13.02/26 その184 ゲームのパッケージについて語ろう 〜好き・嫌い編〜





 ここ最近、GameSparkにてカバーアートの話題が続いていた。ひとつは『BioShock:Infinite』のリバーシブルカバー選定に関するユーザー投票の話題で、もうひとつが閲覧者対象の「最もセンスが良いと感じたパッケージアート」投票。

 近年はゲームショップの棚からゲームを物色することも少なくなったが、それでもパッケージはゲームの顔というべき重要な位置づけだ。管理人も色々と思い入れがあるので、個人的に好きなもの、こいつぁクソだぜと感じたものについて書いてみようと思う。

 例によって長くなったので、いつものように章ごとのリンクを貼っておく。



・好きなパッケージ編
・駄目だろと思うパッケージ編
・まとめ
・余談


☆好きなパッケージ編


6位――『怒首領蜂 大往生』(PS2)



 STGファンにはお馴染みの極殺弾幕STG。画面を埋め尽くすような猛烈な弾幕と残忍な難易度を萌えキャラで誤魔化し……たつもりが大して誤魔化せていないゲームである。
 とはいえ敷居を下げる効果はゼロではなく、管理人もアーケード版稼働時代に「フッ、こんな媚びキャラを押し出すくらいだから素人にも優しいつくりであろうよ」とコインを投入したところ、1面ボスに弾幕で横面を叩かれ、涙目で席を立った思い出がある。

 それはさておきPS2版のパッケージはアーケード稼働時のポスターを流用したもので、破壊された戦闘機とそれに寄り沿うエレメントドール(ボム子ことショーティア嬢)という印象的なカットである。突き抜けるような青空と砂漠の対比が実に美しく、それでいて静かな死のイメージもまた漂う。まるでこの世界が彼ら2人のために用意された墓地のようでもある。
 この絵だけだとハードSF風の舞台で切ないストーリーが展開されるノベルゲーにも見えるが、パッケージの裏面にはデカデカと「死ぬがよい。」と大書されているので、多分騙される人はいないはずだ。

 ちなみに管理人が持っているのはこのPS2版ではなく、悪名高い360版である。

■参考(ギャラリー)
怒首領蜂 大往生 怒首領蜂 大往生



■参考(雑文)
雑文その70・怒首領蜂 大往生――初心者でも大往…大丈夫ですか?
雑文その136・ショーティアと学ぶシューティング格言




5位――『Toy Soldiers:Cold War』(XBLA)



 タワーディフェンス+シューティングの名作『Toy Soldiers』シリーズの冷戦編。XboxライブアーケードというDL専用タイトルなのでパッケージは存在しないのだが、一応それに類する絵である。
 ゲームそのものは前作と比較して極端にシューティング寄りになったとファンからは不評だったが、個人的にはその脳筋テイストと冷戦という舞台設定がとても好みだったりする。
 それを象徴するかのようなこのパッケージ! 軽機関銃を手にして睨み合う米ソ(米ロではない!)のコマンドー2人と、その背景にキノコ雲という80年代臭あふれる絵面がたまらない。21世紀になってこんなパッケージに出会えたこと自体が奇跡のようなものであり、その意味でも大のお気に入りである。

■参考(雑文)
雑文その154・Toy Soldiers:Cold War――狂気の時代のおもちゃ箱




4位――『真・女神転生』(SFC)



 「やくざをころしてへいきなの?」でお馴染みの悪魔系RPG。ちょっと違うって? いいんだよこれで。レアだけど実際ある台詞なんだから。
 それはさておき、ファミコンで出た前2作からビジュアル・音楽ともに大幅パワーアップを遂げた本作は、悪魔が跋扈する東京というオカルティックな舞台を見事に表現していた。日常が次第に悪魔に侵食されていく様子や、メシア教・ガイア教という宗教の姿を借りた秩序と混沌の相克など、DQやFFにはないカルトな雰囲気に引き込まれた人も多かったことだろう(例:管理人)。

 パッケージは見ての通り主人公たちを正面に据え、その背後に悪魔たちが集合したもの。こういう「全員集合!」的なデザインはとてもワクワクさせられるが、とりわけ世界各地の悪魔を取り揃えたごった煮感と、妖精から魔神クラスまで集合したスケール感はまさにメガテン的。
 初見のインパクトもさることながら、プレイ後にパーティーにいた仲魔の姿を見つけたりといった楽しみもある。とても優れたパッケージだと今でも思う。

 余談だが本作が発売された1992年はDQ5、FF5、ウィザードリィ5が発売されており、ゲーム誌ではこの4本を“4大RPG”として特集を組んでいた。スゲェ時代だったと今にして思う。



3位――『EAT LEAD〜マット・ハザードの逆襲〜』(Xbox360/PS3)



 「笑いと暴力のパロディシューティング」というコピーも秀逸なお笑いTPS『EAT LEAD〜』。純粋にゲームとして見た場合はせいぜい凡作という評価しか得られていないが、一番の売りであるパロディ部分は上出来。マスターチーフやマリオのそっくりさんやJRPGをパロったキャラが出たりと「ゲーマーのためのギャグゲー」を貫いており、主人公マット・ハザード氏の残念タフガイっぷりもあいまって他にはないオンリーワンの魅力を濃厚に醸し出している。
 またローカライズが実に良い仕事をしているのも特徴で、日本人には伝わりにくい洋ゲーネタも名詞を一部アレンジするなどして分かりやすくしている。ローカライズの出来としては今世代で間違いないくトップクラスであり、その意味でも奇跡のようなゲームといえる。

 パッケージは「マッチョ風のタフガイがデカい銃持ってポージング」という昔ながらの洋ゲー(DOOMやDuke Nukem等)のパロディであり、「気合十分だけどちょっぴり時代遅れ」な主人公のキャラをよく表している。全くこのゲームを知らなかった人でも「こいつぁタダモノじゃないな?」というオーラを感じたのではないだろうか。ついでに言うと、管理人のような「タフガイ+ごつい銃」が好きでたまらない人間にとっては無性にワクワクさせられる絵面でもある。

 とはいえゲームそのものにはパッケージのような脳筋テイストは全くない。これはパッケ詐欺云々を抜きにしても残念だった。発売された2010年当時でもすでに「カバーアクションありのTPS」はありふれた存在であり、それよりは大火力で敵の大群をなぎ倒していくゲームの方がよっぽどウケは良かっただろう。
 …しかし、マット・ハザードの設定が「落ちぶれた元・人気ヒーロー」であることを考えれば、ゲーム自体が微妙なのもある意味で説得力があるといえなくもない。

 ちなみに本作の続編である『マット・ハザードBBB』のパッケージ(に類する)絵がこちら。



 あまりギャグっぽさはないが、まぁこれはこれで。なおゲーム自体は魂斗羅風の横スクロール型アクションシューティングになっており、意外に手堅い作りである。

■参考(雑文)
雑文その109・EAT LEAD〜マット・ハザードの逆襲〜――ザ・楽屋裏大戦争




2位――『真魂斗羅』(PS2)



 今でも細々と続いている魂斗羅シリーズの、PS2における第1弾。名作と名高い『魂斗羅スピリッツ』(SFC)から実に8年ぶりに出た作品だった。
 それまでのパッケージはスタローンやシュワちゃんが大活躍していたアクション映画の雰囲気を濃厚に漂わせたものだったが、『真』では海外のコミックアーティストを起用して実に渋くてカッコいいデザインになっている。加えて毛筆風の“真魂斗羅”のロゴがこれまたカッコよく、眺めているだけで「ふふ…これぞ男のアクションゲームよ!」とテンションが上がってくる。

 実際ゲーム本編もやや色味を抑えた渋めのビジュアルで統一しているため、内容ともマッチしていた。ゲームの中身については、武器のパワーアップがないため若干地味だとか、撃破率の導入でプレイスタイルが窮屈になったとか、ストーリーがクソだとか(後付けで従来シリーズを茶番に貶めるような代物)不満点もあるが、雰囲気だけは今でも一番好きである。
 ステージ開始時の演出が飛ばせないのは減点要素だが、大型スクリーンをエアバイクでぶち破って登場したり、航空機からミサイルにつかまって飛んでみたりとカッコいいんだこれがまた。

 なお、この後に出たネオ魂斗羅(PS2)、魂斗羅DS(NDS)、魂斗羅ReBirth(Wii)は原点回帰ともいえるマッチョ臭さを前面に出しており、Hard Corps:Uprising(XBLA/PSN)は一転してアニメ風と、真魂斗羅の雰囲気を受け継ぐものは出ていない。
 Gears of Warのビジュアルが次第にカラフルになっていったことから見ても、彩度を低く抑えた絵面というのはあまり受けがよくないらしい。



1位――『BLACK』(PS2)



 2006年という徐々に洋ゲーが(日本で)知名度を上げつつあった時代のFPS。制作担当のCriterion Gamesはレースゲーム『バーンアウト』シリーズで有名なデベロッパーで、時速ウン百kmで街中をブッ飛ばして敵車両をブッ壊すゲームから華麗に転身、AK47をブッ放してブッ殺したりブッ壊したりするゲームを作り上げた。
 銃撃を受けたコンクリの柱が齧ったリンゴようにえぐれたりと破壊描写に凝っており、また危険なドラム缶に類する爆発オブジェクトがやたら豊富にあることも特徴。敵の耐久力は高めだが、銃の装弾数が妙に多い(AK47が60発装填)上に弾薬も有り余るほど豊富なので、細かいことは考えず撃って撃って撃って撃って撃ちまくって破壊する快感を味わえる。
 また銃声・爆発音は重くて迫力があり、それも脳内麻薬の分泌を助けてくれる。現在ゲームハードのマシンパワーははそれこそ桁違いに上昇したが、この撃ちまくる爽快感で『BLACK』に並ぶゲームはほとんどないのが現状だ。続編がないのが本当に惜しまれる。

 で、パッケージについてだが、実はこれ、管理人が所持している日本語版ではなく海外版のパッケージだったりする。弾薬に埋もれた「BLACK」のロゴというシンプルなものだが、痛快撃ちまくりなゲーム内容にふさわしく実に良い。
 ちなみに日本語版パッケージはこちら。




 うーん。微妙!
 海外版の方がハッタリが効いているし「人生に必要なのは銃と弾薬! 他は全部代用品!」的なメッセージ性みたいなものも感じる。とはいえまだFPSとTPSを混同する人も多かった時代、銃弾のみでは何のゲームか分からないという判断だったのかもしれない。
 かく言う管理人もこのゲームを通して「AK47」なる銃に興味を持ち、軍オタ予備軍への道を歩むことになった。その意味でも思い出深いゲームではある。



×駄目だろと思うパッケージ編


『フロントミッション・オルタナティヴ』(PS)



 スクウェア『フロントミッション』シリーズのひとつで、一部に根強いファン(管理人含む)がありながら、今日まで続編またはその流れを受け継ぐゲームが出ていない鬼子のような存在。
 1作目から遡り、二足歩行兵器WAW(後のヴァンツァー)が初めて実戦投入されたアフリカが舞台で、1997年当時では珍しいリアルタイムSLGだった。しょっちゅう地形にひっかかる味方AIなど至らぬ部分もあったが、無骨なロボット兵器がガションガションと行進する様は見ているだけでも楽しく、またビジュアルの美しさでも群を抜いていた。
 当時のポリゴン技術は今からすればお粗末なものだったが、角ばったロボットなら無理なく表現できたし、さらに「ポリゴンの描画が間に合わず遠方で建物がニョキニョキ生える」という現象をカバーするため、ゲーム画面の背景を真っ暗ではなく「ぼやけた遠景」の一枚絵を表示することで、見た目のおかしさを極力なくすという工夫も見られた。

 管理人がこのパッケージに何を言いたいか、もう分かってもらえただろう。革新的なゲーム性もビジュアルも、このパッケージからは何も伝わらない。しかも驚くべきことに、裏面は黒一色。ゲームの魅力を伝える気ゼロである。
 一応、こういうシンプルすぎるパッケージは他にも例がある。同じスクウェアのFF7も白地にタイトルのみ、裏はスクウェアのロゴのみとシンプルだったが、すでに超人気シリーズだったFFとは様々な意味で事情が異なる。
 前作までとは違う路線であるばかりか、類似のゲームがほとんどない野心的なゲームだっただけに、その内容を全く伝えようとしなかったのは犯罪的な怠慢という他ない。

 今となっては管理人も達観し、あの一見さんお断り的なパッケージも含めて『フロントミッション・オルタナティヴ』という異色作の味わいだと思うが、公平な目で見てどうかと言わるとやっぱり擁護は難しい。



『地球防衛軍3』(Xbox360)



 ぱっと見で伝わるこのダサさ。
 管理人はこのゲームを予約して買ったが、パッケージを目にした時に言いようのない不安を感じたことを覚えている。
 上記のFAのように、無地にタイトルのみというパッケージを良いとは思わないが、このようなやっつけ感全開のパッケージよりはいくらかマシだ。
 防衛軍はPS2のSIMPLEシリーズから一転、Xbox360にプラットフォームを移したことで、作業的には一から全て作り直しになったと聞いているが、人並みなパッケージを作るコストもないくらい逼迫していたのだろうか。

 敵である侵略者連中(フォーリナー)を散りばめて迫力を出そうという狙いは分かるが、そもそも防衛軍の敵キャラは何十匹という物量や見上げるような巨大さがあってこそ映えるもので、単体でポンと出してもさしたるインパクトはない。防衛軍というゲームの特色すらよく分かっていない、稚拙極まるパッケージだと思う。




※まとめ


 良いパッケージとは何だろうか。
 ひとつには、そのゲームの内容に見合ったワクワク感を与えることだと思う。それは期待感と言い換えてもいい。凶暴なエイリアンとドンパチするゲームなら闘争心を、ホラーゲームなら言い知れぬ不安を抱かせるようなインパクトが欲しいし、美少女と恋愛するゲームなら「僕は君に会うために生まれてきたのかもしれない」というパッションを掻き立てるようなものであってほしい。
 怒首領蜂大往生のように既存のイメージから離れることで強い印象を与える手法もあるが、奇をてらわない直球勝負ならゲームの中身を類推できるようなパッケージが望ましい。

 そのあたりを考えると、期待作『Bioshock:Infinite』のパッケージが批判されたのも分かろうというものだ。




 まぁオーソドックな作りであり、主人公もカッコイイ。
 ただ、このパッケから連想されるゲームの姿は「銃を手にしたタフガイが大暴れする」というもので、凡百のアクションシューターと変わるものがない。Bioshock Infiniteの売りである、天空都市コロンビアというファンタジックな舞台や、謎の少女エリザベスとの出会いといった冒険への期待感が存在しない。例えるなら「天空の城ラピュタ」のポスターで主人公のバズーだけを大写しにするようなものだ。
 このゲームの制作を指揮したKen Levine氏は、この絵をパッケージに選んだ理由を以下のように、述べている。


私はサラダドレッシングを使うけれど、サラダドレッシング・ウィークリーは読まない。誰がそれを作ったか気にしないし、サラダドレッシング・ビジネスの著名人が誰かも知らない。いくらかの人達にとってはゲームはサラダドレッシングのようなものだ。あるいは映画、TV番組もそうだね。これは我々にとって明確な現実の直視だ。

doope!


 つまり、ネットやゲーム誌で情報を集めているゲーマーだけでなく、ゲームショップで始めてBioshock:Infiniteを見た人にもアピールできるようなパッケージにしなければならない、という意味のようだ。
 管理人は上に挙げたような理由で、このパッケージでは凡百のシューターとしか思われないだろうと考えたが、海外では「銃を手にしたタフガイ」といういささか見飽きたスタイルが、今も安牌として通用するということなのだろう。

 個人的にはせめてこっち↓にしとけよと思ったがな…。




 古い話だが、あっちの連中は幻想的なアドベンチャーゲーム『ICO』をわんぱく感丸出しの生々しいパッケに変えた前科がある。ゲームの分野に限っていえば、どうも脳筋寄りのセンスに偏りがちな気がする。




※余談


 上では『Bioshock:Infinite』のパッケージに意義を申し立てたが、主人公をデカデカと載せること自体は正しいと思う。なぜならFPSにおいてプレイヤーは自らの分身たる主人公を目にする機会がほとんどないからだ。
 主人公=自分というのがFPSの特色とはいえ、大方のタイトルではちゃんと「主人公キャラ」が設定されているし、実際マスターチーフやフリーマン博士というカリスマ的な主人公も存在する。制作側も「主人公キャラなんてどうでもいい」などと考えてはいないはずだ。
 であるならば、感情移入を助けるためにもパッケージ絵くらいは主人公を大きく載せた方がいいには違いない。

 その意味で度肝を抜かれたのが、日本語版発売が間近に迫った『FarCry3』のパッケージだ。





 この、画面下部に埋められている奴が主人公であるという事実には今なお驚きを禁じえない。
 平凡な青年がイカれた悪党相手にサバイバルというゲームの主旨と合致しているし、その意味ではパッケージとして秀逸だと思うが、主人公のジェイソン君(イケメン)には同情せざるを得ない。



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