過去に雑文57でも触れたが「海外制作のJRPG風RPG」という珍しいゲーム。アニメ風のキャラクター達によるカットシーンを豊富に織り込んだストーリー主導型のRPGだそうで、洋RPGの一般的イメージである「高い自由度と乾いた雰囲気」はどこにも見当たらない。キャラの造形も日本のアニメに近く、パッケージ絵にもそれは如実に表れている。
「目がデカければ日本風かコラ。萌えをナメてんのかコラ」とご立腹の方もいるかもしれないが、じゃあオメーGOWのアーニャ(初期型)とSudekiの青髪ヒロインのどっちかとチューしろって言われたらどっち選ぶよ。大半の人はSudekiを選ぶに決まっているだろう。管理人ですか? 管理人ならローカストを誅する方を選びます。
冗談はさておき日本語版のパッケージだが、こちらはしっかり日本のイラストレーターが手掛けており、全体的なクオリティも上がっている。オリジナルのパッケージは中央ヒロインの表情と周りの緊張感が噛み合っておらず違和感を覚えるが、日本語版はそういうチグハグさもなく綺麗にまとまっている。
だが……それだけに「こりゃ台無しだろ」という気持ちもないではない。「外国人ががんばってJRPGっぽいのを作った」のが本作の特色であり、それがパッケージにもしっかり表れていたのに、日本人に描かせたらそこらに溢れている凡百の和製RPGとなんら変わらないではないか。
上で挙げたスパルタンやサイオプスは、タフガイ主人公がメインを張るなど日本人が描いても洋ゲーらしさが出ていたが、SudekiはなまじキャラがJRPG風なだけに洋モノっぽさが完全に消え去ってしまった。
とはいえ、ゲームそのものは結構面白そうではある。
戦闘では4人いるメンバーのうち一人を選んで操作するアクションRPGのようだが(他の3人はAIが担当)、剣や爪を武器にするキャラはオーソドックスなアクション風で、魔法や銃を使うキャラだとFPS風になる。FPSですよFPS! やっぱり一人称視点っていいよね! ヘッドショットもあるのかな!?
Xbox専用ということもあって管理人はプレイしたことはないが、正直ちょっとやってみたい。しかし本作は360との互換に対応しておらず、オンデマンドでも配信されていない。もうちょっと知られてもよいタイトルだけに、「知る人ぞ知る」レベルでとどまってしまったのは残念という他ない。
『Crackdown』 → 『ライオットアクト』
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超人的な能力を持つエージェントを主人公にした箱庭ゲー。元タイトルの「Crackdown」は、日本国内ではセガが同名のゲームを出していたため使用できず、今のタイトルに変更されたという経緯がある。
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↓セガ製『Crackdown』(1990)
すごく魂斗羅くさいビジュアルだが、こちらは正面突撃をゲリラ戦と言い張るような脳筋アクションではなく、銃の残弾に気を使い、時には敵をやり過ごすような細やかさを要求されるゲームらしい。(参考:バーチャルコンソール『クラックダウン』)
話をライオットアクトに戻すと、パッケージ絵をルパン三世でお馴染みのモンキー・パンチが担当したことでも話題になった。
管理人の知る限りだと、このライオットアクト以降は日本人のイラストレーターが新規にパッケージを描き起こすケースは少なくなっている気がする。GOWやCOD4のヒット以降、例え洋ゲー的な見た目でも売れるものは売れるようになり、小細工を弄する必要がなくなったということだろうか。
思えば、過去にパッケージで和ゲーっぽく見せようとした作品は、ゲームのクオリティに関わらずそれほど売れたとは聞いていない。PS2・Xbox時代(2000年代初頭〜中盤)は洋ゲーそのものがほとんど注目されていなかったこともあるが、ネットの発達によって予備知識なしのジャケ買いが減ったことも関係しているのではないだろうか。
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■一部変更のパッケージ
以下の3つは上記のパッケージとは違い、新規描き起こしではなく一部修正または流用にとどまっているレベルのものだ。
些細な変更とはいえ、ここにもまた日本市場を意識する目線が感じられる……ような気がしないでもない。
『Urban Chaos:Riot Response』 → 『アーバンカオス』
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特殊部隊「T-ZERO」の一員としてギャングとドンパチするFPSで、地味ながら評価の高い良作。管理人的にはPS2のFPS/TPSでベスト5に入るお気に入りである(1位は当然BLACK)。
こうして並べてみると、とにかく日本語版のダサさがひどい。
オリジナルの方は何のひねりもないとはいえ、主人公のアップが全体をバシッと締めているが、日本語版は絵そのものがボンヤリとした雰囲気であり、絵面の間抜けさもあいまってパッケージそのものが弛緩した雰囲気になってしまっている。
この2つのパッケージ、同じコンセプトアート(厳密に同じではないが)を基にしているのだが……。
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なんで日本語版は端っこのモブキャラをパッケージにしようと思ったのか。
本作のローカライズ権を買うに当たり、海外版とは違うデザインにしろという契約でもあったのだろうか。あるいは日本人らしい奥ゆかしさ、遠慮の表れなのか。
実のところこのパッケージ、デザインのダサさは別にしても大きな欠陥がある。本作の最大の特色は主人公が手にしている「盾(ライオットシールド)」にあるのに、それが全く伝わらない点だ。
この盾は拳銃弾はもちろんのこと、重機関銃の斉射やロケランの直撃にも余裕で耐える面白オーパーツで、プレイヤーはこれを駆使して凶暴なギャング連中と渡り合うことになる。その独特の戦術性こそアーバンカオスの魅力……いや敵の“バーナーズ”も世紀末モヒカンぽくて最高だけど……「チャンネル7ニュース」の演出もいい味出してるけど……なんだかんだで魅力いっぱいだけど…とにかく盾が一番重要なのだ。そこを無視している時点で良いパッケージとは言えないだろう。
思えば本作は、ローカライズの面ではいささか残念な部分が散見された。
まず暴力描写がかなりカットされたこと。これは単に敵の死にっぷりがトーンダウンするだけでなく、その他の場面にも影響を及ぼした。例えば死体がすぐに消えるという修正が施された結果、シナリオの一部で「息絶えた仲間を悼む」シーンが不自然になったりしている。
またギャングに拉致された要人を救出するサブミッションでは、本来さまざまな人物が登場したはずがオッサン一種類のみになったこと。これは「ボコられた顔の女性」を出すことを自粛したためではないかと言われている。
今なら担当者に石を抱かせた上で説教するレベルの残念ローカライズだが、昔書いたレビューを読み直すと許容範囲だとか言ってやがるんだよな俺。今世代に入って表現規制が多少緩くなったのに慣れたのかもしんない。
とはいえアーバンカオスはいいゲームなんだよマジで。『BLACK』や『フリーダム・ファイターズ』と並んで続編にも期待していたのに、「知る人ぞ知る」レベルで終わったしまったのは残念で仕方がない。今回こればっかだな!
『Overload』 → 『オーバーロード 魔王サマ復活ノ時』
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蘇った「魔王」を主人公に、ミニオンと呼ばれる手下を従えて失った領土を取り戻していくアクションアドベンチャー。
この2つのパッケージ、ぱっと見は同じだが画面下部のミニオンをよく見ると…。
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日本語版はキュートさ2割増し。
体験版をやった限り、確かにミニオンはブサ可愛い。ゲームでは何かターゲットを指定すると複数のミニオンがわーっと群がり、それが敵なら囲んでポカポカ叩き、樽や木箱だとよってたかってブッ壊したりするのだが、そのチマチマ動く様子はなかなかユーモラスだ。
カボチャ畑をターゲッティングするとカボチャを破壊するなどの悪さを働くが、戻ってきたミニオンの中にカボチャを頭にかぶった奴を発見した時には不覚にもときめいてしまった。
この手の可愛さ演出は洋ゲーの得意とするところだが、やっぱり元の画像では怖さ・不気味さの方が強く出すぎるとの判断なのだろう。
ゲーム本編のビジュアルまで変えられると困るが(そういうケースはほとんどないが)、パッケージのみならこの程度の改変はアリだろう。何にせよ日本と海外の細かい感覚の差を考慮した丁寧な仕事だと言える。……2作目がローカライズされなかったあたり、あまり売り上げには貢献しなかったようだが…。
『Jacked』 → 『THE いただきライダー お前のバイクは俺のモノ』
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これは今回入れるべきか迷ったタイトル。パッケージ絵というよりタイトル改変がメインだからな…。
見ての通り、日本語版はSIMPLE2000シリーズのひとつとしてリリースされている。販売元のD3パブリッシャーはもともと海外にも販路が広く、そのせいか洋ゲーの販売権を買ってSIMPLEとして売り出すケースがいくつかあったらしい。
このゲームもそうした中のひとつで、基本はバイクレースながら積極的に敵を攻撃できる点が売りで、凶器攻撃はおろか走行中に敵バイクを乗っ取る(Jack)といった型破りな代物だったそうだ。それを受けて原題はシンプルに「Jacked」だったが、D3は落語家が弟子に芸名を授けるようなノリでSIMPLE名を授けてしまい、まるでギャグゲーのようなタイトルになったという次第。
……まぁ、インパクトあるのは確かだ。少々イメージチェンジが極端に過ぎるような気もするが。オリジナル版はロゴとかもカッコいいんだがなぁ。
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■まとめ
洋ゲーが長らく日本で冷遇されてきた理由はいくつかある。
ひとつには、80〜90年代にローカライズされたゲームの質の低さ、あるいはとっつきにくさだ。特にゲーム誌のレビューで歴代最低点を付けられて伝説となった『ソード・オブ・ソダン』――通称「帝王ソダン」は、洋ゲー=クソゲーという認識を当時のゲーマーに植え付ける一因となった。
同じ時期に発売された『ポピュラス』『シムシティ』などはクソゲーではないにしてもややマニア寄りであり、家庭用ゲーム市場における洋ゲーへの偏見を覆すほどの力はなかった。また当時は日本のゲームが質・量ともに豊かであり、情報も乏しい中でわざわざ洋ゲーを選ぶ必要もなかったのだ。
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そしてもうひとつがそのバタ臭いビジュアルである。上に挙げたゲームのパッケージは、いただきライダーを除けばほとんど一見して洋ゲーと分かる濃さがある。ドットが主流だったSFC時代までならともかく、PS・SS以降はハードの表現能力が増し、結果として日本と海外の絵的なセンスの違いを浮き彫りにしてしまった。
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この頃からNINTENDO64の『007ゴールデンアイ』など一般受けする洋ゲーが徐々に日本でも出始めるのだが、偏見を覆すよりも先に文化の違いによる忌避感が上乗せされる結果となった。
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今回扱ったローカライズ洋ゲーのパッケージは、その文化的ギャップを乗り越える試みだったと言うことができる(アーバンカオスは除く)。
その試みがどの程度成功したのかは管理人には分からない。
今、日本で洋ゲーが売れるようになったのは、ゲームとしての中身が向上したことはもちろんだが、ネットを介して口コミの規模が広がり、マイナーゲームでも情報が入手しやすくなったこと、そして和ゲーの元気が無くなってきたことが大きい。
海外――主にアメリカが巨大な市場と資本、そしてPCゲームで培った技術を発揮してド迫力のゲームを生み出す一方、日本のメーカーの多くがコスト増に耐えられず脱落し、また最新ハードのパワーを使いきれず持て余している。
ひねくれた言い方をするなら、日本でGOWやCOD4が売れたのは単に優れていたからではなく、それに匹敵する和ゲーが存在しなかったからだ。
今も洋ゲーのバタ臭さは相変わらずだし、それに日本のゲーマーが抱く距離感もそう変化はしていない。だが以前のように洋ゲーというだけで敬遠されることはなくなったし、店頭売りの比重も下がりつつある現状、とにかくパッケージだけでも手にとってもらおうというつつましい配慮も今後は不要になっていくのかもしれない。
とはいえゲームに限らずどんなジャンルでも文化の差は存在するし、元の味わいを損なわない程度に馴染ませるのがローカライズという作業である。そういう意味では単に見た目を取り繕うだけでなく、より細やかなローカライズが求められる時代になったとも言えるだろう。
とりあえずはヘッドショットで頭がふっ飛ぶ描写を許可していただきたい。
頭部ふっ飛びがお前の言う細やかなローカライズなのかって?
バッカ野郎! こんなもん細やか以前の問題だろ! パンチラがアリで頭部爆裂がナシとかおかしいだろ! エロと暴力、どっちが需要あると思ってんだ!(日本では前者です)
※過去のゲームパッケージ更新更新
雑文その184・ゲームのパッケージについて語ろう 〜好き・嫌い編〜
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