な壁を超えることだと言っていいだろう。2次元の中にしか存在しえない美少女をこちら側へ召喚する。あるいは自分がその中へと旅立つ。
現状、モニタの中にしか存在しないLOVE♥MOEなラブコメちっくストーリーを実際に体験する。これこそがギャルゲーの目指す究極目標とは言えまいか。
一例を挙げよう。ギャルゲーマー夢に見る「最終的な到達点」の一端が垣間見れるはずだ。
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