頻出用語集
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・索引→ (あ〜な) (は〜わ) (カテゴリー別)
ま行

 【マーダー・インク】(裏社会)
 【魔界塔士Sa・Ga】(映画関連)
 【MAX PAYNE】(ゲーム)
 【Madness Combat】(FLASHアニメ)
 【メキシカン・スタンドオフ】(シチュエーション)
 【申し訳ない、何もかも申し訳ない】(小説関連)
 【萌えカルチャー】(文化)
 【モヒカン】(文化)


マーダー・インク
 (裏社会)


 30年代のニューヨークに実在したギャング組織の共同体「コミッション」直属の実行組織。
 当時のニューヨークでは多くのギャング組織がしのぎを削っており、抗争が絶えなかった。そこでイタリア系ギャングのボス、チャーリー“ラッキー”ルチアーノは、ボスたちの話し合いによって利害を調整する枠組みづくりを提案した。これが「コミッション」である。
 この「コミッション」の持つ強制力が、「マーダー・インク(murder inc.=殺人会社)」とマスコミに名付けられた粛正組織である。これはコミッションのリーダーシップをとる「ボスの中のボス」が主導権を握る組織で、コミッションの決定に従わない者たちに容赦ない制裁を加えた。一説によれば、このマーダー・インクに殺害された人間は200名にも上るという。

 なおチャーリー・ルチアーノについてはクリスチャン・スレーター主演『モブスターズ 青春の群像』で映画化されているが、若い時代に焦点が当てられていることもあり、マーダー・インクの話は出てこない。

 『モブスターズ 青春の群像』(1991)

 「モブスター(Mobster)」はギャングスター(Gangster)と同じく暴力団員という意味だが、Googleの画像検索結果を見る限り、特に禁酒法時代のクラシカルなギャングを指すようである。

関連:【省港旗兵(サンコンケイペイ)】


魔界塔士Sa・Ga
 (ゲーム)


 1989年というゲームボーイ初期に登場したスクウェア(現・スクウェアエニックス)のRPG。後のロマンシング・サガ、サガフロンティアへと続いていくサガシリーズの原点。
 ラスボスである「神」に即死武器であるチェーンソーが効いてしまうというトンデモ仕様が話題になったが、それを抜きにしても携帯機における本格RPGとして評価は高かった。また後のRPGと比較すると様々な点で異質かつ尖った作品であり、今日的な視点で見ても魅力的と思える要素を多々備えていた。以下にそれを列挙する。

 (1)多様な世界
 (2)モンスターたち
 (3)武骨な台詞回し
 (4)神への反逆
 (5)まとめ

(1)多様な世界
 ストーリーの概略は「楽園に通じるといわれる塔」の頂上を目指すことだが、この塔はスタート地点の「大陸世界」をはじめとし、「海洋世界」「空中世界」「都市世界」といった多様な世界に繋がっている。この他にも各階には小さな世界が点在しており、いわばそういった複数の世界を多層的に積み重ねたのが「塔」といえる。
 この世界観はひょっとすると「携帯機で広大なワールドマップを作るのは難しい」という理由によるものかもしれないが、実際のところこの「つまみ食い」的なつくりは手軽にちょっとずつ遊ぶ携帯機と相性が良かった。何より多彩な世界を訪れるのは新たな驚きがあり、特にゲーム中盤から終盤にかけて訪れる「空中世界」と「都市世界」は、その世界観のインパクトもあって強い印象を残した。
 これらの多様な世界を反映し、アイテム類も聖剣エクスカリバーと核爆弾が混在するという良くも悪くも無節操なものになっており、これもまた本作の特色だったといえる。パッケージイラストや攻略本で見られる人間キャラはそれを体現している。

 この武器庫スタイルがSaGaイズムといえる

 人間男性の装備は「与一の弓」「マサムネ」「チェーンソー」といった終盤で入手できる強力なもので固めたものだが、このごった煮…というかトッピング全部乗せ感は他にあまり例がない。
 ぶっちゃけヒーローっぽくはないが、それもまたSaGaらしさといえる。

(2)モンスターたち
 主人公及びパーティメンバーとして選べる種族は「人間」「エスパー」「モンスター」の3種だが、モンスターを仲間にできるシステムは当時としては珍しかった。成長システムも倒した相手の肉を喰らって変化・進化するという野性味あふれるものであり、この「食い合わせ」を知ることがモンスターを強化する上で最重要項目だった。
 「モンスターを仲間にする」という点では後の女神転生2やドラクエ5とも共通するが、それらと比べてと大きく異なるのは、本作のモンスターは「異界からの来訪者」でも「人に害をなす魔物」でもなく、人間と同様に社会の一員として溶け込んでいるという点である。塔の中で訪れる数多の世界においても、モンスター然とした外見の住人が人語をしゃべり、店を営んだりしており、猥雑なほど多様性に富んだ世界観を演出していた。
 特に印象的なのは、最初の「大陸世界」で登場する「村一番の美人」だろう。王にプロポーズをされているが、同時に凶悪な盗賊からも嫁になれと脅されているという役どころだが、外見上は一つ目の怪物である。

 圧倒的な眼力

 いや、怪物呼ばわりは失言だった。我々とは若干異なる文化であるというだけで、多様性は尊重されねばなるまい。個人的にはあまり嫁にしたいとは思わないが。今は単眼萌えもあるって? うるせぇ知るかバカ。
 このフリーダムさは洋RPGの世界観に近いといえなくもないが、スライムやドラゴンなど人型とはかけ離れたモンスターも普通に人語をしゃべるあたり、ごった煮感はこちらの方がはるかに高い。

(3)武骨な台詞回し
 本作の地味な魅力が、武骨でハードボイルド風味の台詞回しだ。基本的には単にぶっきらぼうという印象だが、空中世界のイベントで悪人(外見は獣人系モンスター)から美女を助け出す際の掛け合いなどでは余裕のあるカッコ良さが見て取れる。

「新入りども。こいつは俺たちの獲物だ。手出しするなよ」

「おい○○○、ガルガル野郎といい女と、どっちが好きだ?」
「聞くまでもなかろうよ!」


 和製RPGのキャラ付けは基本に少年漫画があるが、上記のやり取りは『コブラ』や『シティーハンター』のような、タフな大人のヒーローが活躍していた80年代少年漫画のノリに近いといえる。「空中世界」以後ゲーム全体の雰囲気は次第にシリアスなものになっていくが、タフさを前面に押し出した台詞はその空気とよく馴染んでいた。
 ただし主人公パーティーの台詞はすべて男言葉で統一されているため、「人間女」や「エスパーギャル」もイベント時にはガサツな男言葉でしゃべってしまうのが欠点といえば欠点である。さらに台詞はその時のパーティー順によって割り当てられるという今では考えられない方式をとっており、キャラの整合性などはハナから度外視されていた。
 もっとも台詞はどれも「タフな荒くれ男」というノリで統一されているため、誰がどの台詞をしゃべろうが大した違いはなかったりする。

(4)神への反逆
 本作を象徴する有名なメッセージのひとつに『これも生き物のサガか…』というものがある。これはラスボスである“神”が自分に歯向かおうとする主人公らを評した台詞だが、神への反逆を「生き物のサガ」と言い切るこの台詞は、本作のテーマを集約した強烈なメッセージでもある。
 神と戦う物語はゲームにおいても決して少なくはないが、戦いに至る経緯はおおむね「神の真意を知った主人公が、その意思に否を突きつける」というものであり、その選択は主人公にのみ与えられた特権だった。本作も一応そのパターンを踏襲しているが、物語のテーマとして決定的に異なるのは、反逆する理由を生き物が生まれ持った根源的な習性――“性(サガ)”としている点だ。神に挑むのは生きとし生けるもの全てが内包する根源的な欲求だとこのゲームは語る。
 これは生き物の救いがたい業の深さとも解釈できるが、見方を変えれば、苦難があろうと前進することをやめず、生きようとする生命への賛歌ともとれる。神への反逆とは高みにいる者への挑戦であり、それは「塔の頂上を目指し登り続ける」というゲーム全体のコンセプトにも表れている。
 神は主人公らを嘲弄するように「死すべき運命を背負ったちっぽけな存在が必死に生き抜いていく姿は、私さえも感動させるものがありました」と語るが、これこそ物語の真のテーマだろう。魔界塔士Sa・Gaは主人公を含めた塔の全ての生き物たち、何かに抗おうとしたちっぽけな者たち全ての物語ということができる。

(5)まとめ
 本作はミリオンヒットを記録し、ゲームボーイにおけるRPGで最大の成功作となった。冒頭で述べたように、ここから『SaGa2・秘宝伝説』『ロマンシングサガ』へと続くサガシリーズが産声を上げる。それは90年代スクウェア黄金時代の始まりも意味していた。
 この時代にリリースされた名作は今なお心に残るものが多々あるが、モノトーンの世界で神と戦った記憶もまた忘れがたい思い出のひとつである。

関連:
【神はバラバラになった】  【これも生き物のサガか…】

MAX PAYNE
 (ゲーム)


 2001年にPCでリリースされたTPS。ジャンキーに妻子を殺されたニューヨーク市警の刑事マックス・ペインが、麻薬ビジネスの黒幕を追いつめ復讐するというストーリー。時間の流れを遅くする「バレットタイム」で一世を風靡した。

 (1)その魅力
 (2)MAX PYANE3について
  ・概要
  ・小ネタ
  ・欠点
  ・シューターとしての精神性

(1)その魅力
 フィルム・ノワールを思わせる陰鬱な世界観と激しいガンアクションが特色で、中でも「バレットタイム」は戦闘を優位に運ぶスキルであると同時に見た目も美しく、本作の代名詞となった。
 この手のスロー演出は映画『男たちの挽歌』やその影響下にある『マトリックス』、遡れば『ワイルドバンチ』などでお馴染みだったが、シューターで大々的に取り入れたのは本作が先駆けではないかと思われる。映画的演出の再現がそのままゲームの面白さに繋がるという珍しいケースであり、その後のFPS・TPSに様々な形で模倣されるに至る。

 また、二挺拳銃を象徴的な武器として採用したのも本作の特色といえる。ゲーム内ではベレッタ及びイングラムのみ2挺持ち可能だが、ベレッタは『男たちの挽歌』シリーズにおけるチョウ・ユンファとおそろいであり、スローモーション(バレットタイム)の活用から見ても挽歌シリーズから受けた影響が大であることがうかがえる。



 ただしリリース時は『マトリックス』(1999)の大ヒット後であったことから、本作の紹介でもそちらが引き合いに出されることが多かった。なお本作の終盤ではマトリックスにおける「エージェント・ビルのロビー内での銃撃戦」を彷彿とさせるステージもあることから、そちらから影響を受けた部分もあったのかもしれない。

 その後PS2、XBOXなど家庭用機にも移植された他、見下ろし型の2Dアクションにリメイクされゲームボーイアドバンスでも発売されている。

 GBA版

 本作の人気の高さがうかがえるが、日本でのローカライズはあまり恵まれていたとはいえない。PC版はゲーム本体のローカライズはされず日本語説明書付きという形での販売であり(こうした形式は珍しくなかったが)、家庭用機はPS2版で音声込みのフルローカライズがなされたものの、XBOX版、GBA版の販売は見送られた。さらに続編である『MAX PAYNE 2:The Fall of Max Payne』(2003)はどの機種においても日本販売はされなかった。

 若干オヤジになって渋味アップ

 一般への洋ゲー認知度が低かった時代とはいえ、一世を風靡した人気作の続編がPCにおいても未発売という顛末は多くのファンを落胆させた。
 その後シリーズは事実上の休眠期間に入り、次作『MAX PAYNE3』が出るまでおよそ10年の時を待たねばならなかった。

(2)MAX PYANE3について

・概要
 2012年リリースのMAX PAYNE3は、制作がRemedy EntertainmentからGTAでお馴染みのRockstar Gamesに交替。カバーアクションなど流行りの要素を取り入れつつも、シリーズの血脈を受け継ぐシネマチックシューターとして高レベルにまとまっており、往年のファンからの評価も高かった。

 銃の二挺持ちも左右別々の銃を持てるようになり選択の幅が広がった他、アサルトライフルなど両手で扱う銃も同時に持ち運べるようになった。つまり片手持ちの銃(拳銃・小型サブマシンガン・ソードオフショットガン)2つ、両手持ちの銃(ライフル・ショットガン)1つ、合計3つの銃を同時に携行できるわけで、当時のシューターで多かったメインアームとサイドアーム1種ずつという地味な方式と比較して戦術に幅があった。
 なおこの状態で片手持ち銃×1を選択すると両手持ち銃は空いた手で持つことになる。ライフルのキャリングハンドルを本来の用途で使用するゲームは稀である。


 例:M4のキャリングハンドル。これの代わりにスコープ類を取り付けることが多い

 舞台はニューヨークからブラジルに移り、富豪のボディーガードとなったマックスが武装勢力や汚職警官が絡む陰謀に巻き込まれていくという筋書き。スキンヘッドにアロハシャツという様変わりしたマックスのビジュアルに往年のファンは戸惑ったものの、ニューヨーク時代の回想ステージではお馴染みのジャケット姿も拝める。



 全体を通してマックスの服装が頻繁に変わるのもこれまでのシリーズになかった特色といえる。

・小ネタ
 本作の実績(トロフィー)の中には1作目のエピソードに由来すると思われるものがいくつかある。管理人の思い込みかもしれないが、3つほど列挙してみる。

【漫画の暴力はゾクゾクするぜ(近接攻撃で100キル)
 1作目でマックスを拷問しようとする男が、漫画「キャプテン・ベースボールバットボーイ」を引き合いに出して語った台詞。この後に「いくら殺してもすぐ蘇ってくるんだからな」と続く。

【悪魔の心臓も凍りつかせる程の寒さ(2分以内に敵30人をキル)
 1作目の第2章タイトル「地獄での寒い日(凍える日)」から?

【魔女のために1万発の弾(ゲームに登場する全ての武器を使用する)
 1作目で黒幕の女社長を追い詰める際のマックスのモノローグ「あの女の名前が刻まれた弾を1万発持っていた」より。

 なお「ベースボール・バットボーイ」は1作目では単色の漫画本として搭乗したが、3ではカートゥーンアニメとして登場。ガールフレンド「バイシクルヘルメットガール」もカラフルになって再登場し、陰鬱な世界観の中で一種場違いな明るさを振りまいていた。

 ベースボールバットボーイ(右)とバイシクルヘルメットガール

 こうした小ネタも含め10年前のゲームを見事にリブートさせた名作といえるが、手放しで褒められない点もいくつかある。

・欠点
 管理人は基本的に心の広い人間だが、それでもこれだけは許せないというものがいくつかある。その筆頭がスキップできないカットシーンだ。特にアクションゲームにおいて頻繁に差し挟まれるものは最悪の中の最悪といってもいい。MAX PAYNE3はこの過ちをやらかしている。
 一部はロード完了後にスキップできるが、ほとんどは不可。ゲームオーバー後のリトライはロード無しと快適なのが救いだが、無駄とも思えるカットシーンの多さがそれを帳消しにしている。アクションのテンポをブツ切りにされる苛立ちはアクションゲーマーなら分かってもらえるだろう。
 もし神がいるなら問うてみたい。主よ、貴方はなぜMAX PAYNE3を最高級のシューターとして創りながら、それにクソを塗りたくったのですか、と。

 もしストーリーが素晴らしければこの苦痛も多少ごまかせたかもしれないが、その点もイマイチだったりする。1作目は復讐という一貫した目的があり、それを果たすカタルシスがあったが、3はそのあたりモヤっとした感じである。また劇中で展開する救出計画など諸々のミッションも報われない結末になることが多く、その点でもプレイしていて気持ちよさに欠ける。
 マックスの姿勢が一貫して後ろ向きなのもシナリオの暗さに拍車をかけている。かつて妻子を殺され、2で心を通わせた女性もまた失ったことで、マックスは深い挫折感を抱え込んでしまう。酒とペインキラー(鎮痛剤)に溺れていた彼は旧友の誘いでブラジルに渡るが、そこでも悲劇が積み重なる結果となり、アクションの激しさとは裏腹な鬱々とした展開が続く。
 マックス・ペインにハッピーエンドは似合わないが、暗い物語でももう少し何とかなったのではないか、とも思う。

・シューターとしての精神
 このように許し難い欠点もあるものの、今も管理人にとってMAX PAYNE3はオールタイムで五指に入るシューターであり続けている。ハイレベルにまとまったゲーム部分の完成度もさることながら、愚直なまでに「銃撃戦のゲーム」であることを貫いている点もまた愛してやまない。
 シングルプレイシューターの多くが取ってつけたようなステルス要素をねじ込みたがる中、本作は首尾一貫して正面切っての銃撃戦でゲームを構成している。そのこだわりはゲーム終盤、空港での最終決戦におけるマックスのモノローグでメタ的に語られている。

だが賢い選択には縁がない。俺が選ぶのはいつもずさんなやり方だ。
“マックス、滑走路まで車で乗り付けるぞ”
“いや、俺は正面玄関から入る。アホみたいにニヤけて追ってくるクソ野郎どもの相手がしたいのさ”
それが俺のやり方だ。今さら変えるには遅すぎた。
(That's my style and it's too late in the day to hope for change.)


 この台詞は銃を手に戦うことしかできなかった(そして何ひとつ守れなかった)マックスの自嘲であり、同時に十年前のシューターのスタイルを今に蘇らせた制作陣の自負でもあるのだろう。
 カットシーンの使い方のまずさはシネマチックシューターの失敗例として忘れてはならないが、同時にゲーム部分の完成度、そしてその精神もまた語り継いでいくべきだろう。シューティング以外の部分に活路を見出そうと迷走していた当時のシューター界隈において、本作は間違いなく傑出した“シューティングゲーム”だったといえる。

 以上のように不満点もあるものの全体としては間違いなく良作であり、今も続編を待ち望む気持ちは変わらない。
 なおRockstar Gamesはこの後にギネス級の人気作となる『GTAV』をリリースするが、そちらのシューター要素はMAX PAYNE3で培った技術が活かされたそうだ。思えば主人公の一人マイケルは戦闘の際にバレットタイムが使用できるため、ある意味ではGTAVこそがMAX PAYNE4といえなくもな…いや、いえねぇよ。ちゃんと4出せ。オープンワールドにしてもいいから銃撃戦多めで。あとカットシーンはスキップ可にしろよ。

関連:
【地獄での寒い日】  【天国に近づいた】  【二挺拳銃】  【洋ゲー】

Madness Combat
 (FLASHアニメ)


 マッドネス・コンバット。Krinkels氏によるFLASHアニメシリーズで、極めて簡素に描かれたキャラクターが血みどろの殺し合いを繰り広げるバイオレンスアクションシリーズ。
 シンプルな見た目とは裏腹な激しいゴア描写、毎回飽きさせないアクション演出の妙などが人気を博しており、ファンによるトリビュート作品も数多く作られている。

 (1)物語と舞台背景
 (2)主な登場人物とその武装
  ・ハンク
  ・ジーザス
  ・クラウン
  ・ジ・オーディター
  ・サンフォード&ディモス

(1)物語と舞台背景
 物語性はいたって希薄であり、主人公の「ハンク」が武装した人間がひしめく建物に殴り込み、皆殺しにするというのが基本的なパターンである。ハンクの目的や敵集団の素性などは一切説明されないが、劇中のわずかな手がかりから「MCワールド」を類推するのも楽しみのひとつである。
 物語の舞台となる場所については、エピソード冒頭に表示される「Somewhere in Nevada(ネバダのどこか)」という一文以外に手がかりがない。Nevadaが本当にアメリカのネバダ州を指すのかも不明である。
 とはいえネバダ州は広大な砂漠の中に転々と町があるような土地であり、どこかで常軌を逸した殺戮劇が行われていても誰も気づかないような場所である。狂気のバトルフィールドとしては妥当なチョイスといえるが、どう見ても現実世界とは思えない描写が多々あること、主要人物たちが死んでもすぐに生き返ることから一種の地獄のような世界ではないかと管理人は考えている。
 MadnessCombat(以下MC)の世界を律するのはただ狂気と暴力のみであり、舞台が現代アメリカか否かは大した問題ではないとも言える。

(2)主な登場人物とその武装
・ハンク


 1作目から登場している主人公。MC4で壁に貼られている手配書から「ハンク・J・ウィンブルトン」という本名が判明した。最初は他のモブキャラと同様シンプルな見た目だったが、MC5から黒のバンダナに丸縁の赤いサングラスがトレードマークとなる。桁外れの戦闘能力に物を言わせて毎回死体の山を築いているが、死亡回数も多い。

 武装については銃から刃物・鈍器・引きちぎった敵の首まで何でも使う。基本的には全て使い捨てであり、殺した相手から奪って使い、弾切れになったら別の武器に持ち替えるというスタイルである(多彩な銃器が登場することもシリーズの魅力である)。
 専用の武器はないものの、刀身に文字が刻まれた片刃の剣がMC4、MC5と続けて登場したことから、これが「ハンクの剣」と呼ばれることもある。



 Madness Wiki(英語版)では柄頭の形状から「Dragon Sword」と呼ばれている。なお刀身の文字はタイ語のようで、英訳すると“Crush、Destroy、Kill”となるらしい。

・ジーザス


 イエス・キリストを彷彿とさせる髭の男。ジーザスは通称であり本名等は不明。MC5のオープニングでは「Saivor(セイバー=救世主)」と紹介されていたので、これを通称とする向きもある。なおハンクは「Protagonist(主人公)」とされていたので、Saivorも劇中における役割を指すのかもしれない。何を救うのかは不明だが。
 1作目からハンクの敵として立ちはだかるが、現在のスタイルが確立したのはMC4で、この時からグラサンや0と1が刻まれた剣といった個性が定着する。

 死体をゾンビとして蘇らせることができるほか、空中浮遊、念動力、銃弾を受け止めてはね返す反射障壁などの特殊能力を持つ。MC8で主役に抜擢された際はゾンビ化以外の能力をフル活用し、オーディター(後述)の配下を相手に圧倒的な強さを見せつけた。

 劇中に登場するキャラクターの中では例外的に固有の武装が多く、0と1の数列が刻まれた西洋風の長剣、大口径リボルバーとボルトアクションライフルを所持している。
 劇中に登場する銃の大半がオートマチックの火器であることを考えると、ジーザスの古風な銃を好むスタイルは特徴的である。



 なお剣に刻まれた数列「100111100」の意味については様々に議論されてきたが、現在では10進数に変換して「316」と読み、「ヨハネによる福音書3章16節」を意味するという解釈が有力視されている。
 これは新約聖書の中で最も有名とされる一節で、神が救済のために我が子を遣わしたという“神の愛”を言い表している箇所である。

『神はそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
 ひとり子を信じる者が、一人も滅びずに永遠の命を得るためである』

 ひとり子とは神の子イエス・キリスト(ジーザス・クライスト)であり、イエスを模したジーザスを象徴するワードにこの聖書の一節を用いるのは理にかなっているといえる。ただし殺戮と暴力にまみれたMCワールドのこと、言葉どおりの意味でないことは間違いない。

・クラウン


 MC2から登場している道化師風の男。初登場時でハンクに殺されてゾンビ化し、以後はゾンビ状態での登場となる。MCの主要人物は死んでもすぐ復活するのがデフォルトだが、ゾンビ化しているのは唯一彼のみである。
 武装についてはMC3で軽機関銃を使用したものの、以後はあまり武器を使用することはない。しばしば道路標識を鈍器として使うことがあり、ファンアートではこれが彼のトレードマークとして扱われてることもある。



 初期はトリックスター的な立ち位置だったが、徐々に怪物的な底知れなさを見せるキャラクターへと変貌した。混沌を極めるMCワールドにおいても飛びぬけて危険かつ予測不能な人物であり、カオスの化身ともいえる存在。

・ジ・オーディター


 MC7のラストで初登場。「Auditor(監視者)」の名が指すように、全ての鍵を握る(と思われる)謎めいた男。全身が漆黒に包まれており、他の登場人物とは一見して異質な存在であることが強調されている。劇中でしばしば登場する謎の装置「インプロバビリティ・ドライブ」との関わりも深いようで、その点からも最重要人物であると思われる。
 MC8ではボス的な役どころとして登場し、ジーザスすら翻弄するケタはずれの戦闘力を披露。劇中ナンバーワンの強さを印象付けた。

 ジーザスvsオーディター

 武装についてはジーザスを迎撃する際にミニガンを使用。正面対決の際には直刀(×2)やサブマシンガン(×2)、ロケットランチャーなどを空中から出現させて使用した。

・サンフォード&ディモス


 ハンクの仲間である二人組。丸縁サングラスで下唇が突き出ているのがサンフォード、サンバイザーを被っているのがディモス。大体的に登場したのはMC8からだが、実はMC5でハンクに剣を届けに来た2人組が彼らがだったことが後に判明。その後、時系列を遡ってMC4.5、5.5、6.5、7.5が制作され、サンフォード&ディモスが舞台裏で激闘を繰り広げていたことが明かされた。

 初登場時の2人。この直後、空から降ってきた建物に潰される

 彼ら2人がハンクと協力関係にあるのは明らかだが、それが個人的な繋がりなのか、組織的なものなのかは不明である。ただMC10のハンクとサンフォードのユーモラスなやり取りからは、気の置けない仲間のような雰囲気が感じられる。

 武装は敵から強奪したものが中心になるが、サンフォードは巨大な釣り針のようなフック付ロープを専用武器として使っており、敵に引っ掛けて引き寄せるなどトリッキーなアクションを度々披露している。
 彼らもハンクと同様にナチュラルボーン・キラーな殺し屋ではあるが、ディモスはノリが軽く、戦闘のまっ最中に煙草をふかしたり、悪ふざけをしてサンフォードに突っ込まれたりしている。
 余談ながらMCワールドには「煙草を吸っているキャラは例外なく死ぬ」というジンクスがあり、そのためディモスにも死亡を予想する声があった。だが冷静に考えると、そもそも登場キャラで死なない奴の方が稀である。

 現在シリーズは10作目にあたる「MadnesCombat10 Abrogation」を最後に本編は休止中であり、現在は「Incident」と銘打った小規模な作品が発表されている。
 MCシリーズはもっぱら海外のFLASHポータルサイト「Newgrounds」で発表されているが、現在はKrinkelsのYoutubeチャンネルでも視聴できる。


メキシカン・スタンドオフ
 (シチュエーション)
 至近距離で互いに銃を突きつけあった、一触即発の膠着状態。のっぴきならない緊迫感を演出するシチュエーションであり、大体の場合は互いに銃を引いて終わることが多い。
 互いに引き金を引くだけで即死亡となるため戦闘のテクニックが介在する余地は少ないが、映画『96時間リベンジ』ではこのメキシカン・スタンドオフからの格闘シーンが存在する。互いの銃口をほぼ同時にそらしてからの組み合いだが、手で銃のスライドを後退させて発砲を阻むなどハイレベルな攻防が展開された。



 なお銃と剣でメキシカン・スタンドオフ風に突きつけあうものもしばしば見るが、銃の方は引き金を引くだけで事足りるのに対し、剣は刃を相手の体に突き入れねばならないため、いささかアンフェアなものに映る。

 『メタルギアソリッド・ツインスネーク』より

 もともと銃と剣では得物としての特性がまったく異なるため、土台無理なシチュエーションではある。ただしメキシカン・スタンドオフではなく“互いに1アクションで攻撃できる構え”での抜き打ち勝負なら、滝沢聖峰の漫画『ガンズ&ブレイズ』でシングルアクションリボルバーvs居合いの場面が描かれていた。


「撃鉄を起こしてみろ。小手から先を切り落としてやる」
「できるかどうか試してみるか?」

 抜刀速度と撃鉄を落とすスピードのどちらが速いか厳密に考えると突っ込みどころもあるだろうが、フィクションとしての面白さを勘案すれば、これが「銃vs剣の対峙」の最適解といえそうである。

関連:【男たちの挽歌】


申し訳ない、何もかも申し訳ない
 (小説関連)(出典:死にゆく者への祈り)
 冒険小説の大家ジャック・ヒギンズが、自らの著作の内で最も愛したと作品とされる「死にゆく者への祈り」の台詞。主人公マーチン・ファロンが、ダコスタ神父と交わした最後の会話より一部抜粋。

 IRA(アイルランド共和軍)屈指の殺し屋として死と暴力の世界を生き、その中で信じるに値するものを永遠に失ったファロンは、以後、冷たく乾いた眼で世界と己を見つめるようになる。劇中、彼が自分自身を評して「歩く死体」と言い放つ場面にそれは端的に表れている。
 その男が死に瀕して発したこの台詞は、あまりに平凡で率直だ。それゆえに、今まさに全ての終局を迎えようとする男の、哀切な思いが滲み出ているように思える。

 日常生活では平謝りする時に使うと効果大。
 更新が遅れている際にも使える。

関連:【死にゆく者への祈り】


萌えカルチャー
 (文化)
 押切蓮介『でろでろ』より

 管理人の造語。いわゆる「二次元美少女コンテンツ」に関連する文化全般を言う場合に使う。本項では個人的な備忘録として、90年代から現在に至るまでの萌えカルチャーの変遷を記憶している範囲内で書き留めておく。

 (1)「泣きゲー」の果たした役割
 (2)「恋愛シミュレーション」の隆盛と衰退
 (3)非オタ界隈への進出
 (4)「擬人化」の興隆
 (5)先鋭化する性的嗜好
 (6)海外との関わり

 「萌え」の語源は諸説あるが、広く使われるようになったのは90年代の半ば以降、オタク文化がインターネットを媒介に急速に拡大していった時期だったと記憶している。
 最初期には漠然と「可愛い・好き」といった意味合いで使われており、子猫など小動物の可愛さを表現する際にも用いられていた。また「“萌え”とは性的なものではない」とする見方もあったが、次第に「(時に性的な要素を含んだ)二次元美少女」を主な対象として使われることが多くなる。そうした中から「ツンデレ」や「メイド」といった典型が生まれ、アニメ・漫画・ゲームなど多様な媒体を通じて世に広まっていった。

(1)「泣きゲー」の果たした役割
 ゲームの分野においていえば、90年代末からの「泣き系エロゲー(泣きゲー)」のブームは無視できない。これらは「ストーリーが泣ける」といった評判が注目を集めたが、その一方で奇抜なキャラ付けがなされたヒロインたちが、ネットでの二次創作などを通じて人気を拡散する起爆剤となった。

 初期の“泣きゲー”の代表とされる『ONE』(1998)

 これらの作品はヒロインが複数用意されるのが常であり、人気作ともなればそれぞれにキャラクターグッズが作られるなど多様な商品展開を見せた。その点で泣きゲーはシナリオよりもむしろキャラクターに注力したジャンルだったといえる。キャラクター造形は次第に「ツンデレ」「幼馴染み」「妹キャラ」と類型化していき、やがてそれぞれに特化した商品やサービス等へ結びついていく。ゲームではないが、妹キャラに特化した読者参加企画『シスタープリンセス』はその典型であり、秋葉原で生まれた「メイド喫茶」もその流れのひとつに数えられる。

 振り返ると、00年代前半は泣きゲーを牽引役に萌えカルチャーが大きく発展した時代だった。特に大ヒットを記録した『AIR』(2000)は18禁のエロゲーでありながら劇場用アニメになるなど異例の躍進を遂げ、このジャンルの出世頭となった。

 海沿いの田舎町を舞台にした『AIR』。2005年に劇場用アニメ化

 だが、やがて泣きゲーもPCエロゲー市場の衰退に伴って表舞台から姿を消す。理由はさまざまに論議されてきたが、動画投稿サイトにプレイ動画が丸ごとアップされるようになったことも無関係ではない。
 それらが販売の機会を奪ったのは確かだが、他方で膨大な文字量からなるストーリーを追うのに倦み始めていたユーザーも少なからずいた。00年代も半ばになるとコンテンツの消費速度も加速しており「もっと手っ取り早くキャラとストーリーだけを楽しみたい」という欲求が、動画の視聴というより気軽な方向に人を向かわせたのではないか、という見方もできる。

(2)「恋愛シミュレーション」の隆盛と衰退
 やや話が前後するが、90年代の家庭用機における「ギャルゲー」についても触れておきたい。
 美少女キャラクターを前面に押し出したゲームは80年代から存在していたが、ギャルゲーという用語を定着させたのは1995年に発売された恋愛シミュレーション『ときめきメモリアル〜forever with you〜』である。

 多数の中毒者を生んだPS版ときメモ。驚くべきことに実写映画化もされた

 これは元々1994年にPCエンジンで発売された作品だが、ブラッシュアップしてプレイステーションに移植され、爆発的なヒットを記録。「メモラー」と呼ばれる中毒者を生み出した。この人気に追随して他社からも同ジャンルの作品が続々と登場し、恋愛シミュレーションの一大ブームを巻き起こした。
 なお恋愛シミュレーションは名前の通りシミュレーションゲーム的なパラメータ調整によってヒロインとの疑似恋愛を楽しむものだったが、ブームの収束後は一部の人気シリーズを除いてほぼ作られなくなった。90年代後期からは家庭用ギャルゲーのトレンドもPCの泣きゲー移植が中心になるが、これはユーザー側が「シミュレーション」という手間のかかるジャンルを敬遠するようになったのも一因ではないかと思える。
 「ときメモ」メインヒロインである藤崎詩織はその攻略難度の高さから一部で「ラスボス」と呼ばれたそうだが、それは厳しいハードルを乗り越えないと彼女の魅力を堪能できないということでもあった。それと比較すると泣きゲーは基本的に選択肢を選んでいく読み物(ビジュアルノベル)であり、ゲーム的な試行錯誤を繰り返さずともキャラクターやストーリーを楽しむことができた。つまるところ「萌え」を楽しむにあたって歯ごたえあるゲーム性はむしろ邪魔なものと見なされるようになっていたのである。
 もっともその泣きゲーも次第に「お手軽なもの」ではなくなり、衰退していったのは先にも述べたとおりである。

 家庭用機が再び萌えカルチャーの旗手となるのは2007年の『THE IDOLM@STER』(Xbox360版)の登場まで待たねばならないが、一方でRPGなどの分野にもアニメ等から輸入される形で美少女キャラは定番のように登場するようになり、萌えカルチャーの影響は年々強くなりつつあった。

(3)非オタ界隈への進出
 管理人はアニメ関連はあまり詳しくないので、深夜アニメがいつ頃から萌えカルチャーの担い手として台頭してきたかはよく分からない。そんな管理人にも00年代後半からはアニメ発のブームが目に付くようになった。「日常系」という言葉を定着させた『らき☆すた』(2007)、『けいおん!』(2009)がその代表であろう。

 「日常系アニメ」として大ヒットした『けいおん!』

 「萌え」という語は2ch発の『電車男』(2004)のヒットによってすでに一般社会でも知られるようになっていたが、上記のアニメのヒットはファンによる2次的な経済効果が注目を集めた。アニメの舞台となった場所へファンが赴く「聖地巡礼」や、劇中に登場する小道具・楽器類が瞬く間に売切れるといった「オタク層の購買力」が注目され、やがて企業や地方自治体がアニメとタイアップしたり、独自で萌えキャラを作ったりという動きが出てくるようになる。

 太秦戦国祭り公式キャラクター「からす天狗うじゅ」

 こうした「オタク文化の非オタク界隈への進出」はこれが初めてではなく、90年代にも格ゲー『サムライスピリッツ』のナコルルが水道局のポスターに起用されたり、アニメ『機動戦艦ナデシコ』のキャラクターが交通安全のポスターになったりと前例はいくつかあった。

 サムライスピリッツのナコルルを起用したポスター

 だが大々なタイアップが行われるようになったのは00年代以降であり、日本経済が次第に低迷する中でなりふり構っていられなくなった企業・地方自治体の事情が垣間見える。
 いずれにせよ、この時期から萌えカルチャーは一部マニアの嗜好という枠を超えて拡大の度を強めていく。

(4)「擬人化」の興隆
 現代の萌えカルチャーを語るうえで欠かせないジャンルのひとつに「萌え擬人化」が挙げられる。人間以外の無機物・有機物または形のない物を美少女にしてしまうことで、今では単に「擬人化」とだけ言われることも多い。また戦国武将を美少女にしたりするのは「萌え化」といわれるが、これも広義の萌え擬人化に該当する。
 もともとこの分野は掲示板などのネット文化の中で醸成された部分が大きいように思う。絵を描く側にしてみれば「元ネタをいかにアレンジして可愛らしさに繋げるか」という点に挑戦しがいがあり、これは文章によるネタ出し担当も同様だったと思われる。
 中でもふたばちゃんねるで生まれた「OS娘」は特に大きな盛り上がりを見せた作品群である。当時リリースされたOS「Widows2000me」はすぐにエラーを起こすファッキンシットなOSだったが、これを「ドジっ娘」と位置付けて美少女化し、それに伴って評価の高いWindows2000は知的な眼鏡っ娘に、メモリを食いまくるXPは巨乳美少女にするなど、有志によるOS娘ワールド『とらぶる・うぃんどうず』として発展した。

 OS娘『Meたん』

 こうした擬人化文化はすぐに商業にも持ち込まれたが、ブームが起きたのはおそらく2013年の『艦隊これくしょん』からで、ジャンルとしての知名度のわりには遅咲きの感がある。

 擬人化企画の成功例として知られる『艦隊これくしょん』

 やがてこの傾向は大手企業も便乗して過熱し、トヨタ自動車がプリウスのパーツを擬人化した企画を打ち出すなど、一般層もオタク層も置いてけぼりにした迷走もしばしば見られるようになる。結局この企画は頓挫したようだが、その原因については様々な意見があり「車本体ならまだしも部品の擬人化は分かりにくい」「メインキャラがクール系なのがだめ」「若者はそもそも車に興味ない」等、明確な答えは出せていない。
 なお管理人は『艦これ』のヒットを“戦闘艦の擬人化”による部分が大だと分析し「要はみんなドンパチが好きなんだよね!」と勝手にシンパシーを感じていたが、その後の『けものフレンズ』 のヒットなどを見るに戦闘要素が必須というわけでもないらしい。

 2016年現在ではむやみやたらと「萌え」に寄せる企業戦略は鳴りを潜めつつあるが、一方でスマホゲームなどサブカルチャー分野では今もその手の作品は数多く、まだまだ衰える気配はない。
 思うに萌え擬人化は、学園モノやファンタジーといった従来の舞台設定(美少女を登場させるお膳立て)が消費し尽くされた末の新たなフロンティアであり、二次元美少女を「女性のキャラクター」ではなく「高純度の萌え物体」として描くひとつの到達点ではないだろうか。その是非は置くとして、純度を高めた「萌え」が多大なインパクトをもって各方面へと拡散していく一助となったのは間違いない。

(5)先鋭化する性的嗜好
 黎明期は「萌え≠エロ」とする見方もあったものの、現在両者の関係は極めて近い。またその性的嗜好が先鋭化しつつあることは指摘しておきたい。
 例を挙げると、かつてロリコン趣味は今でいう獣姦などと同レベルの「ニッチな変態嗜好」という扱いであり、90年代後期の萌えカルチャー勃興期でも「自分はロリコンである」という表明は(例え二次元限定であっても)自分の変態ぶりをアピールするギャグとして受け止められる余地があった。だが現在では「巨乳好き」などと同じく性的嗜好のひとつとして萌えカルチャーの一角を陣取っている。
 またロリコン以上の躍進を遂げたのが「男の娘」と呼ばれる女装少年への性的嗜好である。90年代初頭の漫画『バーコードファイター』の有栖川桜、2002年リリースの格ゲー『ギルティギアXX』のブリジットなどその萌芽は以前からあったものの「気持ち悪い」という否定的な反応を示すユーザーも多く、性的対象として描かれるケースは同人作品など一部に限られていた。

 『バーコードファイター』有栖川桜(男)
 『ギルティギアXX』ブリジット(男)

 拒否反応の顕著な例のひとつが2004年にリリースされたエロゲー『はなマルッ!』である。ヒロインの一人が実は男性であり、しかも発売までそれを伏せていたことから実際にプレイして真相を知ったユーザーに大きな衝撃を与えた。これは「女装少年」を性愛対象と見れるかどうかの選択をいきなり喉元に付きつけた形であり、公式掲示板は否定派と許容派の激突で荒れに荒れ、一時閉鎖に追い込まれた。

 『はなマルッ!』桐嶋菫(男)

 もっともこのケースは女装や同性愛への嫌悪より「女装であることを伏せていた」点への批判が大きく、キャラクターの最終的な評価はおおむね好評という形で落ち着いたようである。
 なおこの翌年にリリースされたエロゲー『はぴねす!』でも同様の女装少年キャラが登場したが、前もってオカマであると明かされており、攻略可能なヒロインでもなかった。このキャラは叩れるどころかユーザー人気投票で一位になったそうで、00年代後期にはすでにある程度の市民権は得ていたとみられる。
 このように「男の娘」ジャンルも今では(二次元限定とはいえ)男性向けポルノの一分野を占めるまでになっており、ロリコン趣味と並んでこの国の行く末が危ぶまれる一因となっている。

 また家庭用ゲームでも、00年代後期頃からはエロ方面の表現は過激化の一途をたどっている。
 もっとも家庭用ゲームにおける性的なアプローチはずっと以前からありはした。ファミコン時代は任天堂非公認のアダルトゲームが存在し、一部のゲーム誌に広告まで出していたし、PCエンジンCD-ROMでは(現在ではタブーとされる)乳首の描写も普通に行っていた。セガサターンではさらに性的分野での「X指定(18禁)」レーティングを設け、PCアダルトゲームの移植も行っていた(表現は若干マイルドになっていたが)。
 2002年にCEROが設立するとこうした露骨な性描写は姿を消すが、その一方で成人指定ではない作品でオーラルセックスを思わせる描写が登場したりなど、ある意味ではさらに尖った方向に進みつつある。そうした表現が「非18禁」としてふさわしいかどうかは意見の分かれるところであろう。
 こうした動きは従来型ゲーム市場の衰退とほぼ重なっているため、なりふり構っていられなくなった日本ゲーム業界の厳しい事情がうかがえる。

(6)海外との関わり
 萌えカルチャーがいつ頃から海外でも知られるようになったかはよく分からないが、00年代初頭ごろにはすでに一部のマニアには知られるようになっていたのではないだろうか。
 下記のイラストのように、いつの間にやら「萌え」は日本を代表するサブカルチャーとしてあちらのオタク層に知られるようになる。

 左からアメリカ、ドイツ、韓国、日本

 日本発の文化が世界に広まることを単純に喜ぶ向きもあるが、欧米では差別・偏見の是正を目的にゲーム、映画などの娯楽産業でも「男性消費者をターゲットに商品化された女性キャラクター像」が改められつつある。日本の萌えカルチャーはまさしく男性需要に特化した文化であるため、海外への拡散は難しい問題も抱えている。
 さらにいえば日本の「萌えキャラ」は欧米基準では幼く見えることから児童ポルノの観点からも白い目で見られることが多い。これまでも国産ゲームが海外で販売される際、女性キャラクターの服装の露出度を抑えたりなど手を加えられてきたが、国境を超えたデジタル販売が主流になりつつある今、より一層の配慮が必要になってくるだろう。
 日本市場が対象なのだからそんな心配は無用という意見もあるが、過去には国内でのみ販売していたアダルトゲームが英国で槍玉に挙げられ、結果的に販売停止となったケースもあるため、好むと好まざるとに関わらずグローバルスタンダードとの軋轢はいずれ生じるものと思われる。

 とはいえ、萌えカルチャーが海外にもファン層を広げつつあるのも事実だ。往年の泣きゲーが翻訳されてデジタル販売された際には想像以上の売り上げを記録した他、日本のギャルゲーを彷彿とさせるゲームが海外有志の手によって企画されるなど、ごく限定的な範囲ながら国境を超えて拡散しつつある。

 タイのサークルStugio GUの『Re Angel Love』
 英国を拠点に活動するWinged Cloudの『Sakura Spirit』
 ロシアのSoviet Gamesによる『Love, Money, Rock'n'Roll』

 また欧米以上の受け皿になりうるのが中国・韓国・台湾といったアジア圏の国々である。漫画文化で見てもこれらの国々は日本の強い影響下にあり、萌えカルチャーもほぼそのまま持ち込まれた。
 特に発展著しいのが中国である。2016年リリースのスマホゲーム『萌王EX』は世界史上の指導者(王)を萌え化したもので、発想そのものが日本からの直輸入であるだけでなくキャラクターデザインのクオリティも日本の同種作品と比べて遜色ない。

 左からナポレオン、ラムセス二世、始皇帝、袁世凱、光武帝

 ソーシャルゲームなどでは日本のイラストレーターも起用されているが、その際のギャラは日本のそれよりも高額という話もある。いずれにせよ、かつて日本の独壇場だった分野に変動が起きつつあるのは確かだ。
 またアニメの分野でも、日本に迫る萌えアニメも珍しいものではなくなっている。

 学園ハーレムアニメ『愛神巧克力ING』(中国)
 日本語版も配信されたSFアクション『雛蜂-BEE-』(中国)

 こうした作品群を「日本の猿真似」と低く見る風潮は今なお強いが、10年前と比較としても格段の進歩を遂げており、いずれ日本に追いつくのは間違いない。上で「受け皿」と書きはしたが、中国は巨大な国内市場を背景にイラストレーターなどの人材も育っているため、そもそも日本からの供給が今後も必要なのかという疑問もある。むしろ日本の国内市場が少子高齢化によって縮小していることを思えば、近い将来「萌えの宗主国」という立場も逆転するのではないかと思える。
 20年後も萌えカルチャーの市場があったとして、日本がその時まで中心にいられるかどうか、現状でははなはだ怪しいと言わざるを得ない。


 …とまぁ思い出せる限りで「萌えの文化」について書いてみたが、概説としては不完全もいいところである。黎明期から大きな役割を果たしてきたアニメ分野はほぼ手付かずだし、近年台頭してきたライトノベルについてもすっぽり抜け落ちている。ゲーム分野についてはある程度カバーできていると思うが、本来ならソーシャルゲームにおけるキャラクタービジネスまで踏み込んで論じるべきだろう。
 ここまで読んでくれた人には申し訳ないが、この項については忘れてもらった方がいいと思うよ。

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モヒカン
 (文化)


 頭髪の中央部を残して剃りあげた髪型の呼称。あるいはそのスタイルを愛好する悪党(ザコ)の呼称でもある。
 そもそもの由来はインディアンの「モヒカン族」戦士のスタイルで、70年代にパンクロックのファッションとして持ち込まれた。これが悪党のスタイルとして定着したのは映画『マッドマックス2』(1981)によるところが大きいといわれる。

 マッドマックス2の名悪役「ウェズ」

 日本ではマッドマックス2の影響を強く受けた『北斗の拳』によってサブカルチャー界隈に広く浸透し、21世紀現在でもモヒカン悪党といえば「世紀末世界で暴れ回るザコ悪党」という認識が定着しており、悪党のモチーフとして今なお不動の人気を保っている。

『北斗の拳』1巻冒頭のシーン。聖徳太子の1万円札が時代を反映している

 モヒカン人気の要因はもちろん『北斗の拳』の絶大な人気に由来するが、わけても劇中における勧善懲悪のカタルシスを殺られる側において最大限に発揮した「名悪役」だった点が大きい。
 劇画調の細かな筆致で描かれたモヒカン悪党たちは『マッドマックス2』のそれよりも筋骨隆々で怖ろしげであり、弱者をいたぶる残虐性も強調されていた。そのように誇張された悪役だからこそ、人間が爆散するという北斗神拳の凄惨な描写とも釣りあっていたといえる。
 よく指摘されるように「モヒカンが悪事を働く→ケンシロウが制裁する」という流れはボケとツッコミの関係に近く、その意味においてモヒカン悪党はケンシロウと息の合った相方で、作品世界そのものを構成する重要な役どころでもあった。

 なお純粋な悪役として記号化された存在だけに、現在ではネタキャラとして扱われることが多い。その一方で本家ともいえる映画マッドマックスシリーズ最新作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)では強烈な存在感を持つ悪党がワラワラ出てきたが、モヒカンスタイルの悪党は一人も出てこなかった。「モヒカンといえば世紀末、世紀末といえばモヒカン」というお約束に本家自ら引導を渡した形であり、モヒカン悪党がもはや古典となったことを日本のサブカルチャー界隈に知らしめたといえる。

 『怒りのデス・ロード』の敵役“ウォーボーイズ”
 ゲーム版ではモヒカンのウォーボーイズも登場

 ただしリアルにおけるファッションではソフトモヒカンなどバリエーションが増えたことにより、目にする機会はむしろ増えている。そこから輸入する形でサブカルチャーにもモヒカンのキャラクターがしばしば見かけられ、その意味では以前よりも一般社会に浸透したといえるだろう。

・映画マッドマックスとの関連
 マッドマックス2に登場したモヒカン刈りの悪党「ウェズ・ジョーンズ」はその凶暴性及びファッションが強いインパクトを残した。この強烈な個性は『北斗の拳』にほぼそのまま持ち込まれ、キング(南斗聖拳のシン)配下の幹部「スペード」として暴虐ぶりをいかんなく読者に見せつけた。



 だがウェズを演じたバーノン・レイノルズによれば、ウェズは「(劇中で受ける印象と違い)血も涙もない悪人ではない」とのこと。マッドマックスシリーズ監督のジョージ・ミラーは俳優たちに自らが演じる人物の背景を考えさせたそうで、バーノン的にはカリカチュアライズされた悪党キャラにはしたくなかったようである。
 またバイクの後席に乗せている金髪の青年「ゴールデン・ユース」はウェズとゲイカップルの間柄と思われていたが、バーノンによれば孤児だったのをウェズが拾い、行動を共にしているだけという。

 ゴールデン・ユース(左)とウェズ

 これらの裏話は『怒りのデス・ロード』公開時のパンフレットに記載されていたものだが、30年を経て明らかになったウェズの意外な一面に驚愕した人も多かった。

 以上のようにモヒカンの立ち位置は変わりつつあるものの、今も「ヤンチャな男らしさ」を強調する髪型としてさまざまな媒体で目にすることができる。ファンタジーの分野でも例外ではなく、特にザコ敵として扱われることの多い亜人種「オーク」とは親和性が高い。

 『The Elder Scrolls V:Skyrim』のオーク

 ただし洋ゲーにおけるオーク像は、近年では悪の手先というだけでなく「無骨な武闘派種族」という役どころであることも多い。日本の萌えカルチャーではエルフや女騎士に狼藉を働くエロ担当、あるいはそれを逆手に取った奥手で真面目なキャラにされたりするが、そろそろモヒカンオークが市民権を得てもいい頃だと思う。