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 【やくざをころしてへいきなの?】(ゲーム関連)(出典:真・女神転生)
 【洋ゲー】(ゲーム関連)
 【吉川三国志】(小説)(三国志)
 【横山三国志】(漫画)(三国志)
 【洋館】(舞台装置)


やくざをころしてへいきなの?
 (ゲーム関連)(出典:真・女神転生)


 世紀末カルトRPG「真・女神転生」におけるレアな名台詞。「外道(注:種族名)ヤクザ」が放つ。
 知っての通り同シリーズは戦闘中に悪魔と会話することができ、彼(彼女)らの台詞には名台詞として認定されたものが多くある。そのひとつに「あくまをころしてへいきなの?」という有名な台詞があり、「やくざを〜」はその自家パロディというべきもの。
 いたいけなピクシーに「悪魔を殺して平気なの?」と問いかけられれば、悪魔を勧誘して使役し、合体の材料に使い、あるいは金品を巻き上げて殺したりしてきたプレイヤーは、良心の痛みににたものを感じるかもしれない。この台詞はゲームの名の下に殺戮を正当化してきたプレイヤーへの皮肉でもあるのだ。
 しかしパンチパーマのヤクザに上記のような台詞を吐かれたら、有無を言わさずブチ殺してしまいそうである。

関連:【悪魔召喚プログラム】


洋ゲー
 (ゲーム関連)
 海外で制作されたゲームの俗称。日本でもテレビゲーム黎明期から洋ゲーは一貫して市場に存在したが、その存在感は時代によって変化してきた。本項では日本の家庭用ゲーム界隈における変遷、ゲーマー目線からの偏見の歴史について振り返る。

 (1)潜伏期(80年代)
 (2)萌芽期(90年代前半)
 (3)勃興期(90年代中盤〜後半)
 (4)定着期(2000年代初頭〜中盤)
 (5)隆盛期(00年代後期〜10年代前半)
 (6)現代(10年代後期〜)

(1)潜伏期(80年代)
 ファミコンの登場によって日本のTVゲーム文化が大きく躍進しようとしていた時代。当時まだ「洋ゲー」という言葉はなかったものの、『カラテカ』『バンゲリングベイ』『スパイvsスパイ』といった海外産のゲームは登場しており、当時のゲーマー少年たちは洋ゲーとは知らずにそれらを遊んでいた。

 『カラテカ』『スパイvsスパイ』(FC)

 『カラテカ』の誇張された武道観や『バンゲリングベイ』のマニアックなゲーム性などは後の洋ゲーに繋がる味わいがあるともいえるが、当時の簡素なグラフィックから日本と海外の文化的差異を読み取ることは困難だった。この玉石混交の黎明期こそ、もっとも洋ゲーへの偏見が少なかった時期と言える。
 これが80年代後期になるとやや事情が変わってくる。国産ゲームはすでに固定ファンを掴んだ人気タイトルがシリーズ化し、ゲーマー少年たちの関心を惹きつけるようになる。その当時も『シャドウゲイト』『ディジャブ』といった渋い洋ゲーがローカライズされていたのだが、話題作がひしめく中でネームバリューのない洋ゲーが入り込む隙間はすでになく、一部のマニア以外には顧みられることなく消えていった。

 『シャドウゲイト』『ディジャブ』(FC)

(2)萌芽期(90年代前半)
 PCエンジンやメガドライブに続き、スーパーファミコンが登場する頃には2Dベースのゲームが絶頂期を迎える。ハードの進化によって洋ゲーの独自進化っぷりも目立つようになり、ゴッドゲームのはしりである『ポピュラス』、疑似3DのRPG『ドラッケン』、フルポリゴンのAVG『アウターワールド』などは、従来型ジャンルの枠にとらわれない斬新さや高い技術力が当時の少年たちを驚かせた。

 『ポピュラス』『ドラッケン』(SFC)

 ただしこれらのゲームは奇抜で人を選ぶゲームデザイン、不親切なユーザーインターフェース、理不尽な難易度などが一般ゲーマーを遠ざけていた。加えてハードの進化におけるビジュアル面の強化は、漫画・アニメを基盤とする国産ゲームとリアリズム重視の洋ゲーの違いを浮き彫りにし、パッと見の印象でも敬遠されるケースが多くなってくる。
 ファイナルファンタジーシリーズが名実ともに国民的な人気RPGとなるなど国産ゲームの発展が著しかったこの時代、洋ゲーはおおむね「取っつきにくいキワモノ」と認識されていた。ファミコン通信のクロスレビューで当時の歴代最低点を叩き出した『ソード・オブ・ソダン』(日本発売・1991年)が登場したのもこの時期である。

 『ソード・オブ・ソダン』(MD)

 この作品はクソゲーの頂点という意味から一部で「帝王ソダン」とも呼ばれ「洋ゲー=クソゲー」という認識をゲーマーに植え付ける要因のひとつとなった。
 一方、海の向こうでは1993年にFPSの金字塔『DOOM』が爆誕。全米を席巻しつつ今日まで続くFPS文化の礎を築くが、同時期の日本は『ストリートファイター2』(1991)に端を発する対戦格ゲーのブーム真っただ中であり、うさんくさい洋ゲーの入り込む余地など全くなかった。
 なお対戦格ゲーは国産ゲームの特色のひとつである「キャラクター性」を大きく打ち出したジャンルでもあった。それによってビジュアル面における国産ゲームと洋ゲーの乖離はますます拡大していくのである。


同時期に登場した和・洋の格ゲー『サムライスピリッツ』と『モータルコンバット』。画風の違いが顕著である

(3)勃興期(90年代中盤〜後半)
 話が前後するが、90年代前半の最大のエポックは、プレイステーション(PS)、セガサターン(SS)という次世代機が登場したことである。特にポリゴン技術が一般化したことにより、ゲームデザインも新たなステージに踏み出した。初期はまだ新技術を持てあますメーカーが多かったものの、90年代中盤から後半にかけて次第に開発もこなれ、『バイオハザード』『エースコンバット』といった後にシリーズ化する名作が次々と登場する。
 一方洋ゲーは、映画原作のFPS『ゴールデンアイ007』(Nintendo64)が1997年に日本発売。実写取り込みのテクスチャなど洋モノ臭は相変わらずだったが、丁寧なゲームデザインと対戦の奥深さが口コミで人気を広げ、最終的に100万本を売り上げた。国内で販売されたFPSのセールスとしては史上最高であり、永遠に破られることのない記録である。

4人対戦が人気に火をつけた

 日本にFPSが定着するのはまだ先の話になるが、この頃から一般ゲーマーの中にも「洋ゲーにも面白いものはあるんだ」という認識が少しずつ広まっていく。PSで登場したTPS『サイフォンフィルター』も、マイナーながら一部に熱心なファンを獲得していた。

『サイフォンフィルター』(PS)

(4)定着期(2000年代初頭〜中盤)
 激動の90年代が終る頃には、日本のゲーム業界は一種の停滞期に入る。かつての格ゲー、ギャルゲーのような爆発的ブームもなく、ゲーム人口は次第に手軽な携帯機などへ流れていった。
 この時期にも大手からは『デビルメイクライ』『バイオハザード4』など後の世代に大きな影響を与える名作が登場してはいるが、国内市場の縮小、開発費の増大というハードルはメーカーのチャレンジ精神を減退させ、かつてのように多種多様なゲームは生まれにくくなった。
 その空隙を埋めるように、洋ゲーは日本市場でも少しずつ存在感を増していく。PS2の『グランド・セフト・オート3』(日本発売・2003年)は高い自由度を持つオープンワールドのクライムアクションというこれまでにないジャンルであり、その暴力性も話題となって30万本と大ヒットを記録した。

 広大なフィールドと自由度が話題になった『GTA3』(PS2)

 だが、ゲーマーの間で洋ゲーへの認識を最も大きく変えたのは『ゴッド・オブ・ウォー』(2005)だろう。スキンヘッドの筋肉オヤジが暴虐の限りを尽くすという極めて洋ゲー臭いコンセプトながら、練られたバランスやかゆい所に手の届くユーザーインターフェース等はそれまで日本の十八番と思われていた分野であり「洋ゲーは理不尽にムズイ」「バランス感覚が大雑把」という固定観念を覆した。
 また度肝を抜くような演出やシームレスにつながるステージ構成など、センスや技術の面でも目を見張る部分が多々あり、ゲーマーは「日本はゲーム先進国である」という認識の変化を迫られることになる。

 度肝を抜く演出が目を引いた『ゴッド・オブ・ウォー』(PS2)

 ただし同作は国内ではカプコンが販売していたため、一部では「やっぱりカプコンのゲームは凄いな!」と勘違いする人もいたようである。
 おおよそこの頃から洋ゲーのイメージは、従来の「キワモノ」から「とっつきにくいが面白い」という風に変化していく。かつては日本人を遠ざけていたリアリズム重視のビジュアルも、アニメ寄りの和ゲービジュアルを敬遠していたユーザーには好意的に受け取られるようになった。

 なお、この時期から洋ゲーと切り離せない問題として浮かび上がってくるのが「コンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)」(2002年設立)による表現規制である。
 日本で話題になる洋ゲーのうち少なくないタイトルが「過激な暴力描写」を売りにしていたが、CEROの設立以降そうした描写がローカライズで手心を加えられるようになる。首が飛んだり手足がバラバラになるなどの人体欠損はほぼアウトになり、バイオレンスな刺激を求めて洋ゲーに手を出していたファンは悲憤の涙に枕を濡らした。この悩みはいわばローカライズの宿命として、その後も引きずることになる。

 ちなみに表現規制の話題ではしばしば国産ゲームの性的描写が引き合いに出される。00年代後期頃から家庭用及び携帯ハードにおけるエロ描写は次第に過激化しており、洋ゲーファンは「なぜこの下品なエロがOKで首が飛ぶのはダメなのか」と、半ば八つ当たりに近い愚痴をこぼすことが往々にしてあった。

 『バレットガールズ』(PSVita・2016)

 その場合「日本は暴力に厳しくエロには寛容だから」と返されるのが通例だったが、実のところそうとも言えない。アメリカでは成人指定のソフトであれば家庭用機であっても女性の裸体やセックスシーンを描けるが、日本は乳首や性器の露出はタブーであり、正面からセックスシーンを描くことも稀である。そもそもエロに注力したゲームでCERO-Z(成人指定)の作品が存在しないため、見ようによってはエロ分野も海外…少なくともアメリカよりは控え目と言える。
 その分お行儀のいい描写になっているかといえば上掲の画像のように実情は全く正反対であり、網をくぐる形でより尖った方向に向かいつつある。日本の萌えカルチャーの歪さを表す具体例といえるかもしれない。

(5)隆盛期(00年代後期〜10年代前半)
 00年代後期になるとPS3、Xbox360というオンライン機能を標準搭載したハードが主流になり、ゲームデザインもオンライン対戦やCoop、DLCによる追加要素などこれまでにない可能性を広げていく。わけてもアップデートによりハード本体の機能まで刷新されるという技術革新はオールドゲーマーを驚かせた。
 一方、ゲーム開発においては日本と海外の差が誰の目にも明らかになった時代でもある。それまでPCゲームの開発を行っていた海外のデベロッパーも続々と家庭用ハード市場に参入し『Battlefield』シリーズなどそれまでPCが主戦場だった大手FPSも軸足を移していく。対して日本のメーカーは増大の一途をたどる開発費と縮小する市場というダブルパンチを受け、小規模なメーカーはゲーム開発から手を引き、大手もまた吸収・合併によって数を減らしていった。


『Battlefield:Bad Company』(2008)。家庭用オンリーのスピンアウトだったが、この続編であるBFBC2を発展させる形でBF3が作られた

 日本のゲーマーは国産ゲームの人気シリーズがスケールアップして続々登場することを期待していたが、そうした新世代機への乗り換えは遅々として進まなかった。『Call of Duty』、『Assassin's Creed』といった洋ゲー大作が年イチで新作を送り込んでくるのに比べ、ファイナルファンタジー、メタルギアソリッドといった数少ない国産の大作はなかなか形にならず、結果としてゲーマーは洋ゲーに手を出さざるを得なくなる。

 年イチ発売の代表格であるCODとアサクリ

 日本の家庭用ゲーム史においてこの時代は洋ゲーへの偏見が大きく改善された時期だったが、それは国産ゲームだけでは国内ユーザーの需要を満たせなくなった裏返しでもあった。

(6)現代(10年代後半〜)
 10年代に入ったあたりから日本のゲーム市場はスマホゲームやブラウザゲームが主流となり、従来の家庭用機・携帯機におけるゲームはどちらかといえばマニア的な位置付けに後退する。それに従い「国産ゲームの隙間を洋ゲーが埋める」傾向はより顕著になり、ゲーマーの注目を集める話題作はそのほとんどが洋ゲーに取って代わられた。見方を変えれば、死に体であった従来型ゲーム業界は洋ゲーのおかげで永らえているともいえる。

 80〜90年代まで洋ゲーは「容易に相容れない異質なもの」と捉えられてきたが、洋ゲーの発展・普及によってその溝はあらかた埋められた。少なくとも現在のゲーマー界隈ではかつてあったような忌避感は大きく減じられている。これは国産ゲーム黄金期の終焉という面もあるが、一方で多様な文化圏のゲームが受け入れられる時代になったということでもある。

 これまで「洋ゲー」という語は一般的に欧米のゲームをイメージして使われることが多かった。というより「どこの国のゲームか」はあまり関心をもたれなかったというのが実情であろう。少なくとも90年代までの家庭用機界隈は「日本」と「それ以外」という大雑把な認識が支配的だった。
 だが実際には欧米の枠にはまらない東欧やロシア、東南アジアといった国々からも意欲的なゲームが数多く出ており、現在はかつてよりもずっと容易にそれらのゲームに触れられるようになっている。
 我々は世界的な広がりの中で多様なゲームが並存する時代に生きている。その認識が一般化すれば「洋ゲー」という言葉の意味も今後変わっていくのではないだろうか。

関連:
【FPS】  【萌えカルチャー】

吉川三国志
 (小説)(三国志)
 大衆小説家・吉川英治による三国志小説の通称。戦前に書かれた作品ではあるが、今なお読みつがれる名作。やや年配の方にとっての「三国志」といえばまずこれがあがる。
 物語は「三国志演義」をベースにしているが、ところどころ日本的な情緒を含ませるなど細かなアレンジが行われているのが特色。例を挙げると物語冒頭の「青年劉備が母のために茶を買い求めるシーン」は吉川英治オリジナルであり、また劉安が劉備をもてなすために妻の肉を振舞うというくだりは中国の道徳観について注釈を加えている。この他にも呂蒙が関羽の亡霊に取り殺されるエピソードは「そういう説もある」と軽く流したりなど、近代日本人の感覚では受け入れにくい部分には細かいフォローが見られた。こうしたエッセンスは横山光輝の漫画版三国志にも受け継がれ、現代日本における三国志の原型となった。

 戦前に書かれた作品のため文体はやや古風ながら、それが歴史ものにふさわしい雰囲気をかもし出している。今読んでも十二分に面白く、基本として押さえておきたい作品である。

 余談ではあるが、その昔2ちゃんねるで「AAド素人が吉川三国志をAAで再現するスレ」というスレッドが立っていた。吉川三国志をなぞりつつもアスキーアートのキャラクターが縦横に活躍する快作だったが、残念ながら未完に終わっている。

 暴君トヲタクと劉協&劉弁

関連:【北方三国志】  【横山三国志】


横山三国志
 (漫画)(三国志)
 年配の方々にとっての三国志が「吉川三国志」だとすれば、それよりも若い世代の三国志はコレだろう。全60巻を超えるスケールながら、三国志好きな人間なら大抵一度は読み通しているらしい。
 幼いころにこの漫画に触れ、三国志ファンとなった人もいるそうだが、「蜀の滅亡」というラストに困惑したという話もよく目にする。

関連:【吉川三国志】


洋館
 (舞台装置)
 昔からホラーの舞台としてよく使われる施設。ゲームに限定すれば「弟切草」「バイオハザード」あたりが有名だろうか?
 ホラーの舞台装置としては学校、病院などもよく使われるようだが、洋館がそれらと異なるのは、一般的な日本人にはなじみが薄く、それゆえ日常から逸脱したホラー的雰囲気が備わっている点だろう。また、それなりに「生活感」があり、それにのっとった演出もできるといのも利点だろうか。
 ついでにいえば、この手の「洋館」は大抵最後には炎上する。確率的には秘密研究所とほぼ同等。

関連:【弟切草】  【スプラッターハウス】