話が変な方向に飛んだが、COD:WW2(のシングルキャンペーン)はとても楽しみにしている。現時点で明らかになっている仕様だけでも、これはすごく面白くなるのでは? という期待が膨らむ。
・体力は自動回復されず、回復は衛生兵に頼む必要がある
・弾薬を補給するスポットは存在せず、弾薬が切れた場合はスクワッド(分隊)に頼んでマガジンを受け取る必要がある
・スクワッドには衛生兵や補給兵のほかにも特殊なアビリティを持つ兵士が存在
・これらのスクワッド兵士を失う可能性もある
開発チームの人いわく、今回の主人公は「スーパーヒーローではなく、普通の青年」とのこと。
思えばこれは初代CODのコンセプトそのままである。MOH:Allied Assaultを開発していたメンバーの中から「エリート兵士ではなく無名の一兵士」を描こうとした人々が独立して立ち上げたのがInfinityWardであり、彼らがCall of Dutyを生み出した。後にそのInfinityWardが作ったCOD4がシリーズを「ヒーロー路線」に転向させたのは皮肉というほかないが、めぐりめぐって原点回帰を果たしたということになる。
ただ原点とかを抜きにしても、上記の仕様はアクションゲームとして面白くなりうるのではないか、と思う。回復・補給手段が分隊員頼みなら、一人で突っ込んでドンパチするのではなく、
分隊全体に気を配った戦い方が求められるだろう。さじ加減を間違えるとストレス要素になるだろうが、うまく噛み合えば戦術的な深みのあるシューターになる…かもしれない。
管理人はCOD2をやった時、周囲に共に戦う兵士がいることに感動を覚えた。敵も味方も大人数でぶつかり合う壮絶な銃撃戦――これぞ俺が求めていた戦争ゲームだ! と感じたものだが、今の目で見ればそれらは賑やかしという要素が強かった。味方の兵士たちに何かしら指示や要求ができるわけでもなく、それぞれ勝手に戦い、いつの間にか死んでいるような存在だ。
要するに彼らは「共闘感」を出す演出の一環でしかなかったわけだが、分隊員が密接にゲームプレイに関わってくるなら、
単なる演出を超えた真の共闘感が味わえる気がする。ゲーム的な面白さだけでなく、戦争ゲームにおける演出としても旧作を超えた出来になる…かもしれない。
ちなみにこの回復・補給システムは一部報道で「『Bioshock:Infinite』のシステムに近い」と言われていた。おそらくエリザベス嬢が戦闘中にアイテムをぽいぽいしてくれることを指しているのだろう。あと戦闘不能になった時にお注射で復活させてくれたりもしたな。敵から攻撃を受けることもないし、実に便利なキャラだった。
しかし、その「敵から攻撃を受けない」というのが最大の不満点だったのも確かだ。
以前レビューで書いた不満の繰り返しになるが――なぜ、彼女を守るという要素をゲームとして取り入れなかったのか? なぜ、プレイヤーに奉仕するだけの便利キャラにしてしまったのか?
Bioshock:Infiniteはブッカー・デュイット(プレイヤー)とエリザベスの深いつながりの上に成り立つゲームであり、そのシナリオは高く評価されている。だが、少なくとも戦闘における2人の関係は悪い意味でゲーム的なご都合主義に甘んじており、彼女を人格のあるキャラクターとして描くことを放棄しているように思える。
男なら誰でも…いや女性であっても、殺し合いの渦中にか弱い少女がいるなら身を挺して守ろうとするのが普通だ。またそれとは別に、少女を守ることでアイテムの補給等が受けられるなら、ゲーム的なリスク&リターンとも噛み合って戦闘の面白さを増すこともできただろう。
今更Bioshock:Infiniteに愚痴を言ってもはじまらないが、COD:WW2にはそうしたギブ&テイクをゲームとして取り入れて欲しいと思う。一方的に与えられるだけではなく、時にはこちらが体を張って救う。友のために血を流す覚悟があってこそ、真の戦友(
ブラザー・イン・アームズ)たりえるのではないだろうか。
それからしばらくして、彼はささやくような声を聞いた。「ド・マー、だいぶやられたかい。このへんに煙(煙幕)を要求しておまえたちを収容してやるからな。匍匐できるか」。ド・マーは、命がけで彼を救いにきて声をかけてくれているのが誰だかわからなかったが、戦友が彼を救おうとしていると知って、信じ難いほど力づけられた。彼は頭をなかば地面にめりこませたままで、「匍匐前進できるかだって」とささやき返した。「国までだって這っていけるさ。いつ煙幕が張られるか教えてくれ。そのときまで動かないでいるよ」
――――ジョージ・ファイファー『天王山―沖縄戦と原子爆弾』(上)
最新作のCOD:Infinite Warfareはスペースオペラ的な世界観が賛否両論を呼んだが、中身は手堅く作られた「いつものCOD」だった。テンポのいいシューティング・ゲームとして決してつまらない作品ではなかったが、その「変わらなさ」はCODシリーズの限界も露呈していた。
COD:WW2の打ち出した自動回復の廃止と分隊の相互協力という要素は、従来のCODのゲームデザインを根底から覆す試みだ。それはシリーズの大きな魅力だったカジュアル性とテンポの良さを幾分か差し引くことになるかもしれない。それを補って新たな面白さを確立できるかどうか、開発を担当するSledgehammer Gamesの手腕が問われるだろう。
とりあえずBF1でのんびり戦場ぐらしを続けつつ、11月の発売日を待とうと思います。
追記:
現在管理人はBF1からの流れでWW1にハマっており、複葉機や菱型戦車も「この古風さがカッコいいよな」と感じるまでになった。これまで興味のなかったWW1の銃器・兵器・戦術・世界情勢に目が向くようになったのは大きな収穫だが、もうひとつ管理人の意識に意外な変化が起きた。
WW2の兵器類がものすごく先進的に見えるようになったのだ。手探り感あふれるWW1のそれに比べ、実に洗練された美しさがある。単発単葉の戦闘機ってすげえスマートだよね、とか旋回砲塔の戦車とかもう現代兵器じゃね? とか爆撃機の遠隔操作式銃座とかもうSFの世界じゃね? という感じ。
COD:WW2も、きっと懐かしいという以上に新鮮な気持ちで遊べるのではないかと思う。できれば歩兵戦だけでなく、(COD2のように)戦車戦などビークルに乗れるステージも入れてほしいね。
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