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16.03/02 その239
地味男子のススメ――『暗殺者グレイマン』






 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』がアカデミー賞で6冠を取りましたね。惜しくも「V8」にはならなかったようだが、これで知名度が上がって「観てみようかな」と思う人が増えれば嬉しい。
 いやー、それにしても惜しいなー。管理人的にはフュリオサを演じたシャーリーズ・セロンは主演女優賞狙えると思ったんだけどなー。




 『怒りのデス・ロード』は女性陣が総じて(それこそ若い娘からバアさんまで)魅力的だったが、特にフュリオサは良かった。
 マックスとの死闘から始まり、共闘しながら信頼関係を築いていくあたりがいい。それも言葉ではなく行動で通じ合っていくあたりがね。ラストシーンもすごく好きなんですよ。ほんの一瞬、かすかにうなずき合うだけで互いの行く道を了解するってのがもうたまらん。

 で、ここからが本題だが。
 フュリオサを演じたシャーリーズ・セロンが『ワイルド・スピード』新作へのオファーを受けたそうだが、彼女の主演予定作で個人的にとても気になっているものがある。アクション小説『暗殺者グレイマン』の主人公に彼女が抜擢されたそうなのだ。

 ただし…このグレイマンことコート・ジェントリーは男性である。



「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のシャーリーズ・セロンが、マーク・グリーニーのサスペンス小説「暗殺者グレイマン」の映画化作「グレイマン」The Gray Manに、凄腕の暗殺者役で主演する。原作は、身を隠すのが巧いために、灰色の人目につかない男、"グレイマン"と呼ばれる元CIAの凄腕の暗殺者の活躍を描くもの。映画化企画は以前からあり、一時はブラッド・ピットが主演候補になったこともある。原作の主人公は男性だが、性別を女性に変更して、シャーリーズが主演する。

――Screen「凄腕暗殺者役に扮するシャーリーズ」



 管理人は原作の『グレイマン』シリーズ大好きなんですよ。
 美しく、それでいてタフな女という意味ではシャーリーズ・セロンは適任に違いないが、それでも「ちょっと待てよ」と言いたい気分になる。映画化に当たって設定を大幅に変えるのは珍しいことではないし、主人公の性別変更についてもアンジェリーナ・ジョリー主演の『ソルト』という先例があるようだが、そうまでして原作の名を冠する必要があるのだろうか、という気になる。
 シリーズ1作目にあたる『暗殺者グレイマン』は男性でないと成り立たないような話でもないが、そもそもこのシリーズが主人公のグレイマンことコート・ジェントリーの魅力で牽引するような作品なので、映画がとても面白く仕上がったとしても「大好きな小説の映画化」としては素直に喜べない気分になりそうだ。

 まぁそんなわけで、今回は小説『暗殺者グレイマン』の話をする。
 まだ読んだことないという人が有意義な“読書の春”を過ごせるよう魅力を伝えるので、正座して聞くように。





 上記の引用文で紹介されているように、本作は“グレイマン”の異名を持つ孤独な暗殺者、コート・ジェントリーの物語だ。元はCIAの秘密作戦を担う凄腕工作員だったが、ある事件を機にCIAから追われる側になり「目撃次第射殺(シュート・オン・サイト)の命令まで出されたお尋ね者の身の上となっている。
 現在は元MI5(英国情報部)の老紳士、ドナルド・フィッツロイが経営する警備会社に身を寄せて非合法任務を請け負っているが、ナイジェリア大統領(独裁者)の弟を暗殺したことで個人的な恨みを買ってしまう。
 大統領は自国の天然ガス利権に食指を伸ばしていた多国籍企業ローラン・グループに、契約と引き換えにグレイマンの首を要求。手段を選ばないことに定評のあるローラン・グループは、ドナルド・フィッツロイへの脅迫を手始めにグレイマン抹殺作戦を開始する…というのがおおまかなあらすじだ。

 「グレイマン」の異名は彼が“人目につかず目立たない”という工作員として得難い素質を備えていることによるのだが……この小説の凄いところは、その主人公の特性がプロローグでいきなり崩壊することだ。中東で仕事をこなして回収地点に向かうジェントリーは、その道すがら米兵がイスラム戦士に惨殺されようとしているのを発見し、ついつい助けてしまうのである。
 今ここでドンパチしたら自身の脱出が困難になるが、それを承知でバレットM107をブッ放し、イスラム戦士たちをド派手に血祭りにあげるジェントリー。イスラム戦士の猛追を振り切って脱出用の輸送機に乗り込んだのはいいが、その脱出を手配したはずのフィッツロイが家族を人質にとられ、輸送機内の護衛部隊にジェントリー殺害の命令を下す。
 すでに飛行高度に達した輸送機内で、高度な訓練を受けた兵士たちとの壮絶な近接戦闘! もうこの時点でアクション好きとしては大興奮。もちろん輸送機後部のハッチが開くのはお約束だ。
 なんでも著者のマーク・グリーニーは本作を書くに当たって実際の軍人と一緒に銃や戦場医療、近接戦闘の訓練を受けたそうで、そのリアリズムはアクション描写にいかんなく発揮されている。


グリーニーさん(作家)



 『暗殺者グレイマン』は全編にわたってこんな感じのアクションが続く。というか全シリーズ一貫してド派手なバトルが山盛りの直球アクション小説であり、読んでる側としても「目立たない男」という異名を忘れそうになる。そもそも“人助けのためなら危険も厭わない”ってヒーロー気質の男が目立たないわけがないのだ。



ねこたろう:C89水曜日東モ02b @LOVEorCRAFT
『暗殺者グレイマン』人目に付きにくい男=グレイマンと呼ばれる主人公、という粗筋で始末屋ジャックのような都会の陰に溶け込む系の話だと思うだろ? ちゃうねん。いや、忍んでるんだけど敵の索敵能力が高いから絶対見つかるんや。したらどうする? 敵を全員殺すしかないやろ。そういう話なんや。



 話を戻して輸送機内での窮地を逃れたジェントリーだが、もちろんピンチはこれからが本番だ。ローラン・グループは抹殺作戦の本命――世界各国から一流の暗殺チームを呼び集めてのグレイマン狩りをスタートさせる。
 この暗殺チームがいずれも第三世界の特殊部隊や工作員というのが面白いところだ。インドネシア軍特殊部隊(コパスス)第4群、サウジアラビア総合情報局(アルイスタフバラフ・アルアーマフ)の工作員、南アフリカ国家情報庁(NIA)の戦闘員、韓国国家情報院(NIS)の暗殺者などなど、キナ臭い国のキナ臭い連中が莫大な報奨金につられ、殺す気満々で包囲網を狭めてくる。さらに長年ジェントリーを付け狙っているCIAの軍補助工作(パラミリタリー)チームも参入し、グレイマン・マストダイな窮地が次から次へと襲ってくるわけだ。もうテンションが昇竜のごとくうなぎ上りですよ。

 ジェントリーとしてはもちろん降りかかる火の粉は払わないといけないが、その気になれば「目立たない男」のスキルを活かして地下に潜り、ほとぼりが冷めるのを待つこともできる。だがそうしないのは、人質に取られたフィッツロイの家族を見殺しにはできないからだ。職業暗殺者としてそれはどうなんだと思わないでもないが、ヒーローとしては今時珍しいくらいの正統派ともいえる。
 脅しに屈して自分を売ったフィッツロイはともかく、その家族(息子夫婦)は、暗殺や破壊工作といった後ろ暗いビジネスとは無縁の民間人。いわば巻き込まれた形なので、そういう人間を悪党から救うのはヒーローの戦う動機として申し分ない。また息子夫婦には双子の娘がいるが、姉のクレア嬢の存在感が血と暴力の世界に一滴の潤いを与えてもいる。8歳児だけどね。

 これはいずれ稿を改めて書きたいと思うが、最近「おっさんmeets少女」の良さが分かってきたんですよ。『レオン』、『マイ・ボディガード(燃える男)』、『アジョシ』といった映画はもちろん、ゲームでも『Bioshock:Infinite』など色々あるが、暴力の世界で心身をすり減らした男と無垢な少女の取り合わせは宗教画的な救済のテーマを感じさせる。
 もっとも『暗殺者グレイマン』はジェントリーが救われる話ではないし、クレアちゃん(8さい)も脇役に過ぎない。だが、ハナからケツまで苛烈な戦闘が連続するこの物語で、彼女の存在がひとつの救いとなっていることは一読すれば伝わるだろう。



みりん @milin22
『暗殺者グレイマン』読了。息つく暇もないバトルシーンが延々と続いたと思ったら、意外な萌え小説になっていたので驚いた。なにこの最強の殺し屋とようじょの萌え萌えシーンは。二作目三作目にクレアたんはまた出てくるのかしら。成長して美少女になって再登場という王道パターンを期待だ!


 このツイートには同意するが、今から読もうとしてる人はあまり過度な期待を抱かないように。クレアちゃんの出番はそんなに多くないからな。ただ、いい役どころではあるよ。後半部分では立ち上がるのも無理ってくらいズタボロになったジェントリーをクレアが復活させたりするし。…まぁそのシーンはクレアちゃん天使すぎとかより、クレアを動かしているフィッツロイの人心操作の巧みさに戦慄するんだけど。


 そんな具合にジェントリーはピンチと窮地と死地の数々を、卓絶した戦闘力と機転と経験で切り抜け「グレイマン最強伝説」を更新していくわけだが、実際に読んでいるとそこまで「超人的なヒーロー」という感じはしない。むしろ満身相違になりながらも決して諦めない不屈の男、傷らだけのヒーローとして描かれている。
 ジェントリーは劇中で何度もDIEピンチを切り抜けるが、そのたびに傷を負う。最終決戦に挑む頃には見事なまでに満身創痍、応急処置とドーピングでどうにかごまかしているという有様になっている。“世界で最も偉大な暗殺者”である彼にしても、その状態ではまともな勝算は望めない。そもそも選りすぐりの殺し屋チームの包囲をかわし、敵の本拠に乗り込もうという計画自体が馬鹿げているのだ。
 それでもジェントリーはフィッツロイの家族を救うという目的をあきらめない。息子夫婦および双子の姉妹とは、過去に数日間の護衛を引き受けただけの関係である。だが、ジェントリーにとってはそれだけでも彼らを救う動機としては十分であり、死地に挑む理由になる。

 こう言っちゃなんだが、ジェントリーの精神構造はわりと単純である。“グレイマン”として殺し屋稼業を続けているのも、やむを得ないという事情の他に「この世には悪党が存在していて、ほんとうに死んでもらう必要があると信じているから」という、彼なりの正義感が根底にある。
 この手の独善的な正義感が「冷徹な人柄」と合わさると容易にサイコパスあるいは悪の大ボスに変貌するものだが、彼がそうなっていないのは根っからの「お人よし」だからだ。友人や親しい人間の危機、あるいは目の前の蛮行を見過ごすことができない。プロの知識と経験で脅威の度合いを正確に測っても、いつだって分の悪い方に自分の命を賭けてしまう。
 彼の正義とは思想や信条ではなく人情であり、極論すれば「自分の手が届くところに悪党がいたらブン殴る」というだけのものにすぎない。その悪党を殴れるのが自分だけなら、なおのこと殴る理由になる。その結果自分が窮地に陥るとしても、それは大した問題ではない。
 愚直ではあるが、素直に共感しやすいヒーロー像といえるだろう。あるいは、今時めずらしい古風なヒーロー像といえるかもしれない。

 なお彼が「ヒーロー」と「殺人マシン」の両面を備えていられる理由についてはシリーズ第4弾『暗殺者の復讐』ラストで触れられているが、それによれば見かけほど単純ではないらしい。そのへんの真相は第5弾『Back Blast(原題)』で明かされると思うが、2月に本国で刊行されたばかりなので、邦訳が出るのはまだまだ先になりそうだ。
 そんなわけなので、グレイマンを知らないという人はこれを機に触れてみてもいいんじゃないかな。今回取り上げた第一弾『暗殺者グレイマン』は設定からしてブッ飛んでいるし、主人公が目的に向けてガンガン突き進むという意味でもカタルシスあふれる作品だ。
 孤高にして不屈の暗殺者の戦いに震え、そしてブドウ糖とカフェインのありがたみを噛み締めてほしい。



違法バタピー @batapys1
暗殺者グレイマンは苦しい状況で助けてくれる友人のありがたさと、どんなに疲れきっていてもブドウ糖とカフェインさえ摂取すれば人間は動けるということを教えてくれる。


 できればヒロイン(8歳児)の応援も欲しい。
 意見が分かれるかもしれないが、クレア嬢がいなかったら『暗殺者グレイマン』はp377で終わっていた可能性がある。フィジカル的にはブドウ糖とカフェインでなんとかなるとして、メンタル的に人を動かすのはやっぱりハートですよ、ハート。



追記:
 そんなわけで『暗殺者グレイマン』はアクション好きの人に広くオススメしたいが、これから買ってみようという人は間違えて『暗殺工作員ウォッチマン』を買わないように注意してほしい。題名が微妙に似てるからね。




 アイルランドのテロ組織IRAに送り込まれたMI5の凄腕スパイ「ウォッチマン」の裏切りと、彼を追うSAS大尉の対決を描くスパイもの。
 なお作者のクリス・ライアンは元SAS隊員である。


ライアンさん(作家)



最近は『RainbowSix:Siege』の企画にも参加していた


 容易に姿を見せないスパイを狩るという展開上、グレイマンとは真逆の渋い作風なのだが、それでいて意外な萌え要素があるのが特徴でもある。主人公はMI5の女性部員とコンビを組むのだが、この女性がかなり良いのよ。
 いけすかない感じのエリート美女なのだが、主人公が何かとこの美女をいじりまくる。別に女性に対してサディスティックな性分ではないのだが、彼女は妙に主人公の変なツボを刺激するようで、「オイオイそれはさすがに嫌われるだろ」みたいなことをやりまくる。
 彼女はプライドもすげー高いので、どんなイタズラをされてもクールな仮面を外さないのだが、必死に耐えているのが伝わってきてなんというか、スゴク萌えるのですよ。

 もちろん萌えだけでなく、作者の経験に基づいているであろうリアルなミリタリー描写や、騙し合いに満ちた諜報戦の描写が一番の魅力なのは言うまでもない。特に「ウォッチマン計画」の真の目的が明かされるくだりは結構引く。いや、いい意味でね。



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