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・索引→ (あ〜な) (は〜わ) (カテゴリー別)
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 【TPS(Thard Person Shooter)】(ゲーム関連)
 【THE 地球防衛軍】(ゲーム)
 【寒い国から帰ってきたスパイ】(小説)
 【ザ・ミッション 非情の掟】(映画)
 【省港旗兵(サンコンケイペイ)】(裏社会)
 【サンダーライン・ジョンソン】(小説関連)
 【三びきのやぎのがらがらどん】(絵本)
 【地獄での寒い日】(ゲーム関連)
 【死にゆく者への祈り】(小説)
 【死ぬほどいい女】(小説)
 【深夜プラスONE】(サイト)
 【スプラッターハウス】(ゲーム)
 【全裸忍者】(ゲーム関連)



TPS(Thard Person Shooter)
 (ジャンル)(ゲーム関連)
 サードパーソンシューター(三人称シューティング)の略称で、自機後方に視点が設定された3Dアクションの形態。このジャンルが輸入され始めた00年代の日本ではFPSと混同する人も多く、日本製のタイトルでは「3Dアクションシューティング」を名乗ることも多かったが、現在ではおおむね使い分けも浸透したようである。

 日本は海外と比べFPSが敬遠されることが多く、このジャンルが普及しだした00年代から現在まで大手メーカーがFPSを製作した例はごく限られている。ただしTPSは『THE 地球防衛軍』などそれなりに作られてきた。その理由はFPSと違って自機が見えるため(他のジャンルと同様に)キャラクター性を強く打ち出せること、また後方視点であるためFPS特有の視界の狭さに悩まされることがない部分が大きいと思われる。一人称視点は日本人に多いとされる3D酔いとも密接な関係があるため、この点でもTPSはFPSより日本人向けであるといえる。

 FPSとTPSの違いはざっくり言えば視点の違いに過ぎず、少数ながら両方の視点を切り替えられる作品も存在する。また普段は一人称だが特定のスキルを使用した時のみ三人称視点になったり、ビークル(乗り物)操作時は三人称視点も選べる作品も多く、両方の長所を盛り込もうとする試みは昔から数多く行われている。

関連:【FPS】  【洋ゲー】


THE 地球防衛軍
 (ゲーム)


 「地球防衛軍シリーズ」の記念すべき1作目。PS2の低価格ソフト「SIMPLE2000」のひとつとして2003年にリリースされた。「安かろう悪かろう」を地で行くSIMPLE製とあって当初の注目度は高くなかったが、巨大な敵の群れをロケランでふっ飛ばしたり、林立するビルを片っ端から瓦礫に変えられたりと、ケタはずれの爽快感がゲーマーを中心に話題となった。
 当時の一般的なTPSと違い、ICBMめいた特大誘導ミサイルなどどう考えても個人携行火器とは思えない型破りな武器が多かったのも地球防衛軍ならではの特色である。上空に撃った誘導ミサイルが自分の近くにいる敵をロックオンしてしまい、敵もろとも吹き飛ばされるのもこの一作目から変わらない魅力である。その爽快な戦闘に加え、高難易度まで練りこまれたバランス、強力な武器を収集するハック&スラッシュ的な楽しみがあり、SIMPLEゲーとしては異例のヒット作となる。
 なおファミ通クロスレビューの点数は40点満点中27点で、可もなく不可もなくというスコアだったようである。(ファミ通.com)

 それから2年後、満を持して『THE 地球防衛軍2』がリリースされる。



 最大の変化は、空を飛び独自の武器を使用する「ペイルウイング隊員」がプレイヤーキャラクターに加わったことである(従来の主人公は『陸戦兵』という名称になった)。敵キャラも多数追加され、ステージ数も25から71と激増。SIMPLEゲーとしては破格の豪華さを誇っていた。
 ただしステージについては敵の配置が違うだけのステージが複数あったりと水増し感も強く、敵の攻撃も前作に比べ理不尽に感じる部分があるなど批判もあった。攻撃が障害物を貫通することで悪名高い「蜘蛛」もこの2作目で初登場している。2においては特に攻撃力が高かったため、高難度ではその理不尽さが嫌われたが、「ペイルウイング隊員が糸にまかれているのを見るとムラムラする」という紳士的とは言い難い需要の開拓にも貢献した。

 言い忘れたが、ペイルウイング隊員の魅力も地球防衛軍2を語るにおいて欠かせない部分である。

 PSVita『地球防衛軍Portabler V2』パッケージイラストより

 従来の主人公(陸戦兵)に合わせて若干レトロなデザインでありつつミニスカ&ニーソと当世風の要素も取り入れており、地球防衛軍らしさを損なわない範囲で実にキュートな女性キャラクターとして完成されていた。前作で100時間以上巨大アリやUFOと格闘し続け、この世に戦い以外のものが存在することすら忘れつつあったプレイヤーにとって、ペイルウイングの存在は貴重な安らぎでもあった。
 ゲーム中ではもっぱら後姿しか拝めないが、飛行の際にミニスカの裾がヒラヒラする様子に集中力を奪われたプレイヤーも少なくない。 もちろん「飛行可能なキャラクター」という点で全く新しい戦術を練る楽しみがあったし、地球防衛軍の可能性を切り開いたといえる。
 その後Xbox360でリリースされた『地球防止軍3』では制作コストの問題で導入されず、多くのファンがいろんな意味で涙を流した。

 「SIMPLEシリーズ」としてリリースされたのはこの1、2とスピンアウトである『THE地球防衛軍タクティクス』の3作であるが、SIMPLEシリーズのキャラクターを集めた対戦格闘ゲーム『THE ALLSTAR格闘祭』に主人公(陸戦兵の方)がプレイヤーキャラクターとして登場していた。



 それなりに格ゲーキャラっぽくリファインされていたものの、生身の人間相手に大量破壊兵器であるジェノサイド砲を使用するなど、常軌を逸した戦闘スタイルがユーザーの目を点にした。また対戦前の掛け合いでは、『THEはじめてのRPG』のプリンセス・シャバル(この画像の左の娘)に防衛軍への寄付を募るなど、微妙にズレたキャラで笑いを取っている。こういう形で主人公に台詞が用意されたのはこのALLSTAR格闘祭のみである。

 なおまったくの余談だが、初代地球防衛軍が発売された翌年にSIMPLEシリーズとして『THE 地球侵略群〜スペースレイダーズ〜』というゲームがリリースされた。
 制作は別会社ながらどことなく地球防衛軍を連想させるタイトルであり、デモムービーも映画『インデペンデンス・デイ』を彷彿とさせる豪華なものであったため一部の防衛軍ファンの興味を引いたが、実際のゲームはインベーダーゲームの焼き直しのような代物であった。
 要は防衛軍人気に乗じたパブリッシャーによる「タイトル詐欺」のようなもので、勝手にだまされたプレイヤーは無念の涙を流したと言われている。

 「侵略者をブッ殺せ!」というコンセプトなら、防衛軍2の直前に出たフライトシューティング『THE 宇宙大戦争』が地味に良ゲーだった。もとは真面目なフラシューを手掛けていたメーカーだけあってしっかりした作りであり、巨大なエイリアンとの戦闘やちょいエロ風味なオペレーターAIなどの魅力があった。
 強いて難点を挙げるならタイトルに反して宇宙が舞台ではないことくらいだろう。できることならシリーズ化してほしかったタイトルである。


寒い国から帰ってきたスパイ
 (小説)
 スパイ小説の大家ジョン・ル・カレ代表作のひとつ。
 英国情報部「サーカス」の諜報員であったアレック・リーマスは、任務失敗の責任を問われ、サーカスを退職する。だが、それはリーマスに課せられた周到な偽装作戦だった。東ドイツ情報局の副局長・ムントを失脚させるため、リーマスは故国を裏切ると見せかけ、東ドイツへと迎え入れられる…。

 地味で、重苦しいスパイ小説。前半はリーマスの「仕事をクビになって落ちぶれた中年男」を演じる偽装生活がメインに描かれ、後半は東ドイツでの「古巣を裏切る元スパイ」を演じる駆け引きがメインになる。
 当然ながらフィクションの作品ではあるが「諜報員とは、諜報戦とはこのようなものか」と思わせるリアリティがある(訳者あとがきによると、ル・カレはそれに近い職に就いていたらしい)。苛酷な任務に身を投じる諜報員たちの姿もさることながら、彼らを操る国家を含めた「組織」の冷徹さが際立っている。それゆえに、終盤で明らかになる「組織に蹂躙される個人」という構図が胸をえぐる。
 残酷なラストシーンは特に衝撃的。


ザ・ミッション 非情の掟
 (映画)


 ジョニー・トー監督。原題は「鎗火」。マフィアのボスを護衛するために集められた5人の男達が主人公のハードボイルド・アクション。
 義理と友情に命をかける男たちがテーマだが、全編通して説明的な描写は少なく仏頂面のオッサンたち(イケメンもいるが)が黙々と任務に従事し、時には衝突し、やがて信頼で結ばれていくという寡黙な映画。
 アクションにおいてもこのトーンは同じであり、派手さはないがプロとしての凄味を感じさせる硬質なカッコ良さに満ちている。物語中盤、ショッピングセンター内でボスを守りながら脱出するシーンはその極致。一言も言葉を交わすことなく、それぞれが自分のポジションを守る戦いは研ぎ澄まされた緊張感がある。「ただ銃を構えて静止する」という構図がこれほどカッコよく見える映画はちょっと他に思い当たらない。

 寄せ集めだった5人が次第に打ち解けていく様子もほとんど台詞はなく、煙草に花火を仕込む悪戯をしてみたり、丸めた紙くずでサッカーをしてみたりと、ささいなやり取りの変化で描かれている。どこか子供っぽいやり取りは微笑ましく、彼らが仕事仲間という以上の絆で結ばれていく様が如実に感じ取れる。それゆえ、終盤でのしかかってくる「非情の掟」の苛酷さが際立ってくる。

 ジョニー・トーはその後、ほぼ同じキャストで『エグザイル/絆』、『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』といった作品を撮っており、いずれも友情あるいは義理のためには死も厭わない男たちを描いている。




省港旗兵(サンコンケイペイ)
 (裏社会)
 80〜90年代の香港で猛威をふるった大陸系のゴロツキ。多くが中国人民軍の出身で、宝石店の襲撃など暴力的な犯罪の際に雇われた。彼らは中国本土で兵役を務めた者たちで、武器の扱いに習熟し、ことが終わると本土へとトンボ返りするため、足もつかない。そのうえ報酬も安くあがったため、香港の犯罪組織に重宝されたという。

関連:【マーダー・インク】


サンダーライン・ジョンソン
 (小説関連)(出典:ホワイト・ジャズ)


 暗黒小説『ホワイト・ジャズ』登場人物の一人で、怪しげな新興宗教にかぶれている元ボクサー。とある事件の証人として保護されていたが、ギャングと裏取引した刑事のクライン(主人公)に、事故を装って殺害される。
 クラインの悪徳警官っぷりを印象づけるためだけに出てきたような端役だが、おつむのユルそうな台詞とクラインの躊躇のなさ、淡泊な描写がある種のギャグになっており、一部でファンを獲得した。以下は彼の遺言となった台詞である。

「ねえ、イエス様は自分で運転していると思いますか?」

 彼はこの直後に殺されたわけだが、死の要因をクラインが「自分で飛び降りた」と捏造し、さらに新聞記者がひねりを加えた見出しで記事にしたため、劇中でも屈指の面白犠牲者として読者に記憶されるに至る。

関連:【ハレルヤ、おれは飛べる!】  【ホワイト・ジャズ】


三びきのやぎのがらがらどん
 (絵本)


 がらがらどんがキライな男の子なんていないと言い切れるほど、主に男子から圧倒的な支持を得ている絵本。その理由は本作が徹底したバイオレンスアクション絵本であることが挙げられる。
 話の筋は「3匹の山羊がトロルの棲む谷の橋を渡る」というごくシンプルなものだ。小さい山羊から順に橋を渡っていくとトロルが現れて食べられそうになるが「後から僕より大きな山羊が来る」と見逃してもらう。そして最後に橋を渡る大きな山羊が逆にトロルをやっつけ、ハッピーエンドとなる。
 善玉が悪玉を退治するという大筋こそ多くのおとぎ話と共通しているが、教訓めいた要素はほぼなく「力こそパワー」を地で行く話運びが特色といえる。巨大な怪物トロルを倒すにしても、知略でやり込めるのではなく「圧倒的なパワーで正面から粉砕する」という部分に痛快さがある。

 小さい山羊・中くらいの山羊・大きい山羊が順を追って登場する構成は読み聞かせにおける「繰り返しのリズムの面白さ」を狙ったものだと聞いたことがあるが、バイオレンスアクション的に見れば最終的な逆転のカタルシス(弱い山羊が巨大な怪物を圧倒する)を育む効果も生んでいる。
 彼らの足音は小さい山羊だと「かた、こと、かた、こと」と可愛らしいが、中くらいの山羊では「がた、ごと、がた、ごと」と若干重さを感じさせるものとなる。そして大きい山羊の足音は「がたん、ごとん」と橋を軋ませるほどになり、この時点でただならぬ雰囲気を感じさせる。
 そして現れる大きい山羊の風貌――トロルに見劣りしない巨躯、禍々しくねじれた角、眼光の鋭さは、この後に起こる惨劇を容易に想像させる…いや、期待させるというべきか。

 あふれ出る強キャラ臭

 彼のこの風貌は“力”の具現化でもあり、それは彼のこの後の台詞「俺には二本の槍(角)と大きな石(蹄)がある」にも表れている。さらに「眼球を田楽刺しにし、肉も骨も粉々に踏み砕く」という凄味のありすぎる啖呵は、おとぎ話の主人公というよりアンチヒーローのそれに近い。

 この宣言通りにトロルを見開きで木っ端微塵にするシーンは本作のハイライトといえるが、トロルの“肉体の破壊”が絵本にしては詳細に描かれている点も大きな意味を持つ。バイオレンスアクションとその他一般的なアクションの差は「暴力がいかに肉体を破壊するか」を描くか否かにあると管理人は考えているが、その点でトロルの死に様は『北斗の拳』における悪党爆散と同様に大きなカタルシスを生んでいる。
 これらの要素から、本作は幼い子供たちにとってバイオレンスアクションの原体験となったと言っても過言ではない。

 「力」への信仰を育むという点では極めて男子力の高い絵本であり、弱肉強食の世間をサバイブするための教書ともいえる。同時に、悪党をやる上で相手の力量を計ることがいかに大切かを教えてくれる絵本でもある。

関連:【トリゴラス】  【100万回生きたねこ】


地獄での寒い日
 (ゲーム関連)(出典:MAX PAYNE)
 MAX PAYNE第2章「A Cold Day in Hell」の日本語訳。PC版を日本で発売したP&Aの公式ページによるもの(現在は削除されている)。ちなみにPS2の日本語版では「凍てつく日」になっていた。なお「cold day in hell」は“ありえない”というような意味の慣用句であり、これは西洋圏における地獄のイメージが“炎が燃えさかるところ”というところから来ているそうだ。

 MAX PAYNEは冬の街が舞台であり、多くのステージが暗く凍てついた雰囲気で統一されている。そんな中をマックスは復讐だけを目的に這いずりまわるわけで、作品のトーンを考えれば直訳の“地獄での寒い日”がしっくり来るようにも思う。

関連:【MAX PAYNE】  【天国に近づいた】


死にゆく者への祈り
 (小説)


 ジャック・ヒギンズ著。冒険小説の古典的名作。
 元IRAの殺し屋マーチン・ファロンは、最後の仕事である暗殺の現場を神父に目撃されてしまう。本来ならその場で目撃者を消すのが定石だが、マーチンは「神父は告解(懺悔)の内容を他に漏らしてはならない」という戒律を利用し、教会で自分の殺人を告白することで神父の口を封じる。だがマーチンに殺しを依頼した暗黒街のボス、ミーアンはあくまで神父を殺すよう迫り、ついには自分の手の者を差し向ける…。

 冷たい雨が降る北アイルランドを舞台に、生きる意味を見失った殺し屋の戦いと救済を描く。同じくヒギンズのヒット作である『鷲は舞い降りた』あたりと比べると話の筋はシンプルだが、とにかくキャラクターが魅力的。
 マーチンの“告解”で口を封じられるダコスタ神父も元特殊部隊という異色の経歴の持ち主で、マーチンと同様「死と暴力の世界」に身を置いた人間ながら、光と影のように対照的な人物として描かれる。劇中で幾度も繰り返される2人の問答はキリスト教の素養がないと分かりづらい部分もあるが、絶望と救済という本作のテーマを鮮やかに浮き上がらせている

 また黒幕であるジャック・ミーアンも暗黒街のドンという残忍な役どころでありながら、葬儀会社の経営者にして死化粧の職人という表の業務には真摯に取り組んでおり、こと葬儀に関しては人情味あふれる采配をふるうなど、邪悪なだけではない多面的なキャラクターとして描かれている。
 その他、ダコスタ神父の姪である盲目の美女アンナや、ミーアンに利用される娼婦のジェニー(19歳:経産婦)というダブルヒロインが物語を彩っているのもポイント高い。

 雨の降りしきる暗黒街、孤独な殺し屋、薄幸の美女という、クラシカルだが魅力的な要素をコンパクトにまとめた傑作であり、作者のジャック・ヒギンズもまたこの作品を一番のお気に入りとして挙げている。
 余談ながら漫画『MASTERキートン』では、英国陸上競技界の賭けレースにまつわるエピソード「FIRE&ICE」に「神父への告解を利用して口封じをする」というアイデアが使われている。その神父の名前が「ヒギンズ」であることからしても、本作へのオマージュだったと思われる。

 なお上掲のカバーは最近になってリファインされたものだが、昔のデザインもカッコいい。



 これはマーチンが物語の発端となる暗殺を行う場面のイラストである。

関連:【申し訳ない、何もかも申し訳ない】


死ぬほどいい女
 (小説)


 暗黒小説の巨匠ジム・トンプスンの作品。
 安月給で働くセールスマン、フランク・ディロン(通称ドリー)は、仕事で訪れた老婆の家で薄幸の女性・モナと出会う。くだらない仕事とうんざりするような妻を捨て、モナとの新しい生活を始めるようと、ドリーはある計画を思いつくが…。

 物語の筋としては犯罪モノだが、エルロイ作品のように堕落した警官も凶悪なギャングもイカれた殺人鬼も登場しない。主人公ドリーも、悪党ではないが善良でもない一般人――そして現状に不平満々ながら惰性で日々を送っているダメ人間――であり、そんな彼が犯罪を計画し、破滅していく物語である。
 物語はドリーの一人称で進むが、彼が追いつめられるに従って文体にも奇怪なものが混じりだす。それは狂気というより、弱さ・醜さの表出に見える。チンケなプライドを支えるための責任転嫁と自己憐憫。そして現実からの逃避。その根本にあるのは誰もが多少なりとも持っている弱さと醜さだ。そしてその中にこそ、眼を背けたくなるような「暗黒」がある。
 断裂した自己が入り混じりながら崩壊に至るラストシーンは衝撃的。
 あまりに衝撃を受けたので、管理人は何度かネタに使っている。→


深夜プラスONE
 (サイト)(毒虫による福音書)


 2000年代初頭から10年代初頭にかけて存在したテキストサイト。管理人は鬼首毒虫(おにこべ・どくむし)氏。サイト名はギャビン・ライアルの古典ハードボイルド『深夜プラス1』と、90年代後期にヒットした18禁ビジュアルノベル(泣きゲー)『ONE』から。
 オタ系テキストサイトの中でもカルトな人気を博しており、閉鎖が惜しまれる個人サイトとして今でもしばしば名前が挙がる。

 (1)概要
 (2)コンテンツについて
  ・WEB漫画『深夜プラスONE』
  ・エッセイ『百年の孤独』
  ・WEB小説
 (3)作風について――性癖と裏腹な慎重さ
 (4)性癖について――お乳はハンドボール大
 (5)深夜プラスONEの功績――毒虫による福音書

(1)概要
 90年代末期から00年代初頭は俗にいう「“泣き系”ビジュアルノベル(泣きゲー)」のブームが起き、美少女カルチャーが大きく発展し始めた時期である。ネット界隈ではそれを受けて『ONE』や『KANON』といったビジュアルノベルのファンサイト・二次創作サイトが数多く誕生し、深夜プラスONEもその中のひとつとして誕生した。だが次第に二次創作とは無関係に、毒虫氏がアニメや書籍の感想を語るサイトになる。
 美少女カルチャーへのリビドーあふれるトークがいつの間にか別次元の話に変貌する芸風が特徴で、そのネタは漫画・アニメに始まりハードボイルド小説・冒険小説・スパイ小説・暗黒小説・共産主義思想・軍事関連まで及んだ。『シスタープリンセス』+『蒼天航路』、『AIR』+『暗黒のLA四部作』など、狂気に満ちたコラボレーションが多くのファンを獲得した。

 2010年代に入り更新が途絶え、2013年にサイトが消滅。足かけ10年に及ぶ暗黒伝説に終止符が打たれた。

(2)コンテンツについて
・WEB漫画『深夜プラスONE』



 サイトと同名の『ONE』二次創作漫画。毒虫氏がネタ出し担当、作画は初期に共同管理人を務めていたプリミー氏が担当していたが、後に毒虫氏の後輩である病虫氏にバトンタッチした。
 原作の主人公を、学生服にマスクにヘルメットという革命闘士「鬼首毒虫」に置き換えた1ページ完結のギャグ漫画。原作のイベントをなぞりながら共産主義思想や軍事・諜報関連ネタを織り込んでおり、主人公がヒロインにアドバイスと称して「私有財産という発想自体が悪なのだ」と説いたりする。また劇中のヒロインが一部を除いて常軌を逸した巨乳に描かれているのも特徴。
 主人公の名は管理人の毒虫氏と同じだが、漫画の主人公はエロ方面に暴走することは少なく、どちらかといえばストイックな(それゆえ滑稽な)革命闘士として描かれていた。あくまでもギャグの範囲内ではあるが「戦う理由を見失った戦士の哀しみ」という側面も描かれており、管理人の毒虫氏が傾倒していた、冷戦後を舞台にした冒険小説・スパイ小説の影響をみることができる。

 このタイトルは北方謙三の同名小説から

 最終話において主人公の毒虫はヒロインの一人「里村茜」と一騎打ちのすえ消滅。彼の情念を茜が受け継ぐという形で幕を閉じた。

・エッセイ『百年の孤独』
 看板コンテンツは上記の『深夜プラスONE』だったが、更新頻度が低いこともあってもっぱら毒虫氏によるエッセイがメインコンテンツのような扱いだった。
 90年代後期に毒虫氏が運営していた個人サイト『影の民解放戦線』で掲載していた『毒っちのエッセイ』をそのまま受け継いだ形で、タイトルもしばらくはそのままだったが、後に『百年の孤独』に改題される。

 このエッセイを語る上で欠かせないのは、ジム・トンプスンやジェイムズ・エルロイ、馳星周に代表される「ノワール(暗黒小説)」にギャグとしての可能性を見出した点である。ノワール的な暗い情念描写とオタ系サイト特有の自虐ネタを融合させており、これに病的な巨乳偏重主義など本人も認める屈折した性的嗜好がプラスされることで、他にないオリジナリティを発揮していた。
 後期は軍事関連のネタが主になり、特に第2次大戦時のドイツ軍事情と、現代におけるPMC(民間軍事会社)を美少女カルチャーに絡めることが多かった。またこの頃からメインのエッセイとは別に『美汐と真琴の戦車講座』『四葉でも分かるパレスティナ紛争』『フランドールでも分かる小銃発展史』などのサブコンテンツが執筆され、本編を補足する形でマニアックな分野を解説していた。

 戦車講座。イスラエル製「メルカバ」の設計思想を解説
 パレスティナ紛争解説。右は看板娘の「みかりん」。実はオカマ

 ちなみに『ガールズ・オブ・パンツァー』や『艦隊これくしょん』といった美少女ミリタリーものが萌えカルチャーのメインストリームに台頭してくるのは、深夜プラスONEの更新が途絶えた後のことである。氏の妄想が具現化したような時代の到来に「毒虫さんが健在ならきっと喜んだろうに」と無念がったファンは多かった。

 扱うネタは時代によって若干変遷したもの、愛と呪詛を叫びながら全裸で窓から飛び降りるような芸風は最後まで変わることはなかった。

・WEB小説
 エターナルメロディの二次創作小説『狼の楽園』、月姫の二次創作小説『MEA CULPA』の2本が執筆されていたが、いずれも未完のままサイト閉鎖を迎えた。
 ただし『影の民解放戦線』時代には『破壊工作員はヴァンパイアの夢を見るか?』と題されたエターナルメロディ二次創作小説がエッセイ内で執筆されており、こちらは完結している。元破壊工作員である「毒虫」を主人公に、ヒロインの一人ティナ・ハーヴェルとの帰還エンド後を描いたもので、ティナの身柄を狙うCIA執行活動局に立ち向かうアクション小説だった。

 主人公名が管理人の毒虫氏と同じであることから分かるようにギャグを基調にしてはいるが、海外冒険小説・スパイ小説のエッセンスを交えており、ありがちな台本形式のSSとは一線を画していた。特に終盤ではJ.C.ポロックやジェラルド・シーモアの影響が濃く出た「冷戦の終結で居場所を失った男たち」というシリアスな側面が強くなる。主人公と同様に「異世界からの帰還者」だったCIA工作員が、かの地に想い人を置き去りにしたことの痛みを露にする場面は劇中で1、2を争う男泣きシーンである。
 もっともその後、彼の想い人がキャラット(メインヒロイン中で最年少のうさみみ少女)だと判明したことで全部ぶち壊しになったが。

 キャラット参考イラスト。素直でいい子なんだけどね

 未完に終わった『狼の楽園』はこの『破壊工作員は〜』の発展系とも呼べるもので、元SAS隊員の主人公が異世界へ飛ばされてしまうという筋書きである。SAS関連の描写はアンディ・マクナブ(元SAS隊員の作家)の著作に影響を受けており、文体もそれに合わせて海外翻訳小説に近いものになっていた。さらにその文体のままギャグを馴染ませており、書き手としてのレベルアップが顕著であった。その点でも未完に終わったのは残念である。

(3)作風について――性癖と裏腹な慎重さ
 万事においてリビドー全開といった作風ではあったが、文章は総じて読みやすく専門分野に疎い人でも面白く読めるよう工夫しており、推敲にはかなり時間をかけていたであろうことが見て取れる。軍事関連ネタが中心になった後期は特にこの傾向が顕著である。
 また毒虫氏は一冊の書籍を読むことと比べて「ネットは系統立てた知識を得るには不向きである」と語っていた。これは断片的な情報をピックアップすることの危険性を指摘したもので、それに従い中東紛争や小銃発展史などの解説系コンテンツでは、そもそもの言葉の意味や由来、歴史的背景から説明するなど、順序だてた解説を心がけていた。
 実際のところネットはピンポイントで情報が入手できる反面、その取捨選択は自分のバイアスがかかったものになりがちである。特に軍事や歴史などの複雑な分野は、前後の文脈や背景事情を理解せずに個々の事象だけをかいつまむと、分かったつもりで偏った知識を蓄えてしまう危険性が少なくない。加速度的に情報化が進みつつあった当時から氏がその陥穽を指摘していたことは特筆に価する。
 これらの解説テキストは専門知識の入り口として価値の高いコンテンツではあったが、それが更新頻度を圧迫していった面も無視できない。特に地域紛争、小銃発展史といった軍事解説テキストは複数の専門書を読み込んだ上で書かれており、下調べだけでも多大な時間を費やしたであろうことは容易に想像できる。

 また当時の個人サイトでは半ば通弊となっていた「毒吐き」がほとんどないのも特色といえる。エッセイはもとより掲示板への書き込みなど発言には総じて慎重であり、ネタとしての「毒舌」はあれど怒りや嫌悪をそのまま吐き出すような発言は皆無であった。
 サイト開設当初『ONE』から『KANON』『AIR』へ続く美少女ゲーム界隈は熱心な(時に狂信的な)ファンが多く、それに共産主義思想や軍事などややこしいネタを絡めるのは、深夜プラスONEの低くない知名度を考えれば少なからずリスキーであった。にも関わらず、約10年の活動期間の中で掲示板への荒らしなどトラブルらしいものに見舞われなかったのは、毒虫氏の性癖とは裏腹な慎重さによるところが大であろう。
 SNS全盛の現在、うかつな言動や動画投稿により「炎上」を招くケースは後を立たない。だが個人サイト全盛期でも情報発信者のリテラシーが今より高かったわけではない。不用意な発言から掲示板で不毛な口喧嘩に発展し、閉鎖に追い込まれるケースは決して珍しくなかった。その点で毒虫氏は情報を発信することの責任とリスクを正しく理解していた一人だったといえる。

(4)性癖について――お乳はハンドボール大
 執筆の姿勢においては慎重かつ誠実さが貫かれていたのは間違いないが、基本の作風は上品とは言いがたいベクトルのギャグである。特に性癖においてはやや特殊とも思える嗜好を開陳しており、サイトの雰囲気を実際以上にアンダーグラウンドなものにしていた。
 特に顕著なのが巨乳への異常な執着であり、それはWEB漫画のヒロインたちが原作を無視したバストサイズにされていたことにも表れている。プリミー氏が作画を担当していた初期はそうでもないが、病虫氏に代わってからは特に注文をつけて“超乳”サイズにさせていたとエッセイでも語られていた。毒虫氏が理想のバストサイズを語る際のフレーズ「お乳はハンドボール大」は深夜プラスONEを代表するキーワードであり、氏の墓碑銘ともいえる。

 巨乳好きということもありロリ方面に関しては嗜み程度という扱いだったが、激務が続いたりと精神的に不安定になっている時には突発的にそちら側への執着を示すことがしばしばあった。過去のエッセイでは「少年時代にウラジミール・ナボコフの『ロリータ』を読んで激しい性的興奮を覚えた」と語っており、ここにその萌芽が見て取れる。
 この他にもツインテールや縞パンへの執着、サディスティックな欲望などここには書きづらい嗜好を多々患っていた。とはいえ二次元至上主義というわけでもなく、おっぱいが大きければOKというスタンスであり、おっぱい的には博愛主義的な面もあった。

 余談だが管理人(味之介)は以前、毒虫氏に「全ての女性のおっぱいを思うがままにできる権利が得られるなら、代償に何を差し出すか」と聞いてみたことがある。その際毒虫氏は「二次元を愛する心を差し出す」と答えられた。もっともその後、自分の選択に後悔するであろうことも匂わせており、その複雑な内面をうかがわせた。

(5)深夜プラスONEの功績――毒虫による福音書
 毒虫氏は単にネタが面白いというにとどまらず、海外小説(とりわけ暗黒小説)、軍事分野、爆乳嗜好についての魅力を広めた暗黒の伝道師でもあった。氏の福音書とも言えるエッセイがネット上から消滅したことを惜しむ声は今なお多い。
 内なる暗黒とともに歩み続けた氏の事跡も、今や同じ時代を歩んだ人々の心に残るのみである。

関連:
【暗黒のLA四部作】  【エターナルメロディ】

スプラッターハウス
 (ゲーム)


 山中で突然の雷雨に見舞われ、人気のない洋館へと逃げ込んだリックとその恋人ジェニファー。だが、その洋館はおぞましい怪物たちの巣窟だった。ジェニファーは怪物に連れ去られリックも瀕死の重傷を負うが、彼は「ヘルマスク」の力によってよみがえり、恋人を取り戻すために凄絶な戦いを開始する。

 80年代、アーケードゲームの雄であったナムコがリリースしたホラーアクションで、『13日の金曜日』のジェイソンそっくりな主人公が拳と角材、その他いろいろな武器で化け物相手に大暴れする。
 どちらかといえばファンタジックな雰囲気の作品が多かったナムコのゲームにおいて、異色ともいえるゴア描写が売りだった。最初のステージからして血まみれの肉片がまき散らされた部屋で巨大ヒルの群れと格闘するという悪夢度MAXな代物で、以後も酸鼻きわまる地獄絵図が続く。



 アクションゲームとしてはシンプルな部類だが、当時にしてはキャラクターも大きく、重々しいアクションで繰り出すパンチやキック、凶器攻撃で怪物がひしゃげたり飛び散ったりするのは独特の爽快感があった。

 また単純なゴア・スプラッターにとどまらず、緩急をつけたホラー描写も特色のひとつである。例えば鏡がいくつも並ぶ廊下を延々と進むステージがあるが、この鏡に映る主人公が突如として鏡を破って襲い掛かってきたりもする。単なるアクションゲームにとどまらない映画的な演出も本作が長く愛された所以である。
 その演出の極致が、ゲーム終盤でのヒロインとの再会だろう。ようやく見つけたヒロインが目の前でおぞましい怪物に変貌し襲いかかってくるという展開は多くのプレイヤーを戦慄させた。

 なおファミコンにも移植されているが、そちらは『わんぱくグラフィティ』と副題がつけられ、2頭身のキャラクターが大暴れするコミカルホラーアクションという大胆すぎるアレンジになっている。


↑「墓場では〜」のキャッチコピーは映画『エイリアン』の「宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない」のパロディ

 蘇った主人公が恋人ジェニファーを救いにいくという筋書きこそ同じだが、オリジナル版の面影はカケラもない完全な別物。しかしアクションゲームとしてはよくできており、随所にホラー映画のパロディを盛り込むなど遊び心も旺盛な良作だった。

 エンディングで「全て映画の撮影でした」というオチがつき、めでたしめでたしとなるが、その後無人となった撮影スタジオで(映画の小道具だったはずの)マスクが宙に浮かび、不気味に哄笑するという不穏なラストで幕を閉じる。
 なお特定の条件を満たすことで見られる真のエンディングでは、この『わんぱくグラフィティ』が本編スプラッターハウスの前日譚であることが匂わされていた。



 オリジナル版を知る人からすれば、これ以上ないくらい絶望感あふれるエンディングである。


全裸忍者
 (ゲーム関連)(出典:ウィザードリィ)


 「忍者は全裸が最強」という信仰から生まれた一種のフェチズム。
 元ネタとなったのはコンピュータRPGの古典『ウィザードリィ』で、このゲームにおける忍者(職業)はレベルが上がるにしたがって生身の状態での防御力が上がっていくという特性を持っていた。極めると装備なしの状態で最高クラスの防御力を誇るようになるため「全裸」が忍者のフォーマルスタイルとみなされるようになる。
 言うまでもないが低レベル時は普通に防具を装備した方が強いため、常に全裸状態が強いというわけではない。「忍者だから全裸でも最強」ではなく「全裸にまで極めた忍者こそ最強」なのである。絵面を想像すると変質者以外の何者でもないが、その実ほかの作品における忍者と比較してもストイックで求道的な戦士の姿といえる。

 とはいえ忍者なのに忍ぶ気ゼロの出で立ちは想像すると強烈なインパクトがあったため、その後もウィザードリィの枠を超え、全裸またはそれに近い忍者はレトロゲーム由来の定番ネタとして知られるようになった。

 『まもって騎士(ナイト)』(2010)より

 過去のウィザードリィ二次創作ではもっぱら男性忍者が描かれることが多かったが、近年では萌えカルチャーの浸透によって全裸くのいちが増え……るかもと思ったが、管理人の見るところあまり多いとはいえない。忍装束は裸マフラーとも相性がいいためポテンシャルは高いはずだが、ファンタジー方面でのエロ需要はもっぱらエルフや女騎士が独占しているため、お鉢が回ってこないようである。
 もっとも全裸に覆面+マフラーというスタイルは70年代に永井豪が「けっこう仮面」で通過しているため、特に斬新というわけではない。

 2012年の実写映画版

 なお同じ永井豪作品で、けっこう仮面の時代劇バージョン『カイケツ風呂頭巾』なる作品もあるとか。これなどは全裸くのいちに極めて近いといえよう。画像がない? 自分でググれ。

関連:【裸ワイシャツ】