13.11/20 その197 銀行強盗のススメ――『強盗こそ、われらが宿命』





 最近、銀行強盗に興味がありましてね。

 いや、別に犯行計画を練っているとかそんなんじゃないですよ。『GTA:V』の影響とか『PAYDAY2』がローカライズされなかった無念さとかそういう諸々のパッションでね。
 で、一種の代償行為として強盗を扱った小説を読んだり映画を観たりしていたのだが、チャック・ホーガンの小説『強盗こそ、われらが宿命(さだめ)と、その映画化作品である『ザ・タウン』がとても良かったので、その話をしたい。



  



あらすじ:

 銀行強盗の恋の相手は…銀行の支店長!?


 アメリカ、ボストンのチャールズタウンは、人口一人当たりの銀行強盗と現金輸送車襲撃事件が世界一多いといわれる。この「タウン」に生まれ育ったダグ・マクレイは幼馴染みと強盗団を結成し幾度も“仕事”をこなしてきたが、ある銀行を襲った際に女性支店長のクレア・キージーに一目惚れしてしまう。
 ことが終わって後も彼女を忘れられないダグは、正体を隠して彼女に接近。一方クレアもダグがあの時の強盗と知らないまま、彼に惹かれていく。この危険な恋の行く末は――?


 ……などと書くと軽い恋愛モノみたいですな。ちなみに原題は「Prince Of Thieves(泥棒の王子様)」なので、ますます女性向けの恋愛漫画っぽい。
 しかし本作はラブストーリーであると同時にれっきとした犯罪小説でありクライムアクション映画である。どちらも2人の危うい恋を縦糸に、タウンに生きる悪党たちのしがらみや生き様、FBI捜査官との対決を織り込んでいる。
 原作を読み終えるとすぐさまTSUTAYAに走って映画版を借りて観たが、L.A.コンフィデンシャルやブラックホーク・ダウン、ウォッチメンのような「原作も映画も両方大好き」な作品になった。それぞれの味があってどっちも面白い。

 例によって長くなったので、原作と映画、それぞれの項目リンクを貼っておく。



強盗こそ、われらが宿命(さだめ)
 ・町と人のしがらみ
 ・愛が町に訪れるとき

ザ・タウン
 ・アクションとしての強盗
 ・武装強盗!
 ・原作との些細な違い




強盗こそ、われらが宿命(さだめ)(Prince Of Thieves)

・町と人のしがらみ

 原作小説の魅力はなんといっても細部まで書き込まれた人物像と、舞台である「タウン」の存在感だろう。歴史ある入植地であり、強盗のノウハウが代々受け継がれるといわれる悪党たちの町。ダグとその仲間たちはこの町で生まれ育ち、半ば必然的に強盗に手を染めるようになった。

 一味の武器調達を担当しているジェムはダグと兄弟のように育ち、スマートな仕事を心がけるダグとは対照的に殺しも辞さない凶暴さを持つ。
 逃走用の車両調達と運転を担当するグロンジーは、食ってばかりいるがどこか爬虫類的な冷たさを内に秘めている。
 配電盤をいじって警報を無力化するなど技術面を受け持つデズモンドは、2人暮らしの母の前ではよき息子を演じつつ、強盗に加わることに充足感を得ている。
 そして強盗の計画立案と現場指揮を担うダグは、かつてプロのアイスホッケー選手としての可能性を掴みながらもそれを棒に振り、今ではプロの犯罪者として生きている。

 彼らは他に生きる手段がなく強盗に手を染めたわけではなく、この町から抜け出したいと願っているわけでもない。彼らにとってこの悪党の町は誇るべき故郷であり、強盗とは生き様そのものなのだ。
 しかし、ダグは町のしがらみを重荷に感じてもいる。それは真っ当な道を歩もうとして失敗した経験や、幼少時に母が自分を置いて出て行ったこと、そして刑務所に入っている父への屈折した思いなどが彼の中に影を落としているからだろう。仲間たちとの“仕事”を心地よく感じながらも、ダグはどこかで自分を変えたいと願い、しかしタウンの呪縛から逃れられないでいる。
 それが銀行支店長という堅気の女性――クレアに恋をしたことにより変わっていくのだ。彼は正体を隠しつつ「強盗の王子様」とは違う生き方を模索するようになる。その道に破滅が待ち構えていることを予感しながら。

 ちなみに本作の時代設定は1996年だが、この時代はタウンも開発が進み、ヤッピー(裕福なエリート層の白人)が住む高級住宅地が昔ながらのタウンを侵食しつつある。ダグのような悪党とクレアのようなエリート白人が同じ町に住んでいるというシチュエーションも、この時代のタウンなら不思議はないのだ。
 さらにこの時代は、クレジットカードをはじめ現金を介さない取引が主流になる過渡期でもある。劇中でもちょっと洒落たレストランではウェイターが現金での支払いに慣れていなかったりと、世の中が変わりつつあることが描写されている。それはダグのような昔ながらの強盗が徐々に生きる場所を失うことでもあり、彼自身も自分が時代遅れになりつつあることを悟りつつある。

 甘いラブストーリーの中にもどこかやるせない悲しさが漂うのは、その恋が嘘の上に成り立っていることと、変わり行く時代、変わらない町、変われない自分というダグの思いが底に流れているからだろう。



・愛が町に訪れるとき

 「愛が町に訪れるとき」――ロマンチックな文言ですな。扶桑社ロマンスあたりのタイトルと言われても違和感がないが、これは本作の章タイトルだったりする。犯罪小説には似つかわしくない気もするが、ダグとクレアの恋愛は映画版と比べてもロマンチック一直線な感じに甘酸っぱい。
 というか、原作のダグはすごく純情で微笑ましいのだ。
 映画版ではクレアと初めて接触するシーン(もちろん強盗の時は除く)も、ユーモアを交えてスマートに声をかけ、すんなりデートの約束を取り付けている。しかし原作だと「どう言えば警戒されないだろうか? ていうか声なんかかけてどうするつもりなんだよ俺」と悶々とし、「よし! 声かけるぞ俺!」と決心して声をかけるも、空気を読み損ねてみじめな失敗に終わっている。
 その後失敗を挽回してデートの約束をするも、待ち合わせ時間を過ぎてもクレアは現れない。待ちぼうけを食っている彼の心理描写はまさにこんな感じである↓





 グは基本的に沈着冷静で度胸もあるし、一度はプロ入りも果たしたスポーツマンでもある。モテないはずがないのだが、そんな彼が純情な少年みたいなときめきで胸を満たしている有様は非常に和む。ついでに言うとクレアも茶目っ気があって映画版より2割増しくらい可愛い。

 ダグもクレアも、今の自分が不安定な状態にあることを自覚している。
 ダグは身の破滅につながるような恋に溺れる自分に驚いているし、クレアは強盗に遭ったことのトラウマから完全には立ち直っていない。そんな2人がおずおずと歩み寄り、次第に距離を縮めていく様子には甘酸っぱいものを感じずにはいられない。

 それでこそ後半からの急展開が強いインパクトを残すわけだ。
 物語の結末も原作と映画では全く別物になっているが、個人的には原作の切ないラストの方が強い余韻を残すように思う。 




ザ・タウン

・アクションとしての強盗





 2015年公開予定の『バットマンvsスーパーマン』で、バットマンを演じることが決まるや否や猛烈なブーイングが起きたベン・アフレックが監督・脚本・主演(ダグ役)を務め、『ハート・ロッカー』でアカデミー主演男優賞を受賞したジェレミー・レナーが脇を固めている(ジェム役)。

 アフレックに悪意があるような書き方をしたが、いい映画ですよ。彼の演じるダグもレナーのジェムもぴったりはまっていると感じるし。何より、上下巻からなる原作を120分に無理なく落とし込んだ脚本はいい仕事だと思う。結末部分が大きく違っているのは好みの分かれるところで、管理人的には断然原作の方が好みなのだが、映画版もこれはこれでアリだと思う。

 一番褒めてあげたいのは、強盗のシーンをビジュアル的に見栄えするようアレンジしているところだ。
 例えば物語冒頭の銀行襲撃だが、原作では前日のうちに銀行内に侵入し、出勤してきた支店長を中で待ち伏せて金庫の錠を開けさせるという周到かつ隠密性の高い方法を用いている。
 一方映画版は、行員たちの出勤直後に正面から襲撃している。そして行員たちを銃で脅す、携帯電話を取り上げる、金庫からカネを奪う、監視ビデオのテープを処分するなど、絵的に派手で分かりやすいシーンになっている。
 染料袋の入った札束(銀行から持ち出すと時限装置で破裂し染料を撒き散らす)をチェックするところなどは原作を読んでいればニヤリとできるし、何よりテンポがよく観ていて気持ちがいい。全員おそろいのドクロ仮面で決めているのもなんていうか、こう…イイよね。大好きなんですよ、こういう統一感あるビジュアルって。

 また中盤の現金輸送車襲撃は原作にないオリジナルだが、カーチェイスも盛り込んで見ごたえがある。老いた尼僧のマスクという出で立ちもインパクトあるし、短い時間ながら2転3転する展開、緊迫感ある逃走劇など強盗ならではのアクションが凝縮されており、何度も繰り返し観たくなる。実際5、6回は観た。締めにギャグをもってくるあたりも上手いと思ったね。映画全体のテイストから若干浮いてる気がしないでもないが。
 現金輸送車襲撃はタウンで銀行強盗と並ぶメジャーな犯罪ながら、原作では扱っていない。それを思えば原作の隙間を埋めるような非常に意義あるアレンジだといえる。



・武装強盗!

 もうひとつ、原作との違いとしてダグたち強盗団の武装が強力になっているのも魅力だろう。原作では拳銃が主だが、映画版では以下の通りサブマシンガンやアサルトライフルなどかなりの重武装で仕事にかかっている。



M4A1カービン SIG SG 551 AKM SU HK416

AKU-94ブルバップ SA58 OSW MP5SD3


情報元:Internet movie firearms database




 なんでそんな撃ち合いする気満々の装備なんだよと突っ込みたくもあるが、見栄えするのは間違いない。
 実際、1997年にロサンゼルスで起きた銀行強盗では、犯人2人はドラムマガジン付きAK47や100連マガジンのAR-15を携行して警官と銃撃戦をしたというから、火力的にはあり得なくもないと言えるかもしれない。



参考:100連ダブルドラムマガジン



 こんなの『Army of Two』くらいでしか見たことねぇよ。

 強盗の映画なので派手に撃ち合うようなシーンは少ないが、終盤の銃撃戦は見ものだ。
 考えてみると劇中にある強盗シーンは全部お気に入りだな。段階的に派手さがアップしていくのも非常に良い。アフレックは昨年、監督・主演の『アルゴ』でアカデミー賞を受賞したが、監督としての力量はとても高いんじゃないかと思う。



 ・原作との些細な違い


 上でざっと述べたように映画版と原作の違いは山ほどあるわけだが、ここでは趣向を変えて「本筋には全く関係ないけど管理人的には要注目なポイント」を2つ挙げてみたい。


★クリスタのおっぱい
 ジェムの妹でありダグの元カノであるクリスタは、ドラえもんで例えるとジャイ子のポジションだ。もちろんビジュアル的には「悪女の魅力を発散している」おネーちゃんなわけだが、そのバストサイズについて原作では「法に触れるほど小さい」とひどい描かれ方をしている。
 一方映画版ではどうかというと↓



 ボインボインですな。まさに悪女にふさわしいおっぱいと言うほかない。
 個人的に貧乳な悪女というのは細身のプロレスラーと同じくらいサマにならないと思っているので、これは実にグッドなアレンジだろう。銃器と同様に映画版は全体的に火力アップということだ。



★プレステとXbox
 原作ではダグとジェムがプレステ(時代的に初代)でホッケーゲームに興じるシーンがあり、章のタイトルもそのまんま「プレイステーション」である。
 映画版ではこのシーンはないが、クレアがボランティアしている施設で子供たちがXbox360(初期型)でHALO(ナンバーは不明)をプレイしているシーンがある。映画公開が2010年なので、時代設定はおそらく00年代後半なのだろう。




画面分割でプレイ中のご様子。楽しそうでいいね。



 また終盤にさしかかるあたり、ダグがジェムと口論するシーンでXboxへの言及がある。町を出ると言い出すダグに、ジェムがクリスタとその娘のシャインを置きざりにする気か、と言外に責めるのだが(注:シャインの父親は不明)、それに対するダグの返し。



「コカインとXboxしか大事にしないお前が――」



 映画版でもジェムはゲーマーらしい。同じ360ユーザーとしてシンパシーを感じざるを得ないね! あいつすぐキレるからフレンドにはなりたくないけどな…。


 最後はどうでもいい話になったが『強盗こそ〜』と『ザ・タウン』はセットで楽しめる良作だということでまとめたい。
 思えば「銀行強盗」は悪党として由緒正しいお仕事なのに、これまであまり触れてこなかった気がする。この作品のほかにも良作は多いと思うので、そのうち読んだり観たりしようと思う。具体的には2月くらいに。2月13日は銀行強盗の日って知ってた? 恵方巻き食ってる場合じゃないよ?



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