頻出用語集
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あ行

 【悪魔召喚プログラム】(ゲーム関連)
 【悪魔の夜】(映画関連)
 【悪魔城伝説】(ゲーム)
 【AZEL -パンツァードラグーンRPG-】(ゲーム)
 【姉萌え】(萌えカルチャー)
 【あぶない水着】(ゲーム関連)
 【暗黒のLA四部作】(小説)
 【いしのなかにいる】(ゲーム関連)
 【妹萌え】(萌えカルチャー)
 【芋スナ】(ゲーム関連)
 【エターナルメロディ】(ゲーム)
 【エドマンド・エクスリー】(ゲーム)
 【えふぴーえす(FPS)】
 【弟切草】(ゲーム)
 【男たちの挽歌】(映画)


悪魔召喚プログラム
 (ゲーム関連)(出典:女神転生シリーズ)
 カルトRPGのビッグネーム『女神転生』シリーズに登場する、対悪魔の交渉・召喚・使役ツール。
 強くて悪そうな鬼神や魔王を従え、肩で風をきって歩いてみたい、あるいは妖精・夜魔などの悪魔っ娘にかしずかれ「はいマスター、あ〜んして♥」とかされてみたいという夢を叶えてくれるが、その際モノをいうのはもっぱら交渉力と金銭・物品であり「悪魔召喚」という言葉とは裏腹な生々しさが漂う。
 ただし原作である西谷史の小説『デジタル・デビル・ストーリー』(1986)に登場する元祖・悪魔召喚プログラムは「悪魔召喚の儀式をコンピュータで代用する」という名前通りのものである。そもそも原作はオカルティズムにおける悪魔召喚のロジックとコンピュータプログラミングの類似性に着目しており、オカルトと科学技術の融合という点で類例のないリアリズムを持ち込んだことで一世を風靡した作品である。
 劇中で悪魔召喚プログラムを作成した主人公・中島朱実は両者の類似性を以下のように語っている。

降魔術で使う呪文・いけにえ・魔方陣などは、二進法での数値化に容易になじみます。降魔というのはアティルト界で悪魔を形成してる物質を、現実のアッシャー界に転生させることなんですが、コンピュータのメモリー(RAM)はまさにこの作業にぴったりですしね……

 中島は悪魔を召喚して自分をいじめた人間に復讐するが、やがて自身の予想を超えた惨劇を招いてしまう…というのが原作1巻のあらすじである(『女神転生』というのは1巻の副題である)。なお著者の西谷史によればこの類似性というテーマは彼のオリジナルではなく、アメリカにはそれ専門の研究団体も存在するという。
 ちなみに原作では召喚する悪魔の格に比例して処理量も増大するという設定で、劇中では学校の情報処理室にあるPC全てを使って悪魔(※北欧神話のロキ)を召喚していた。だが今日ならスマホにも楽々インストールできそうである。

関連:【やくざをころしてへいきなの?】


悪魔の夜
 (映画関連)(出典:クロウ-飛翔伝説-)
 Devils Night。10月30日、ハロウィン前夜のこと。映画『クロウ-飛翔伝説-』では放火をはじめ様々な悪事が多発するギャングどもの祭日である。以下、劇中の台詞より抜粋。

「何が悪魔の夜だ。これで今夜は何件目になる?」
「放火が143件だ」
「それでも去年より少ないのか」
「まだ3時間も残ってるんだ。これからさ」

(冒頭、エリック達の殺害現場を検証するアルブレヒト警部と同僚の警官の会話)

「悪魔の夜に乾杯。俺のお気に入りの祝日だからな」
(エリック達を殺害したギャング・Tバードの台詞)

 映画の舞台となった街は犯罪都市として知られるアメリカのデトロイトがモデルで、「悪魔の夜」の狂乱も実際にこの街で起きていた犯罪である。英語版Wikipedia「Devil's Night」によれば1940年代から小規模なイタズラ行為としてその萌芽があったそうだが、70年代から次第に放火などの破壊行為に発展、80年代半ばから後半にかけてピークに達し「ハロウィーン前の3日間で500〜800件の火災が発生した」とある。


『クロウ-飛翔伝説-』劇中で「悪魔の夜」を報じるニュースの1コマ。実際のデトロイトの映像を使用している

 ただし最近ではこの日に防犯パトロールやボランティアを行う「“天使の夜”活動」が行われており、破壊行為は減少しつつあるようだ。

関連:【クロウ-飛翔伝説-】  【トップ・ダラー】 

悪魔城伝説
 (ゲーム)


 横スクロールアクションの古典的名作「悪魔城ドラキュラ」シリーズ3作目。1作目から百余年をさかのぼった過去のエピソードになる。
 前作である「ドラキュラ2 呪いの封印」ではRPG要素を取り入れて評価が分かれたが、本作は基本に立ち戻った正統派のアクションゲーム。システムは1作目を踏襲しつつ、ステージ途中で仲間にできるパートナーキャラクターを導入している。パートナーはいずれも独特の攻撃・移動手段を持っているため攻略に幅が出ており、アクションゲームとして質・量ともにパワーアップした。
 ファミコンにおける悪魔城シリーズの集大成といえる作品であり、シリーズ全体を通しても評価の高い1本である。

 なおパートナーキャラクターの一人、サイファ・ヴェルナンデスはエンディングで実は女性だということが判明する。

 初対面のシーン

 本作のラストシーンは「崩れ落ちる悪魔城を眺めるラルフとパートナー」というものだが(上のはコラ画像である)、サイファの場合はここで初めて長い髪(金髪)があらわになる。その後、ラルフと肩を寄せ合い「その後2人は幸せに暮らしました。悪魔城伝説・完」という感じで終わるが、小さなキャラクターの後ろ姿だけで「男装の麗人」を表現したのは見事だった。
 管理人は「……え? …女だったの!!?」って具合にテレビの前で目が点になったのだが、世間では「最初から怪しいと思った」「ていうかバレバレ」という意見も多かった。管理人が鈍いだけかもしれないが、鋭い人は人生損してると思うよ。


AZEL -パンツァードラグーンRPG-
 (ゲーム)(其は聖なる御使いなりや)


 セガサターンの看板タイトルだった3Dシューティング『パンツァードラグーン』シリーズ3作目でありつつ、RPGとして作られた異端作。「古代の生物兵器が人類を脅かす世界」「ドラゴンとその乗り手である少年の孤独な戦い」というパンドラシリーズの基本設定を巧みにRPGに落とし込み、極めて独創的なRPGに仕上げられた。サターン全体でも評価の高い1本。

 本作の特色を一言で表現すると“空飛ぶRPG”。町中など一部を除けば移動も戦闘も常時ドラゴンに乗って行うため、地を歩くRPGにはない飛翔感にあふれている。ドラゴンに乗って空を飛びまわり、飛行戦艦にロックオンレーザーを叩き込むようなRPGはちょっと他に見当たらない。

 操作方法は3DSTGライク

 戦闘はアクティブタイムバトル制を採用しており、時間経過で溜まっていくゲージを消費して各種行動を行うが、それに加えて「位置取り」という独自の要素を盛り込んでいる。敵個体または集団を中心として前・後・左・右に位置を占めることができ、これによって敵の後尾にある弱点を叩いたり、特定方向に放射される攻撃を避けたりできる。

 敵集団の右側に占位した状態

 位置取りは行動ゲージとは無関係に行えるため、敵を攻撃した後安全地帯に退避してゲージを溜め、行動可能になったら攻撃に有利なポジションに移動してレーザーを叩き込む、というヒット&アウェイに近い戦い方が可能になる。この要素は戦闘に高い戦術性を付与するだけでなく、画面がめまぐるしく変わることで「空を飛びまわっての空中戦」の雰囲気も再現していた。

 さまざまな点で異色づくしのRPGではあるが、このジャンルで最も長時間接するであろう「移動」と「戦闘」が楽しいというのは大きな美点であり、その意味でも傑出したRPGだった。だがあまりに異色すぎたせいか、その後も続編やフォロワーが出ることもなく、これ1作のみが和製RPGの歴史に名をとどめている。

 ちなみに「其は聖なる御使いなりや」とは本作エンディングテーマのタイトル。 原文は"Sona mi areru ec sancitu"で、これは作品オリジナルの言語(通称パンツァー語)。 曲自体はディスク4をプレーヤーに入れることでも聞くことができた。実は最初のステージのBGMにも使われている。

関連:【特0号噴進弾ヴァラーハ】  【ドラゴン】


姉萌え
 (萌えカルチャー)
 萌えカルチャーにおいて「姉キャラ」への情念を指す語。00年代初頭に「妹萌え」に追随する形でプチブームが起きた。
 厳密に統計を取ったわけではないが、ジャンルとして見た場合「妹萌え」には一歩譲る感がある。妹キャラには「こちらを『お兄ちゃん』と呼ぶ」など容易にキャラ付けができるのに対し「姉キャラ」にはそういう武器がないことや、そもそも美少女文化が名前のとおり「少女」に重きを置いていることも関係していると思われる。
 とはいえ「年上」という兄弟関係における絶対的アドバンテージは、妹キャラでは代替できない「姉」の魅力でもある。これをもって包容力あるヒロインに描くか、横暴な姉がデレる様を描くか、はたまた年上なのに庇護欲をそそられる存在に描くかなど、姉キャラの持つポテンシャルは決して低くはない。

 余談だが、この「姉萌え」を患う人間には2種類のタイプがいる。ひとつは優しいお姉ちゃんに甘えたいというタイプで、もうひとつは横暴な姉貴に虐げられたいというタイプだ。
 どちらの嗜好もリアル姉を持つ人間からすれば冷笑の対象だが、夢を見る権利は誰にでもある。

関連:【妹萌え】  【萌えカルチャー】


あぶない水着
 (ゲーム関連)(出典:ドラゴンクエスト3)


 ドラゴンクエストシリーズではお馴染みのお色気防具で、装備するとキャラクターのグラフィックが水着姿に変わる。当たり前だが女性キャラのみ装備可能。
 ファミコン版ではドラクエ3で初登場したが、16×16ドットで描かれたマップキャラクターのみの変化であり、ビジュアル的には当時としても大した代物ではなかった。だが、苦楽をともにした女戦士や女僧侶や女賢者にお色気衣装を着せられる喜びというものは確かにあり、そのためなら7万8000ゴールドという価格も高くはなか……いや、やっぱ高かったよ。足元見やがってクソが。

 幅広い層に支持されたドラクエシリーズだが、この手のお色気要素に関してはファイナルファンタジーシリーズより一歩抜きん出ていた。あぶない水着に始まって「ピンクのレオタード」「エッチな下着」など…。「ぱふぱふ」もそうか。一体誰の趣味なのか気になるところだ。…堀井か? あのおっさんか?


暗黒のLA四部作
 (小説)
 「アメリカ文学界の狂犬」の異名をもつジェイムズ・エルロイの暗黒小説(ノワール)で、1950年代のロサンゼルスを舞台にした『ブラック・ダリア』『ビッグ・ノーウェア』『LAコンフィデンシャル』『ホワイト・ジャズ』の4作を指す。
 いずれも猟奇殺人をめぐる警察小説の体をとりつつ、麻薬や異常性愛、赤狩りといったアメリカの暗部を丹念に描き、その中で溺れ、あるいは足掻いて破滅していく人間を描いている。登場人物の多くが悪党と狂人とクズで占められているということもあり、強いインパクトを与える台詞や場面が多いのも特色。
 2015年現在、『ブラック・ダリア』、『LAコンフィデンシャル』の2作が映画化されている。

関連:【ブラック・ダリア】  【ビッグ・ノーウェア】  【LAコンフィデンシャル】  【ホワイト・ジャズ】


いしのなかにいる
 (ゲーム関連)(出典:ウィザードリィ)
 RPGの古典的名作「ウィザードリィ」において、1、2を争う絶望メッセージ。次点は 「まいそうされます」あたりか。
 ウィザードリィには座標を指定して自由な場所に移動できる「マロール」というテレポート呪文が あるのだが、その指定を誤ると迷宮内の「壁」の中にワープしてしまい、そのまま全滅となってしまう。 その際に表示されるメッセージが「*いしのなかにいる*」である。

 今さら説明するのもあれだが、ウィザードリィというゲームは他のRPGと比べ「死」や「全滅」の 重みが全く違う。蘇生呪文の失敗を繰り返すとキャラクターは「ロスト(消滅)」してデータ的にも完全消滅してしまうし、迷宮内で全滅した場合は他のパーティーが現地まで死体を回収しに行かねばならない。
 しかし「石の中」に入ってしまったパーティーは当然ながら回収不能、全員ロスト扱いと なってしまう。高位呪文である「マロール」を修得した魔法使いや、行動を共にしていた他のメンバー、 そして高価な装備品までも2度と戻らなくなってしまうというまさしく戦慄の死刑宣告なのである。 宝箱のトラップで「テレポーター」が最も警戒される点もここにある。
 ただし、ファミコン版ではこのメッセージが出た時にリセットボタンを押すとマロール使用前に戻れるため、そこまで絶望的なものではなかった。もっともこの「リセット技」はウィザードリィの特色である緊張感を削いでしまうため、熱心なファンは禁じ手としていたそうだが。

 ちなみにこの種のテレポートミスだが、高さの値をいじると上空にワープアウトし、落下して全滅というパターンもある。ただ、普通にやれば高さを間違えることはまずないため、わざとやらない限りほとんどお目にかかることはない。

関連:【全裸忍者】 

妹萌え
 (萌えカルチャー)
 萌えカルチャーにおいて「妹キャラ」への情念を指す語。80年代までは「主人公の妹」の地位は高いとはいえず、将来の恋人確定な「幼なじみ」や、ライバル確定の「生き別れの兄」と比べればオマケ的な存在でしかなかった。だが90年代ごろに「年下の可愛い女の子に『お兄ちゃん』って呼ばれるのって、結構イイよな」と考えた人間がいたらしく、その後の萌えカルチャーの潮流に乗って、瞬く間にヒロイン級の地位に登りつめる。
 その嚆矢といえるのが、美少女ゲーム雑誌の読者参加企画から誕生した「シスター・プリンセス」である。「ある日突然、妹が12人もできちゃった!」という狂気以外の何物でもないシチュエーションを売りにして人気を博し、その後もギャルゲ・アニメなど多方面に展開して妹萌えの深淵を世に見せ付けた。



 特筆すべきは、この妹たちが兄を呼ぶ際の呼称が個別に設定されていることだ。「お兄ちゃん」や「アニキ」くらいなら誰でも思いつくが、「兄君さま」「兄や」「兄チャマ」「兄くん」等々、日本語の語彙をフル活用して各妹のキャラ付けを行っていた。これらの呼称はWikipediaで見ることができるが、じっと見ていると“兄”という字がゲシュタルト崩壊を起こす。
 管理人はこの企画を初めて知った時「背徳のハの字も見当たらない妹萌え企画など当たるわけがない」と嘲笑したが、結果としては異例の大ヒットを記録し、自身と世間のズレを思い知らされることになった。

 その後ブームは落ち着いたものの「妹キャラ」は定番となり、今日に至るまで萌えカルチャーの一角に陣取っている。
 ただし「妹キャラ」は厳密に妹そのものを指すとは限らず、「義理の妹」「年下の従姉妹」「後輩の女の子」なども含む包括的なものであることに注意されたい。中でも義理の妹については妹キャラを好む人からもやや評価が分かれる分野であり、かつては「近親相姦はさすがに引くから義妹がいいよ派」と「甘美な背徳こそ妹萌えだから実妹に限るよ派」の間で不毛な諍いが起きたケースもあった。

 余談だが、この「妹萌え」を患う人間には2種類のタイプがいる。ひとつはリアルの妹を持たないために「妹」に幻想を抱くタイプ。もうひとつはリアルの妹がいるがゆえに「妹」に幻想を見たがるタイプだ。
 どちらも所詮は幻想に過ぎないが、夢を見る権利は誰にでもある。

関連:【姉萌え】  【萌えカルチャー】


芋スナ
 (ゲーム関連)(人種)
 芋砂、芋虫とも。FPS/TPSにおけるスナイパーのあだ名。蔑称として使われることがほとんど。
 もともとはPCのFPS「BattleField2」で、ギリースーツを着たスナイパーが匍匐姿勢を取っている姿が芋虫を思わせるところからこう呼ばれるようになったらしい。そこから転じて「イモ」という言葉に侮蔑のニュアンスを含ませ、チームに貢献しない(する気のない)置き物スナイパーを罵る際に使われる。「このイモ野郎!」くらいの意味だと思えばよい。
 動詞系にして「芋る」「芋ってる」という使われ方もするが、いずれにせよマイナスイメージの言葉であり、スナイパー側が自ら使うケースはあまり見かけない。また、これらの蔑称はもっぱら「味方の」スナイパーへ向けられるものであることに注意したい。
 現在はスナイパーの悪口として広く浸透し、ギリースーツの存在しないゲームでも使われている。ひょっとすると、移動したがらないスナイパーに芋虫の緩慢なイメージを重ねているのかもしれない。

 スナイパーは日本人に人気のある兵科だと言われるが、多くのゲームで悪者にされがちな不憫な兵科ともいえる。ただ、初心者にお勧めできる兵科でないことは確かだろう。

関連:【キャンパー】  【TPS】  【FPS】  【ヘッドショット】

エターナルメロディ
 (ゲーム)


 1996年にセガサターンとプレイステーションでリリースされた恋愛育成シミュレーション。ファンタジー世界を舞台にヒロインたちとパーティを組んで育成やダンジョン攻略をこなしていくゲームで、続編やリメイクが一切行われていないにも関わらず、今に至るまで根強いファンのいる作品としても知られる。
 後に同じスタッフによって作られた『悠久幻想曲』の前身的な位置づけであるため、ファンコミュニティでは「エタメロ&悠久」という形で一括して扱われることが多い。
 以下、エタメロの魅力をかいつまんで述べる。

 (1)冒険のはじまり
 (2)パーティーリーダーの苦悩
 (3)牙を向くヒロインたち
 (4)別離に向かうドラマ
 (5)エンディングテーマについて
 (6)「4.1事件」の顛末
 (7)まとめ

(1)冒険のはじまり(どうしようもない僕に鉄骨が落ちてきた)
 現代日本に暮らす平凡な青年である主人公は、鉄骨の落下事故に巻き込まれたことから異世界に飛ばされてしまう。そこで出会った妖精のフィリーと吟遊詩人ロクサーヌに「どんな願いも叶えてくれる“魔宝”」のことを聞いた彼は、元いた世界へと帰れる可能性を賭けて魔宝探しの冒険に出ることを決意する。
 その後、町で出会ったヒロイン達に声をかけてパーティーを組むのだが、ヒロイン達は冒険者風の風体の者は少なく、あまり戦闘に向きそうにない町娘のようなキャラクターが多数である。つまり見るからに大人しそうな少女や世間ずれしていない子供を言葉巧みに冒険行に連れ出すわけで、そこに本作主人公の隠れた犯罪的性向をうかがうことができる。

 ただしこれについての責任は、主人公だけでなく一行のガイド役を務める妖精のフィリーによる部分も少なくない。パーティー編成に当たり主人公は屈強な冒険者を雇おうと提案するのだが、フィリーが理不尽にも「むさいのはイヤ」と却下したがために、ヒロインたちの脳天に白羽の矢を立てて回ることになった、というのが実情である。

 妖精のフィリー。突然現れた主人公に押し潰される

 となると彼女らを冒険に耐えられるよう鍛える必要があるわけで、鍛錬の義務だけを丸投げされた主人公こそいい面の皮である。もっとも育成次第では蚊も殺せそうもないヒロインが易々とモンスターを屠れるような戦闘力を身につけたりもするので、見た目はあまり当てにならない。

 見た目に反して武闘派なヒロインの代表格

 だが、その育成が一筋縄ではいかないのが最初のハードルである。

(2)パーティーリーダーの苦悩(それではミーティングを始めます)
 本作のキャッチコピーは「君と出逢う秋、恋に冒険する」というもので、美少女だらけのパーティでキャッキャ♥ウフフ♥な冒険ファンタジーという期待感をあおるものであった。



 だがその実態は、右も左も分からない世界でいきなりパーティーリーダーに任命され、予備知識もないまま危険な冒険に出ざるをえないという過酷なものである。また主人公自身はもちろんヒロインたちの鍛錬(育成)も旅の道すがら行わねばならず、それも過酷さに拍車をかけていた。
 北方三国志では流浪時代の劉備軍が似たようなことをやっており、訓練の中で動きの悪い兵士を間引きするなどして質を保っていたが、当然エタメロでそんな真似は許されない。カスみたいなヒロインでも中途でチェンジはできないし、メンバー間に不和が起きれば時間を割いて仲裁せねばならない。また訓練は金がかかるが、そのための金は訪れる町や村でバイトして稼ぐ必要がある。自宅を宿代わりにしてスライム相手に経験値を稼ぐなどという甘えは許されないハードコアなシチュエーションであった。

 実際、攻略法(主にヒロイン間の相性)をつかむまでは訓練をしようにもすぐに喧嘩が起きて仲裁(ミーティング)に手間を取られ、いきおいキャラの強化がおろそかになり、戦闘では常に苦戦というキャッキャウフフどころではない状況に置かれる。以前ネットのどこかで「女だらけのパーティに男は自分だけというシチュエーションは楽しいことより辛いことの方が多いと思う」という書き込みを見たが、当時の恋愛シミュレーションはその手のリアリズムを(アクセント程度にせよ)取り入れたものが多かった。

 主人公とヒロインたちの関係図。これが地獄絵図の完成系である

 このようにノーヒントで攻略するには少々辛い代物ではあったが、当時のゲーマーはゲーム雑誌による攻略記事や攻略本を参考にプレイするのが一般的であり、本作が突出して高難度だったわけではない。とはいえ、主人公に課せられた役割の重さという意味では他に類を見ないのも確かである。これに比べれば弱小バレー部を鍛えて全国優勝を目指すなどはまだ良心的なオペレーションといえよう。

(3)牙を向くヒロインたち(お前ら俺のこと嫌いだろ?)
 本作には主人公の邪魔をするライバルキャラとしてお姫様の「レミット・マリエーナ」、魔族の青年「カイル・イシュバーン」が登場するが、全9人のヒロインのうち主人公が選ばなかった6人はそれぞれこの2人の下につくことになる。

 レミット(左)とカイル

 道中のダンジョン攻略イベント(すごろく形式)ではこれらライバルパーティーと戦闘になることもあり、その際は敵方のヒロインたちも容赦なくこちらを殺しにかかってくる。使えねぇメガネだと思っていたヒロインが強力な攻撃魔法をぶちかましてきたり、頼れるおねーさんだったヒロインが敵に回すと洒落にならない脅威だったりと、立場を入れ替えての戦闘もキャラの特徴付けに一役買っていたのではないかと思われる。

 魔法使い系は最初に片付けておきたい

 もっとも戦闘が起きるケースはそう多くはなく、こちらのパーティがしっかり育成できていれば大した脅威にはならないことがほとんどである。後半になればむしろ叩きのめして有り金を巻き上げる餌同然の存在に成り下がるため、キャラ付け云々よりもプレイヤーのサディズムを満足させる要素にしかなっていないともいえる。

(4)別離に向かうドラマ(俺がいなくなっても喧嘩すんなよ)
 多くのファンにとって本作が忘れがたいものになっている理由は、クライマックスに“別離”をもってきたメインシナリオの功績が大きいと思われる。
 ヒロインたちはそれぞれの目的や思惑があり、主人公と同道することにメリットを見出してパーティーに加わる。主人公の目的が「元の世界へ戻ること」も最初から知っているのだが、旅の過程で互いの距離が縮まるにつれ、その終着点が単なるゴールではなく、二度と会えない別離の時だと自覚するようになる。
 全ての“魔宝”を手に入れ、いよいよ明日には願いが叶うという夜にヒロインが主人公の寝室にやってくるくだりはゲーム中最大のハイライトである。

 別れの前夜。ここで告白とはならないのがポイント

 今の尺度で考えれば、ヒロインの心情描写はそれほど丁寧とは言えないかもしれない。だがある程度の想像力を働かせれば、ヒロインが――いつだって前向きだったうさみみ娘も、頭のネジの取り付けのゆるい和風娘も、やがてやってくる「別離の時」に葛藤を抱えていたであろうことが想像できる。そしてそれは主人公(=プレイヤー)も少なからず共有する思いだった。
 ここで「俺は愛に目覚めた! レミットもカイルもブッ殺して9人全員俺の嫁にしてやる!」と開き直れるなら話は簡単だが、当然そうはならない。主人公はヒロインへの想いを振り切って初志貫徹を選び、「元の世界」へと帰還する。
 だが、ようやく取り戻した「元通りの日常」は、今の彼にとってひどく退屈なものに様変わりしていた。あれほど帰りたかったはずなのに、ここには命を奮い立たせるものがない。あの異世界での胸躍る日々――バイトの金策ばっかりしてたけど――や、ヒロインたちとのロマンス――喧嘩の仲裁ばっかりしてたけど――を捨ててまで、帰る意味があったのだろうか? そんな疑問すらいつしか退屈な日常の中に埋没してゆく。
 主人公の抱く喪失感は「ギャルゲーという異世界」にトリップしていたプレイヤーとも重なるのだ。だからこそ、自分を追ってきたヒロインと再会するというハッピーエンドが胸に染みるのである。
 世の中を斜めに見ていたような盗賊娘が、あるいは人との関わりを避けていた忌まわしい部族の娘が、主人公への想いだけを胸に世界の垣根を越えてきたという事実は等しくプレイヤーの胸を打たずにはおかない。決して楽しいことばかりではなかった冒険の日々も、全てはこの瞬間の――いや、ここから始まるヒロインとの日々のためにあったと思えるのだ。

 そしてエピローグでは主人公とヒロインが一つ屋根の下で新しい生活を始める様子が語られるわけだが、一部残念な部分もある。「うさ耳」や「とんがり耳」を持つ亜人系ヒロインは、こちらに来るにあたってその特色を抹消されているのだ。

 ビフォー(左)アフター(右)。

 個性の尊重という観点からすれば許しがたい改悪だが、これから現代日本で生活することを考えれば仕方のないことでもある。当時のユーザーもその事情を鑑みて「ヒロインたちの幸せを願えばマジョリティに迎合するもやむなし」という見方が多かったように記憶している。

 なおライバルキャラのカイルとレミットにもエンディングが用意されているが(カイルは友情END)、レミットは13歳という全キャラ中唯一ローティーンのお子様であり、未成年との同棲生活という点では他のヒロインにも増して不安が残る。
 彼女らとの再会は魔宝によって呼び出される「暁の女神」の力によるものだが、獣人娘の耳を消去するくらいならこの小娘の年齢を+10してくれた方がよっぽどよかった。

 レミット。13歳にしては幼い(頭が)

 話が前後するが、エンディングの判定は「ヒロインのフラグを立てたか」「魔宝を全て入手できたか」の2点で行われる。両方を達成した場合は上述の「元の世界に帰還してヒロインと再会END」となり、フラグは立てたが魔宝を得られなかった場合は「この世界でヒロインと幸せに暮らしましたEND」となる。
 なお、どのヒロインともフラグが立たなかった場合は魔宝を入手していても元の世界に帰ることはできず、妖精のフィリー&吟遊詩人ロクサーヌと再び魔宝探しの旅に出るというバッドエンドになる。
 厳しいといえば厳しいが、これはある意味で救いでもある。なぜなら本作において考えうる最も悲しい結末は「一人だけ元の世界に帰り、退屈な日常に埋もれていく」というものだからだ。
 苦難に満ちた冒険やヒロインたちとの出会いと触れ合い、胃が痛くなるようなパーティ間の不和など、そのすべてを置き去りにしての孤独な帰還は、他のギャルゲーでは味わえない虚無感に満ちたものになったに違いない。
 あえてこの結末を採用しなかったのは、本作の情けともいえよう。

(5)エンディングテーマについて(あのイントロが心をかき乱すぜ)
 本作のオープニングテーマ・エンディングテーマはPS版とSS版で別のものが使用されているが、SS版は後にアニソン界隈で屈指の作詞家とし名を馳せる畑亜貴が手がけている。
 当時はもっぱらシンガーソングライターとして活動しており、本作で担当したOP・EDテーマは作詞・作曲・編曲・歌のすべてを一人でこなしていた。なおエンディングテーマ『どうしよう?』は明るい中にも切なさを伴う曲と歌声が“冒険の終わり”にふさわしい郷愁をかもし出しており、エタメロファンの間でも評価が高い。
 ただし畑亜貴の本来の作風は曲にせよ歌詞にせよ退廃的なものであり、エタメロつながりでオリジナルCDに手を出した人はあまりのギャップに驚くことになった。

(6)「4.1事件」の顛末(泣いてねぇよ。泣いてねぇっつってんだろ)


 長らくリメイクを望まれてきた本作であるが、2010年の4月1日、かつてのエタメロ制作スタッフが在籍する「株式会社VRIDGE」のサイトにリメイク計画が進行中であるかのような画像が掲載された。それも本作のキャラクターデザインを手掛けたmoo氏による描きおろしイラストであり、ネットの各所に潜んでいたかつてのエタメロファンを驚喜させた。

 絵柄の変化が顕著だが、これも悪くない

 だが案の定エイプリルフールの一発ネタであり、迂闊に喜んだ者はその落差で心に傷を負うことになった。人によっては致命傷である。

 ファンによるコラ画像。哀しい夢の蜃気楼である

 今なおファンの間では悲劇として語られる出来事であり、いわば血涙によってエタメロ伝説に新たな1ページが書き加えられたと言える。
 moo氏は良かれと思って件の絵を描いたに違いないが、エタメロファンの情念の深さ――エイプリルフールであることを忘れて狂喜するほど――を見誤ったというべきかもしれない。

 とはいえ、今思えばエタメロファンへの贈り物としてあれ以上のものはなかったのではないかとも思う。リメイクも復刻も行われていない――今後も行われないであろう本作において、かつてのキャラクターデザイン担当者が新たに絵を起こすことは、現状で成しうる精一杯の「再上演」でもあった。その意味で「――ただいま。」というメッセージは決して嘘や偽りではなく、確かに再会の言葉ではなかっただろうか。

 1996年から長い年月が経ち、我々も変わった。少年は大人に、学生は社会人になり、ゲームから遠ざかった者もいればチェーンソーで悪党を輪切りにすることに悦びを覚えるようになった者もいる。そんな我々が等しくあの春の日に、ほんの一瞬だけエタメロに再会する夢を見た。この出来事を通して、自分の他にも本作を忘れていない人間が多数いたこと、かつての制作者が本作を忘れていなかったことを再確認できたのは、結果としてそれほど悪くないサプライズであった…と個人的には思う。

(7)まとめ(俺はずっと忘れないよ)
 公平な目で評価すると、本作はそれほど高品質なギャルゲーというわけではない。キャラクターデザインを含めビジュアル面は当時の水準でも高いとはいえなかったし、ゲーム性が突出して優れていたわけでもない。
 にもかかわらず熱心なファンが多いのは、上で述べたように荒削りながら確かな魅力があったこと、後継作である『悠久幻想曲』がシリーズ化し、それに付随する形でファンコミュニティの活動が継続された点が大きい。
 また皮肉な見方ではあるが、続編・リメイクが存在しないことも結果的に良かったのかもしれない。世の中にはファンの思い出を木端微塵にするようなクソリメイクも珍しくないことを思えば、リメイクされなかったからこそエタメロは「美しい思い出」であり続けたといえる。

 そう遠くない日にエタメロは昔話となり、やがて消えていくだろうが、その時まで我々が忘れずにいればそれでいいのだ、とも思える。



関連:【北方三国志】 【深夜プラスONE】

エドマンド・エクスリー
 (小説関連)(出典:LAコンフィデンシャル、ホワイト・ジャズ)
 エドマンド・ジェニングス・エクスリー。「LAコンフィデンシャル」主人公の一人で、優等生タイプのインテリ型警官。大物実業家でかつては優秀な警官でもあった父・プレストンに認められたいという思いが強く、強烈な上昇志向を持つ。
 腕っ節の強い同僚のバドと比べてひ弱なイメージがあるが、実は190cmと長身であることが次作『ホワイト・ジャズ』で明らかになった。

 なお映画版『LAコンフィデンシャル』では大幅に設定が変更されており、そちらでは父は警官時代に若くして殉職、その仇を追うことがエドが警官として生きる大きな動機となっている。

関連:【LAコンフィデンシャル】  【ホワイト・ジャズ】

■えふぴーえす(FPS)
 →
FPS(First Person Shooter)


弟切草
 (ゲーム)
 車の故障によって、夜の山中に立ち往生することになった主人公と、ガールフレンドの奈美。一夜の宿を借りようと、近くにあった洋館を訪れる二人だったが、その館の庭には、弟切草が一面に茂っていた。弟切草の花言葉は「復讐」。不吉な予感を打ち消しながら、二人は館の扉を開ける…。
 という、どことなく「スプラッターハウス」を彷彿とさせるプロローグで幕を開けるホラー風味のサウンドノベル。ただし、主人公がホッケーマスクを装着してヒロインと殺しあったりはしない。

 同ジャンルを打ち立てた記念碑的作品であり、最高傑作と評する人も少なくない。選択肢によって物語が多様な変化を見せる面白さが最大の売りで、ヒロイン・奈美の血族にまつわる悲しい物語が展開したり、双子の姉・ナオミの切ない恋心が描かれたり、実は壮大なドッキリでしたという度肝を抜くような展開になったりとゴチャ混ぜなシナリオが魅力。
 なお、隠しシナリオの「ピンクのしおり」はちょいエロなシナリオが業界人含めて絶賛され、「弟切草」の名を世に知らしめるのに貢献した。
 管理人はこのシナリオは未プレイなのだが、話を聞くと「テキストだからこそ描けるエロス」をフルに発揮した傑作だったという。考えようによってはSFCで最も傑出したエロゲーといえるかもしれない。

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男たちの挽歌
 (映画)


 ジョン・ウー監督のバイオレンスアクション映画。原題は『英雄本色』。香港の暗黒街における陰謀と裏切り、兄弟の愛憎、友との葛藤が渦巻くハードな男の世界を描いて大ヒットした。後に“香港ノワール”と呼ばれる暗黒街ものの金字塔ともいえる作品。
 叙情的な物語もさることながら凄絶かつ美しいアクションも本作の特色であり、二挺拳銃のガンアクションはスローモーション演出と合わせてジョン・ウーアクションの代名詞となる。特に、それまで西部劇等で限定的に使われるにすぎなかった「拳銃の二挺持ち」をスタイリッシュに描いたのはアクション映画史で大きな意味を持ち、現在にまで至る「二挺拳銃の美学」を築いた第一人者ともいっても過言ではない。

 ベレッタ2挺持ちはシリーズの定番ともいえるスタイル

 後に「亜州影帝」と称されるほどの大スターになったチョウ・ユンファは本作が出世作となる。彼が演じる“マーク”は終盤で壮絶な死を遂げるが、続編の『男たちの挽歌II』では双子の弟“ケン”という設定でユンファが続投した。



 その後に製作された『アゲイン 男たちの挽歌3』、『狼/男たちの挽歌・最終章』、『ハード・ボイルド 新・男たちの挽歌』でもユンファが主演を務めている。ただし「男たちの挽歌」の邦題はあくまでも日本独自のものであり、『英雄本色』として作られたのは1・2のみである。

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