『Bioshock:Infinite』ノーマルでクリアしました。 |
■扉の数だけ抱きしめて |
カットシーンは没入感があり、感情に訴えかける道具になりえるが、デベロッパーに忘れないでもらいたいことがある。ゲームにおいてプレーヤーの脳裏に深く刻まれる物語というのは、往々にしてデベロッパーが押し付けてくるものではなく、プレーヤー自身が作り出した何百万と存在する新しい物語なのだ。 ――Choke Point|【コラム】カットシーンがゲームに与える悪影響とは? |
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恋愛シミュレーションの「ときめきメモリアル」を思い出して欲しい。あのゲームにドラマチックなラブストーリー的シナリオなど存在しなかったが、プレイヤーはパラメータ管理という手段を通じてゲーム中のヒロインとアクション:リアクションの交換を行い、その過程でプレイヤーの数だけの恋愛ドラマが紡がれていった。それこそがプレイヤーが作り出す「物語」であり、ときメモがヒットした要因だ。 |
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同じことはゲーム中の敵にも言える。様々な手段で脅威を与えてくる警官やボックス・ポピュライ、その他の悪党連中に対し、どのような手段で立ち向かうかがアクションとリアクションの交換なのだ。マシンガンで蜂の巣にするか? ライフルで遠距離から脳天を撃ちぬくか? ポゼッションで洗脳して同士討ちさせるか? それともスカイフックで首をねじ折るか? |
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