頻出用語集
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・索引→ (あ〜な) (は〜わ) (カテゴリー別)
か行

 【神はバラバラになった】(ゲーム関連)
 【ガン=カタ】(映画関連)
 【ギーガー】(画家)
 【魏延】(三国志)
 【危険なドラム缶】(ゲーム関連)
 【北方三国志】(三国志)
 【君と余だ】(三国志)
 【キャンパー】(ゲーム関連)
 【クロウ-飛翔伝説-】(映画)
 【鶏肋(けいろく)】(三国志)
 【黄承彦】(三国志)
 【黄夫人】(三国志)
 【コナミレディ】(ゲーム関連)
 【コナミワイワイワールド】(ゲーム)
 【これも生き物のサガか…】(ゲーム関連)
 【魂斗羅】(ゲーム)


神はバラバラになった
 (ゲーム関連)(出典:魔界塔士Sa・Ga)


 ゲームボーイ初期のRPG『魔界塔士Sa・Ga』には武器として「チェーンソー」が登場する。当たれば即死、外れればノーダメージというバクチ的な代物で、普通ならこの種の武器をボスキャラに使おうとは思わない。だが、このゲームではなんとラスボスである「神」にこのチェーンソーが効いてしまった。その際のメッセージが「神はバラバラになった」である。
 ラスボスに即死武器が効いたという驚きもさることながら、万物の創造主たる神がチェーンソーで挽肉にされるという衝撃がこのメッセージに一種ニヒリスティックな響きをもたせ、今に至るまで語り継がれるようになった。

 「ボスに即死武器は効かない」という常識を破るこの仕様は、絶対的な存在であるはずの“神”に反逆するという魔界塔士Sa・Gaのテーマをゲーム的に落とし込んだものと解釈することもできる。
 このゲームは初期版にいくつかのバグがあったため、後の出荷ではそれらを修正したバージョンに差し替わっている。だがチェーンソーの仕様はそのままであることからも、制作側の明確な意思を感じることができる。

関連:【これも生き物のサガか…】  【魔界塔士Sa・Ga】


ガン=カタ
 (武術)(出典:リベリオン)


 ディストピア的管理社会を舞台にしたSFアクション映画『リベリオン』に登場する、銃を使った戦闘術。銃撃に武術の「型」を組み合わせ、統計学的に打ち出された「最も効果的な回避ポイント」 「最も効果的な攻撃ポイント」を見切ることを極意とする。ガン=カタを極めた者はたった一人で武装した多数の敵を殲滅することが可能。体制側のエージェント「グラマトン・クラリック」 のみに習得が許される。

 修練の様子

 アクション映画の暗黙の了解である「雑魚の弾丸は主人公に当たらない」法則と「曲芸撃ち」 に一応の理由を付けて発展させたアイデアであり、二挺拳銃というガジェットのひとつの到達点ともいえる。
 映画の魅力の大半はこのガン=カタに占められており、映画の脚本そのものもガン=カタの魅力を引き出すことに注力していた。冒頭ではおぼろげにその威力を見せるにとどめ、中盤〜終盤にかけて多数の敵を薙ぎ倒す見せ場をつくり、ラストにガン=カタ使い同士の零距離銃撃戦を持ってきている。
 観ている側は「なんだかよく分からんがスゴそう」→「うおおおガン=カタすげえ!」→「ところでガン=カタ使い同士が戦ったらどうなるの?」→「うおおおおタイマンすげええ!!」と興奮度のボルテージが上がる。この構成は見事という他ない。



 ガンファイトというくくりで見れば異端だが、既存の銃撃戦にあてはまらないヒロイックな描写は日本のサブカルチャー界隈で大ウケし、当時はこの「ガン=カタ」を意識したアクションがよく見られた。漫画やアニメでの模倣は枚挙に暇がなく、ゲームではPS2のSRPG『ナムコクロスカプコン』(2005)の主人公が名前もそのまんまな「銃の型」なる必殺技を使う。

 「銃の型」。相方から「ほんとど大道芸じゃのう」と突っ込みが入る

 シメのポーズは初披露シーンのパロディ

 ちなみにこのアイデアを考案したのは監督・脚本のカート・ウィマーだが、妻子が留守のときに裏庭でガン=カタの練習をしたそうである。

関連:【リベリオン】  【二挺拳銃】


ギーガー
 (画家)
 H.R.ギーガー。1940-2014。スイス出身の画家で、映画『エイリアン』のデザインを担当し、一躍有名になった。無機的でありつつ生物的な艶かしさを備えた“バイオメカ”とも称される作風が特徴。おぞましくも美しい悪夢的なビジュアルはその後のサブカルチャーにおける「異形」や「異界」のイメージに大きな影響を与え、さまざまな分野で模倣されるに至る。
 ゲーム分野ではPCエンジンのRPG『邪聖剣ネクロマンサー』(1988)のパッケージに作品が起用されたほか、ギーガーがアート全般を担当したAVG『ダークシード』がPCと家庭用機でリリースされている(日本ではセガサターン版のみ1995年発売)。

 『邪聖剣ネクロマンサー』
 『ダークシード』

 ギーガー本人が関わったタイトルはわずかだが、魔界や地獄、異形といったテーマを扱った作品にはギーガーの影響が見られるものが現在も少なからず存在する。
 ちなみに彼の画風の根底にあるのはエロティシズムだという。「エイリアン」が男性器を模してデザインされているというのはよく聞く話だが、それ以外にも男女の性器の結合をモチーフにした絵(もちろんバイオメカ風)など、エロティックな絵は確かに多い。
 なんでも少年時代のギーガーは列車や銃などのメカニカルなものがが大好きだったそうだが、性に目覚めたころからそれらへの興味が失せ、性への欲求を絵にぶつけるようになっとのこと。その頃の性衝動は彼自身もてあましていたらしく、「授業中に自慰をすることもあった」と益荒男ぶりもはなはだしいエピソードをインタビューで語っている。
 やはり抑えられないくらいのナニかがないと、一世を風靡するようなクリエイターにはなれないのかもしれない。


魏延
 (武将)(出典:三国志)
 荊州義陽郡の人。字は文長。もとは韓玄に仕えていたが、裏切って劉備のもとへと降る。有能な武将で、劉備の信任も篤かった。しかし孔明は彼がキライだったらしく、投降してきた際に「彼には反骨の相があります。いずれまた裏切るでしょうから、処刑してしまいましょう」と劉備に進言しており、劉備の死後には戦のドサクサに紛れて抹殺しようともした。

 小説等からは「無骨でガンコそうなおっさん」というイメージが強いが、三国無双シリーズではどういうわけかザンバラ髪に仮面、カタコト喋りというなんだかプレデターみたいなナリにされている。

関連:【プレデター】


危険なドラム缶
 (ゲーム関連)
 FPS/TPSなどに多く登場する、撃つと爆発する愛すべきドラム缶。 赤く塗装されていることが多く、その他のドラム缶と容易に見分けられる。爆発の範囲・威力はおおむねそのゲームにおける爆発系武器(手榴弾など)と同程度で、うまくやれば複数の敵を巻き込んで始末することが可能。
 敵がこの危険なドラム缶の周囲にいる時はプレイヤーにとって舌舐めずりしたくなるほどオイシイ状況なのだが、敵自身はこのドラム缶の危険性について認識が十分でないことが多く、ゲームによっては銃撃を避けようとこの爆発物の陰に隠れたりする。
 この種の爆発オブジェクトで最も一般的なのは「赤いドラム缶」だが、ゲームによっては火薬樽やガスボンベなどの類似品があり、珍しいものだとクーラーの室外機やジュースの自販機も銃撃で大爆発を起こしたりする。
 現代を舞台にしたものだと自動車も爆発オブジェクトとして定番だが、実際には流れ出たガソリンに引火でもしない限り爆発はしないらしい。

 FPS/TPSファンには馴染み深い存在ながら、中に何が詰まっているか論じられることはほとんどない。 極めて高い引火性を有するところから推測して、夢とロマンの混合物ではないかと思われる。

関連:【TPS】  【FPS】  【BLACK】

北方三国志
 (小説)(三国志)


 ハードボイルド作家・北方謙三が手がけた「三国志」小説。北方三国志とは通称である。
 北方作品に通底する「男は誇りのために生き、誇りのために死ぬ」という美学を三国志にそのまんま持ち込んでおり、人物描写もそれに伴って他では見ない味付けがなされた。例えば呂布は戦いのみを追い求めるストイックな武人として描かれており、当時まだ「腕は立つけどすぐ欲に目がくらむ残念豪傑」というイメージが強かった呂布像を大きく変えた。
 恭順を促す曹操の申し出を蹴り、己の誇りを貫いた最期は全編通して1、2を争う名場面であり、北方三国志の話題では必ず語られる。

 また、それ以上に独自色豊かに造形されているのが劉備だろう。筵売りから兵を起こし「徳の将軍」として声望を集めつつも、実はそれを計算ずくで行っているというしたたかな人物に描かれている。他の群雄に比して唯一のアドバンテージである“声望”を武器として活用しているわけで、天下を目指すにあたり現実的な戦略を持っていることの表れでもある。そのくせ芯の部分はむしろ一本気であり、人徳者を装うことに割り切れない思いを抱えるなど、策謀一辺倒ではない人間性もまた魅力だった。
 演義ベースの劉備は、ややもすれば本人の人気だけで周りが勝手に盛り立ててくれる「アイドル群雄」のように描かれたりするが、北方劉備は天下を目指す道筋と方策を明確に描いて実行しており、仁徳よりも行動で人を惹きつけるキャラクターという面が強い。また「優れた野戦指揮官」という武将としての能力の高さもクローズアップされており、物語の序盤、転戦を続けながら勝利を重ね、声望を高めていく過程にリアリティをもたせている。

 北方三国志でも関羽や張飛といった豪傑の超人的な勇猛さは変わらないが、それ以上に「集団として兵を動かす能力」が重視されており、さらには兵士一人ひとりのフィジカルとメンタルな強さも重視するなど、戦闘面における掘り下げは他の三国志モノと比較しても抜きん出ている。

 演義ではなく正史をベースにした物語なども読みごたえがあるが、上記のように人物のキャラ付けが独特なため、三国志の初心者にはちょっとお勧めしづらいのも確かだ。
 なお、実はPS2でゲーム化もされていた。



 管理人は未プレイだが、ジャンルは戦略SLGでもアクションでもなくフルボイスのビジュアルノベルとのこと。原作を完全再現し、当然シナリオ分岐などもないので「原作小説の朗読ソフト」という感じらしい。
 レアな代物なので、ファンアイテムとして価値は大きそうだ。


君と余だ
 (キメ台詞)(出典:三国志)
 三国志における落雷をおこす呪文。頭角をあらわしつつある劉備を警戒した曹操が、酒の席でカマをかけるのに使った言葉。

曹操「今の世の中で英雄と呼べる人物は誰々がいると思う?」
劉備「さて、どなたでしょう。見当もつきません」
曹操「それは君と余だ」


 我が野心を見透かされたか?と危ぶんだ劉備はタイミングよく雷が落ちたのを幸い、箸を落っことして雷鳴に怯える演技を披露。そのあまりに真に迫ったヘタレっぷりに、曹操は「この程度の人物か」と見くびってしまい、後に禍根を残すことになる。

 余談だが、『ランペイジ』という劉備を男装美少女に設定した三国志漫画があった。残念ながら掲載誌が休刊になり、多くの伏線を残したまま黄巾の乱の終結で打ち切りとなったが、単行本にその後の展開が軽く触れられており、その中にこの落雷のくだりもあった。
 どういうものかというと「落雷に怯えて曹操に抱きついてしまう」というもの。
 男装してることも忘れて抱きついちゃう劉備が大変可愛い。描かれていたのはこの数コマだけだが、コレ曹操もびっくりしただろうなとか、劉備の妙に細くて柔らかい体の感触とか髪の匂いとか思い出して悶々としただろうなとか想像するとご飯が美味しい。

 ヤングマガジンアッパーズKC版(全3巻)

 FlexComix版(全3巻)

 劉備が大変可愛い。とても大事なことなので繰り返しました。ちなみに1巻に描かれている兄ちゃんは主人公の張飛である。虎ヒゲの豪傑ではない張飛というのも新鮮だが、そもそも張飛が主人公の三国志漫画というのもちょっと他に例がない気がする。


キャンパー
 (ゲーム)(人種)
 FPSにおいて、特定の場所に陣取って獲物を待ち続ける(キャンプする)プレイヤーのこと。その性質上スナイパーが多く、蔑称である「芋スナ」と同じように使われるたりもする。
 キャンプは戦術のひとつであり、それ自体が非難されるものではない。しかし、チームの状況に目を配らず、苔を生やしたように動かないキャンパーは味方から白い目で見られやすい。正確な統計があるかどうかは不明だが、日本人はこの手のプレイヤーが多いと言われる。
 世の中には多くのFPS/TPSがあり、それぞれゲーム性も違うのだが、キャンパーや芋スナをめぐる問題は多くのゲームで共通しているのが面白い。

 キャンパーとは逆に無謀な突撃を繰り返しては死にまくるプレイヤーもチームの足を引っ張る存在なのだが、どちらがより役立たずかはゲームによっても対戦ルールによっても変わるので一概にどうとは言えない。ただキャンパーも突撃野郎も大抵「俺の方がアイツよりマシ」と思っており、お互い仲は悪い。
 ちなみに管理人は突撃野郎に分類される。

関連:【芋スナ】  【TPS】  【FPS】

クロウ-飛翔伝説-
 (映画)


 1994年に公開されたアメリカンコミック原作のアクション映画。
 荒廃しスラム化が進むデトロイトでは、ハロウィン前夜“悪魔の夜”に放火をはじめとする破壊行為が横行していた。結婚式を明日に控えていたエリックとシェリーもこの狂乱の中でギャングに殺されてしまう。だがエリックは1年後に冥界の死者であるカラスの導きで蘇り、自分と愛する者を殺したギャングたちに復讐を開始する。

 主演を務めたブランドン・リーの圧倒的な存在感、スタイリッシュな映像美はその後のダークヒーローアクションに大きな影響を与え、今なおこのジャンルでは伝説的な作品として語られている。

 (1)死の影がまといつく作品
 (2)幻想の映像美
 (3)物語を彩る人物たち
 (4)原作について
  ・概要
  ・原作のエリック
  ・原作のギャングたち
  ・その他の人物
  ・ガブリエル
  ・まとめ

(1)死の影がまといつく作品
 本作は公開前から大きな話題を集めた。主演のブランドン・リーが撮影中の事故で死亡し、この作品が遺作となったことでその悲劇性がセンセーショナルに報じられたからである。また当時珍しかったCG技術を導入して残りのフィルムを完成させたことも注目され、様々な点で「いわくつきの作品」として喧伝された。
 原作コミック『The Crow』も著者であるジェームズ・オバーが婚約者を喪った悲しみの中から生まれた作品であり、『クロウ』はその誕生の時点から因縁深く「死」がまとわりつく作品だったといえる。

 なおブランドンの命を奪った“事故”は、銃で撃たれるシーンで空砲のはずの銃に実弾が込められていたことによる。この時ブランドンを撃ったのはギャングの一人「ファンボーイ」を演じたマイケル・マッシーで、彼も2016年にガンにより死去している。

(2)幻想の映像美
 本作の舞台はしばしば「近未来」と紹介される。黒々とした街のビジュアルは『ブレードランナー』をに通じる部分がなくもないが、本作の都市(スラム)は猥雑さよりも墓標を思わせる朽ちた雰囲気が漂う。
 夜の闇、降りしきる雨、そして炎。これらの要素が絡み合い、薄汚れた街角はどこか幻想的な空間となって見る者を引き込む。このビジュアルあってこそ、死者の復活と復讐というゴシックロマン的な物語に現代的な吸引力が生まれたといえる。


窓辺に立つ主人公のアップからカメラが引き、退廃的な街並みを見せるカット

 炎で描かれたクロウのサイン
 逆光の中で窓辺に立つエリック。雨が印象的

 この映像美は公開から20年以上が経った今も色あせない。日本で「スタイリッシュ・アクション」という言葉が盛んに使われるようになったのは『マトリックス』(1999)以降だが、陰影の妙を世界観にまで昇華させた映像美は『クロウ』が傑出しており、今なおスタイリッシュアクションの金字塔として君臨している。

(3)物語を彩る人物たち
 本作は都市そのものが大きな存在感をもって描かれているが、登場人物たちもそれぞれ強烈な個性を発揮している。
 特に主演のブランドンは、残忍な復讐者でありつつ哀しみを内に秘めたヒーローを見事に演じきった。ピエロのメイクで自分を道化に擬したエリックの容貌は、復讐の対象を前にした時は残忍な笑みを浮かべた死神さながらであり、一方で事件の真相を探る警官やかつての知人である少女を前にした時は哀しみを隠して笑っているように見え、エリックが抱える怒りと憎しみ、そして悲哀を見事に表現していた。



 そして何より、あらゆるシーンにおいて体の動きが美しい。アクションシーンにおける激しい動きはさすがアクションスターといったところだが、情感のこもるゆっくりとした動きも秀逸だ。例えば物語冒頭、ピエロのメイクを施したエリックが窓辺に歩み寄るシーンはカメラワークの見事さもあいまって毎回目を奪われる。

 本作の魅力はエリック=ブランドンの魅力に負うところが大ではあるが、バイオレンスアクション好きとしては悪党たちの迫力も見逃せない。エリックらの命を奪ったギャングたちはもちろん、彼らを束ねる黒幕「トップ・ダラー」、その片腕である大男「グランジ」、金に汚い質屋の「ギデオン」等々、重要人物からかませ犬までクセのある悪党が揃っている。
 名前のない端役のギャングたちも退廃的な世界観を盛り上げるのに一役買っており、彼らの会合にエリックが乗り込むシーンは本作でも1、2を争うハイライトである。



 こうした絢爛たる悪党たちとの戦いを傑出した映像美で魅せるのが本作の魅力だが、エリックに手を貸そうとするアルブレヒト警部、エリックとシェリーの友人だった少女サラといった“善き人々”の存在も大きな意味を持つ。
 特にサラはエリックが自身の復讐とは別に手を差し伸べる人物であり、その「寄り道」は終盤で彼自身へのツケとなって表れる。だが彼女の存在あってこそエリックは復讐心と優しさが同居する人間的な振れ幅を持つキャラクターとなり、それが最終的に本作を“愛の物語”としてまとめ上げた。

 サラ。シングルマザーの母、ダーラとの関係は冷え切っている

 『クロウ-飛翔伝説-』は暴力に満ちた復讐譚であるが、物語としての色合いは暗いものではない。根底にあるテーマは死して後も滅びることのない愛、そして世界を善き方向へ導こうとする切なる願いだ。
 エリックは復讐を果たすために――作中の言葉を借りれば“過ちを正すために”蘇り、そして最後は愛する者の元へと還っていく。凄惨な復讐劇の結末としてはあまりに美しく、そして優しい。

 そのラストシーンは、エリックを見事に演じきったブランドン・リーが帰らぬ人となった事実も想起させずにはおかない。本作のヒット後いくつもの映画続編やTVドラマシリーズが作られてきた。さながら「クロウ」を再び墓から引っ張り出そうという試みだったが、結局はこの作品の圧倒的な完成度を知らしめるだけに終わっている。
 新しいクロウを観たい気持ちもないではないが、あれを超えるものはもう二度と創れないだろうとも思う。それならいっそ、墓の中で静かに眠らせておいた方がよいのかもしれない。

(3)原作について

・概要
 1989年に刊行されたジェームズ・オバーのコミック『The Crow』が全ての始まりである。
 エリックの復活と復讐という筋書きは映画と同様だが、ストーリーラインはほぼ別物。また作風にも違いが見られ、原作は暴力がかなり直截に描かれている。映画のバイオレンス描写は凄惨に見えてきわどい部分はカット割りなどでぼかしているが、こちらは頭部が吹き飛んだり体が切断されたりといった肉体の破壊描写がまざまざと描かれる。

 ルーフ越しのショットガン射撃で頭の上半分が吹き飛ばされた悪党

 原作のエリックとシェリーは車が故障した際に通りかかったTバードらに襲われ殺されているが、その描写も映画版より生々しく陰惨である。それを受けてかエリック自身も容赦のないキャラクターになっており、悪党から情報を聞き出す際には残忍な手口をちらつかせたりと、映画版よりもダークで凶暴な「クロウ」となっている。

 初っ端からコレである。映画版にこの残忍さはない

 ギャング相手には絶対的な恐怖としてのポジションを堅持するエリックだが、彼を苦しめるのはシェリーとの想い出、そして彼女を喪った記憶のフラッシュバックだ。この想い出のシーンは時に水彩画のように淡いタッチで描かれ、暴力にまみれた“現実”の硬く強い描線と鮮やかな対比を成している。
 ハードな暴力描写と耽美的ともいえる詩情の対比は映画にも継承されているが、そのコントラストは原作の方がより鮮明と言えるだろう。

 以下、原作の主な人物について映画版との違いを列挙していく。

・原作のエリック


 主人公のエリックは「カラスの導きで蘇った復讐者」という設定が原作と映画で共通しており、基本的に大きな違いはない。ただし原作では「不死身の肉体」のみを特殊能力としており、記憶の読み取りなどの力は持っていないようである。
 映画版ではロックミュージシャンという設定だが、原作ではバレエダンサーらしき描写が散見される。映画版を作るにあたり、制作スタッフの中から職業をミュージシャンにしようという案が出た際、「原作に忠実であるべき」とする意見もあったが、ジェームズ・オバーに相談したところ、ミュージシャンという案を面白がってギターを抱えたエリックの絵まで描いてくれた、と音声解説で触れられていた。
 なおエリックの名前はファーストネームしか明らかにされておらず、「ドレイヴン」という苗字は映画独自のものである。音声解説によれば「D+Raven(レイヴン=ワタリガラス)」という着想から生まれたとのこと。
 また蘇って後は両眼の色が異なっているが、作中では特にそのことは触れられていない。

・原作のギャングたち
 復讐対象のギャング連中もトップ・ダラー、Tバードといった映画と共通するキャラクターが登場するが、役どころは微妙に異なっている。例えギャングをまとめる悪党の首魁という役どころはTバードが担っており、原作のトップ・ダラーは末端の売人をまとめる小悪党にすぎない。

 原作のトップ・ダラー。髪型だけは共通しているが…

 街の支配者でありつつ破壊と混乱を愛するという強烈なキャラクターは映画オリジナルである。結果としてマイケル・ウィンコット演じるトップ・ダラーはエリックの向こうを張る悪の首魁として物語終盤を大きく盛り上げており、映画における良アレンジのひとつに数えられる。
 その他のギャングも大なり小なり映画版とは異なるが、例外的に質屋のギデオンは外見から登場場面に至るまで非常に再現度が高い。

 質屋のギデオン。帽子も完全再現

 店をエリックに吹き飛ばされるあたりも同じだが、原作ではエリックに殺されるため出番そのものは少ない。映画版はメッセンジャーという作劇上おいしい役どころを与えられているので、なんだかんだでトップ・ダラーの次に株を上げたキャラクターといえる。

・その他の人物
 映画では重要人物であるアルブレヒト警部、サラも原作には登場しない。ただし原型となったキャラクターはおり、アルブレヒトはエリックとシェリーの殺害事件を捜査していた「フック警部」と新米の現場警官「アルブレクト」を合わせたキャラクターである。
 サラの原型はネグレクトを受ける少女の「シェリ」。エリックと面識はなかったが、シェリーと名前が似ていたことがきっかけで言葉を交わす間柄になった。彼女に指輪を託すシーンは映画版にも引き継がれている。

 シェリ。サラの3倍くらい幸薄い

・ガブリエル
 映画版ではエリックとシェリーの飼い猫として登場した白猫のガブリエルだが、原作にも登場している。ただし最初から飼い猫だったわけではなく、エリックが復活後、猫を飼いたがっていたシェリーを偲び「プレゼント」として購入している。

 ガブリエル。短い間だがエリックと共同生活を送る

 エリックとのツーショットも多く、結構出番には恵まれている役どころだ(おそらくジェームズ・オバーは猫好きなのだろう)。映画版ではちょっとしたアクセントに過ぎないが、いるだけで和むという点で貴重な癒し要員ではあった。

 ガブリエル他2名

 映画版では最終的にガブリエルがどうなったかは不明だが(サラが引き取ったのかもしれない)、原作ではエリックが最後の戦いに赴く際、メッセージカードと共にフック警部に託した。ただしフックは猫が苦手らしい。

 幸せになってほしい


・まとめ
 原作と映画を比較すると、映画版はエリック独自の能力を持たせたり、強大な敵を用意したりと起伏に富む展開になっている。原作はそうした派手さがない代わりに、エリックの内面の葛藤に尺を割いている。エリックはシェリーと過ごした日、彼女を喪った時の事を夢うつつの中で回想し、苦悶する。その姿はまるでこの罰を受けるために蘇ったかのようだ。
 この痛みを抱えながらの戦いは次第に激しいものとなっていき、終盤に近付くにつれ筆致も細かく鬼気迫るものとなる。最後に残ったTバードとその一味を壊滅させる最終決戦は、文句なく作中一番の迫力だ。
 全てに決着を付けた後、雪の積もる墓地で迎える静謐な終わりは映画版と同様「永遠の愛」へと帰着する。血なまぐさい狂熱の後に残るこの美しさこそ、映画版とも共通する『クロウ』の真骨頂だろう。

 筋書きこそ映画版と大幅に異なる原作だが、細かい台詞やシチュエーションは形を変えつつ映画版にも取り入れられている。おそらく原作から入って映画を見た人は「この台詞がこんなところで!」と感心する場面が多々あったのではないだろうか。
 邦訳版は94年出版とあって入手方法は限られるが『クロウ-飛翔伝説-』のファンなら必携の一冊といえるだろう。できることなら、電子書籍化などで多くの人が手に取れるようになってほしいものだ。

関連:
【悪魔の夜】  【トップ・ダラー】  【なんてこった…てめえ、キリストかッ!】
鶏肋(けいろく)
 (ひとりごと)(出典:三国志)
 メシ時に唱えると有能な部下が先走りしてしまう不思議な呪文。
 漢中攻めに苦戦していた曹操が食事中につぶやいた言葉で「鶏のあばらは捨てるには惜しいが、肉が少なく食いでがない」という葛藤を漢中攻めのコスト&リターンになぞらえた。何気なく口をついて出た言葉だったが、それを伝え聞いた参謀の楊脩は「丞相は撤退を考えておられる」とその心理を推察し、撤退の準備を進めた。だがこれを知った曹操は、楊脩の才覚に恐怖を覚えて処刑してしまう。

 吉川三国志では晩年の曹操の狭量さを示す事例としているが…ボヤきひとつにもひねりを加えてしまう曹操の詩人っぷりが微笑ましくもある。


黄承彦
 (人物)(出典:三国志)
 こうしょうげん。孔明の妻である黄夫人の父。孔明からは岳父(義父)にあたる。吉川三国志では、劉備が孔明に会おうとするくだりで登場。気さくな好人物として描かれていた。
 その後読者からはほとんど忘れ去られるが、物語終盤、孔明が陸遜を奇門遁甲八陣に誘い込んだ時に再登場。陸遜に遁甲陣からの脱出法を教えるという余計な真似をやらかし、「何してくれてんだよお前!?」と読者を混乱させた。
 脱出困難な遁甲陣に平気で入ってきたり、脱出法を知っていたりと仙人みたいな登場の仕方だが、娘が片付いたあと修行でもしていたのだろうか。
 そういえば三国志に出てくる仙人にはロクなやつがいない。

関連:【黄夫人】


黄夫人
 (人妻)(出典:三国志)
 黄承彦の娘で孔明の妻。非常な才女で、数々の器械を発明したという伝説がある。ただ、その容貌はいまふたつくらいだったらしい。史書には「赤毛で色黒」と記されているそうで、それだけであまり可愛くなさそうだと想像するに足る。しかし吉川三国志の「父親を少し可愛らしくしたような顔」という表現よりはマシだと思う。
 もっとも現代日本の三国志モノではそれなりに美女化されるのが常であり、三国無双シリーズでは「黄月英」という凛々しい女武将に、漫画『龍狼伝』では「月英(ユエイン)」という褐色肌の美女になっていた。
 世の中には三国志の武将すべてが美少女になっていたり、そのあおりを受けて貂蝉がマッチョ男にされたりするような作品もあるので、それに比べれば誰もが幸せになれる、良心的なアレンジといえるだろう。

関連:【黄承彦】


コナミレディ
 (ゲーム関連)(出典:コナミワイワイワールド)


 ファミコンゲーム『コナミワイワイワールド』主人公の一人で、2プレイヤー側のキャラクター。シナモン博士が作り上げた女性型戦闘アンドロイド。相方のコナミマンは「隠しキャラ」としてコナミのゲームにちょくちょく登場していたが、コナミレディは本作が初登場となる。

 (1)ファミコン屈指のソフトエロス
 (2)年齢設定(?)について
 (3)ゲームブック版について
 (4)その後のコナミレディ
 (5)まとめ

(1)ファミコン屈指のソフトエロス
 コナミの歴代ゲームで最高のヒーローは誰か?と聞かれて「コナミマン」と答える人間はまずいないが、最高のヒロインは?と聞かれて「コナミレディ」と即答する人間は存在する。水着同然の高露出度を誇るコスチューム(もっとも当時は珍しくなかったが)、や華麗なキック、頭部の羽飾りなど、そのキュートさは当時の純朴な少年たちの心をがっちり捉えた。
 わけても通常攻撃であるキック…というかお尻からふともものラインは秀逸な出来であったといえる。



 露骨なエロではないが、ついつい目が行ってしまうというソフトエロスの極致として、当時の少年たちのハートと瞳をとらえて放さなかった。
 小学生くらいの男子にとって「女性キャラクターを使用すること」は恥ずかしいことであり、コナミマンとコナミレディのどちらかを選べと言われたら前者を選ぶのが当たり前だった。だが、口では格好をつけても心の中ではいつだってエロスを求めていたのだ。そんな少年たちにの瞳にコナミレディがどれほど眩しく映ったか、説明するまでもないだろう。
 なお少年たちがコナミレディを選ぶ際の言い訳として「コナミレディのキックは(コナミマンのパンチより)リーチが長いから」というものがあったが、実際には同じである。

 なおアンドロイドでありながら死亡するとその体が花に変化し、散っていくというメルヘンな演出がされていた。こうした儚さも、単なるセクシーキャラにとどまらない魅力を付与していた。

(2)年齢設定(?)について
 かつて徳間書店から発刊された攻略本『必勝完ペキ本 コナミワイワイワールド』では各キャラクターの年齢・身長・体重・血液型が掲載されており、それによればコナミレディの年齢は18歳となっている。

 モアイの体重はさすがに重すぎやしませんかね…

 製造から18年経過しているとは考えにくいので、シナモン博士が「18歳くらいの女の子をイメージして造った」と考えるのが妥当であろう。コナミマンの年齢が16歳とされていることから、ヒロインたるコナミレディが、少なくとも外見上は「年上のセクシーなお姉さん」と位置づけられていたことがわかる。
 と言ってはみたものの…ファミコン時代の攻略本は編集元がキャラクターイラストを独自のデザインで描きおろしたりなど今より自由に作られており、元のゲームも設定を作り込むケースは稀だったので、この年齢を公式設定としていいものかどうか若干の疑問は残る。

(3)ゲームブック版について
 かつてコナミは自前で出版部門を抱えており、自社ゲームのゲームブックを出版していた。コナミワイワイワールドもゲームブック化されているが、そちらのコナミレディのデザインはゲーム版と違い、ビキニアーマーに近いものになっている。

 劇中、シモンといい雰囲気になる

 自社媒体でさえキャラデザにぶれがあるのだから、上記の年齢設定においてもさほど厳密に取り決められたものではないのかもしれない。
 なおゲームブックは「コナミマンルート」と「コナミレディルート」がそれぞれ別に収録されており、コナミレディの方は彼女が戦ったりピンチに陥ったりと期待通りの活躍をする良作であり、読者である少年たちにとってコナミレディの存在を大脳基底核に焼き付ける一助となった。

(4)その後のコナミレディ
 コナミの看板キャラクターが集合した「コナミワイワイワールド」においてもコナミレディは確固たる人気を獲得していたはずだが、プレイヤーキャラとして登場したのはこれ1作のみで、以後はチョイ役として顔出しする程度にとどまっている。

『ワイワイワールド2 SOS!!パセリ城』('91)のステージ選択画面
『がんばれゴエモン〜ゆき姫救出絵巻〜』('91)のゲームセンター

 90年代を最後にほぼ忘れ去られていたコナミレディだが、2011年にXbox360でリリースされた『オトメディウス エクセレント!』の追加ステージ「聖グラディウス学園」のボスとして久しぶりの登場を果たした。



 まさかのレディ参戦に驚喜した人は多かったが「教官」というキャラ付けに戸惑った人もいたらしい。“戦うヒロインの大先輩”としての抜擢かもしれないが、花となって散るような儚いイメージは割愛されていたようである。
 なお、元のデザインにはない首もとのリボンは往年のコナミロゴを模していると思われ、デザイン担当の郷愁がうかがえる。

(5)まとめ
 ファミコン時代に一作だけメインを張ったキャラクターという意味ではマイナーキャラといえるが、今も二次創作イラストが描かれるなど異例の知名度を誇る。元のゲーム(コナミワイワイワールド)が傑作だったこともあるが、コナミレディ自体の魅力が大きかったのも間違いない。ファミコンにおけるセクシーヒロインの代表的存在であり、80年代に隆盛を誇ったビキニ女戦士の一類型であり、さらに美少女アンドロイドのはしりとしてその存在感は無視できない。
 でもまぁ、そんな理屈はどうでもいいのだ。コナミレディは背中を任せられる相棒であり、同時にちょっぴり目のやり場に困るパートナーであった。その思い出があれば十分である。

関連:
【コナミワイワイワールド】

コナミワイワイワールド
 (ゲーム)


 1988年にコナミからリリースされたファミコンのアクションゲーム。地球を侵略する大魔王ワルダーを倒すためにコナミゲームのヒーローたちが立ち上がるというもので、今でいうクロスオーバーもののはしりである。

 (1)概要
 (2)モバイル移植版
 (3)ワイワイワールド2

(1)概要
 主人公となるのは当時のコナミ製ゲームで「隠しキャラ」としておなじみの存在だった「コナミマン」と、シナモン博士によって造られたアンドロイド「コナミレディ」の2人。コナミヒーローたちは悪魔城ドラキュラの「シモン」、がんばれゴエモンの「ゴエモン」、月風魔伝の「フウマ(月風魔)」、グーニーズの「マイキー」、キングコング2怒りのメガトンパンチの「コング」、その他「モアイ」といった顔ぶれがそろっていた。
 ただしマイキーとコングは映画『グーニーズ』『キングコング』のゲーム版のキャラであり、厳密にはコナミキャラではなかった。

 モアイは直立歩行

 アクションゲームではあるが探索の要素が強く、6つのステージを行ったりきたりしながら囚われの身となっているコナミヒーローたちを救出したり、アイテムを集めたりするのが主な流れである。ステージごとに特定のヒーローがいないと進めない、または進みづらい箇所があり、そこを無理やり力押しで通るか、あるいは攻略順序を考えるかで難易度が大きく変わる。
 「ワイワイワールド」という能天気なタイトルのわりには歯ごたえのあるゲームだったが、2人同時プレイの楽しさもあいまって、みんな友人や兄弟とワイワイやりながらクリアしていたようである。

 両者の息が合わないと容易にリアルバトルに発展する

 本作のインパクトの強さは最終ステージからラストまでの流れが驚きに満ちていたのも一因だろう。
 6人のヒーローすべてを救出するとワルダーの元へ乗り込むことになるが、そこでビックバイパーとツインビーに乗り込んでのシューティングゲームになる。地上から宇宙へと飛んでいき、『沙羅曼蛇』ばりのボス(実はワルダーの外殻みたいなもん)を撃破して内部に進入するわけだが、このラストステージが通称「内臓ステージ」と呼ばれるグロテスクな代物だった。
 後から見れば『魂斗羅』の最終面がベースだと分かるが、ファミコン版魂斗羅の発売はワイワイワールドの一カ月後であり、元ネタを知らないプレイヤーが大半だったと思われる。それでもこの異様なステージは、最終決戦を控えた緊迫感をあおる効果があった。

 帝王ワルダーとの最終決戦

 さらにワルダーを撃破した後「ケイコク!ハヤクモドレ!」の表示とともに始まるカウントダウンは、余韻に浸る間もなくプレイヤーを駆り立てた。そしてスタート地点まで戻り、ビックバイパー&ウインビーに乗り込んで脱出し、晴れてエンドとなるわけだ。
 この一連の流れはアクションゲームの文法で映画的なクライマックスを演出したものであり、後にゲーム業界を席巻するムービー頼りの演出よりも優れていたと思う。

(2)モバイル移植版
 本作は2006年に携帯電話のアプリとして移植されたが、マイキーとコングは版権元との契約切れのため使用できず、それぞれ『バイオミラクルぼくってウパ』主人公のウパ(赤ん坊)、『けっきょく南極大冒険』や『パロディウス』でお馴染みのペン太郎に差し替えられている。

 左がオリジナル、右がiアプリ版

 ウパはなんとか分からなくもないが、ペン太郎はパワーキャラというイメージが全くないため、どうしても違和感を覚えるキャスティングである。

(3)ワイワイワールド2
 リリースから3年を経た1991年、待望の続編『ワイワイワールド2 SOS!!パセリ城』が発売された。コナミマン&コナミレディに代わってコナミヒーローへの変身能力を持つロボット「リックル」が新たな主役に抜擢。ゴエモンやシモン、フウマ、ウパ、ビル(魂斗羅)などに変身して戦う、ステージクリア型のアクションゲームとなった。

 囚われの身となったハーブ姫とリックル(1P)

 この路線変更は正統派続編を望んでいた少年たちを少なからず落胆させた。難易度は大きく下がって探索要素もなくなり、さらにキャラクター達も一様に2頭身のデフォルメ体型になっており、全体的にほのぼのとした雰囲気で統一されている。前作のようにゴエモンステージはコミカルに、フウマステージはおどろおどろしく、といったメリハリもなく、クロスオーバーの醍醐味もなくなっていたからだ。

 2(左)と1(右)。2は緊張感が足りてない

 前作の魅力のひとつは試行錯誤しながら難関を乗り越える歯ごたえにあった。トライ&エラーを繰り返しつつステージを踏査し、コナミヒーローたちを一人ずつ仲間にするごとに達成感が得られたし、高い難易度も2人同時プレイで打破する共闘感を得られた(足の引っ張り合いになることも多かったが)。それらの魅力は完全に失せていたといっていい。またコナミレディがプレイアブルキャラから外されたことに歯ぎしりしたゲーマーもいたと言われる。

 とはいえ、1本のアクションゲームとして見れば決して悪いゲームではない。低めの難易度はあまりゲームの得意でない友人とプレイする時は好都合だったし、足を引っ張られてギスギスするようなこともない。接待用のゲームとしては申し分のない出来であった。
 また、ゲームの各所に多彩なコナミネタを仕込むなど芸の細かさはゲーマー少年たちをうならせたし、グラディウスを模したシューティングパートでは数画面分はあるような超巨大ビッグコアが出てきたりと、当時のコナミの優れた技術力がいかんなく発揮されていた。

 パスワード入力はパズルシューティング『クォース』のパロディ
 R-TYPE(他社)の巨大戦艦を彷彿とさせる巨大ビッグコア

 ワイワイワールド2を悪いゲームではないと認めつつも「いつかは初代の正統派続編を…」と期待していたゲーマー少年は少なくなかったと思うが、今ではそれも叶わぬ夢となった。

関連:【コナミレディ】  【魂斗羅】


これも生き物のサガか…
 (キメ台詞)(出典:魔界塔士Sa・Ga)
 ゲームボーイ初期のRPG「魔界塔士Sa・Ga」におけるラスボス「神」の台詞。自分たちを弄んだ神に激昂し、戦いを挑もうとする主人公らに対してつぶやいた。『Sa・Ga』という』聞きなれないタイトルの真意が明らかになるシーンである。
 神への反逆が“生き物のサガ”というのは含蓄の深い言葉であり、このゲームの持つ反骨精神のようなものが如実に表れた台詞でもある。

関連:【神はバラバラになった】  【魔界塔士Sa・Ga】


魂斗羅
 (ゲーム)(派手に出迎えてやろうぜ!)


 80年代の横スクロールアクションシューティングの金字塔。往年のコナミを代表するゲームのひとつだった。筋骨たくましいタフガイ2人組が手にキモくてグロくておっかないエイリアン軍団と大戦争するという、当時人気だった肉弾アクション映画に『エイリアン』をブチ込んだような代物で、ハードコアな難易度と2人同時プレイでの協力(または足の引っ張り合い)がゲーマーを熱くさせた。

 1987年にゲーセンに登場して以来、ファミコンを中心に幾度も移植されるなど押しも押されぬ人気シリーズだったが、90年代中期のプレステ・サターン時代に入ると次第になりを潜めていく。PS2時代になってようやく『真魂斗羅』『ネオコントラ』がリリースされるも、当時すでに「クラシカルな2Dアクションシューティング」の需要は低く、一部のマニアに知られるのみにとどまった。後にコナミの看板タイトル的存在になった『メタルギア』1作目のリリースは初代魂斗羅と同年なのだが、その後の明暗はくっきりと分かれている。
 「昔ながらのアクションゲーム」であることに固執し時代に取り残されたシリーズともいえるが、だからこそ管理人やオールドゲーマーにとっては忘れられないゲームでもある。そんな折、2008年にNintendo DSでリリースされた『魂斗羅Dual Spirits』は上下2画面構成やグラップリング・フックなどの独自要素を入れつつ、歯ごたえある昔気質の魂斗羅となっておりファンを感涙させた。

 なおプレイヤーキャラとして『真魂斗羅』のルシア、『魂斗羅 ザ・ハードコア』のシーナと女性キャラが2人もいるほか、逃げ惑う市民の中に太ももがチラリしてる女性がいるなど、実は歴代でも群を抜いて女っ気の多いタイトルでもある。

 左からルシア、シーナ、市民

 この『魂斗羅DS』の制作を担当したのは「Way Forward」という海外のスタジオであり、2Dゲームへのこだわりにおいても日本が過去の存在となりつつあることを否応なく知らしめる結果となった。

 ちなみに「コントラ」という名称はニカラグアの反政府ゲリラ「コントラ」(contra。レーガン米大統領時代の武器密輸スキャンダル「イラン・コントラ事件」(→Wikipedia)で有名)が元ネタと言われるが、「魂斗羅」の漢字表記は単なる当て字のようである。